あかりの森's blog

子供に「育てられてるシングルかーちゃん」の雑記帳です。6歳園児(がんばれ、もうすぐ一年生)の長男、へこたれない(決して兄の圧力に屈しない)次男2歳との賑やかな毎日。主にのほほん、時々、真面目。

東京の「地面」を買いましょう。

 家を買います。土地付き平屋を、私名義で買います。

 東京に家を建てるというのは、簡単な事ではありません。東京に限らず、我が城を手に入れるのは、100円ショップで紙皿を買うのとは訳が違います。

 今日、昼間、生まれて初めて不動産購入目的でいわゆる「不動産屋さん」に出向きました。予約していた物件の下見をした後、差し出された書類に記載された金額を、私は案の定、二度見しました。都会の地価は、末尾のゼロが多過ぎます。いつか、有名大物司会者がテレビCMで「普通の人が普通に働いて」家を建てるのが理想云々の内容を謳い文句にしてあるものがありました。さて、その「普通の人」の定義たるや、いかようなものか、その「普通に働いて」とは、どの程度の世界での労働であるものか、と苦笑いしたくなるなどしました。

 私が賃貸ではなく、家を持とうと思い始めたのは、やはり子供の存在が大きいです。それから、田舎に残して来た母が、いよいよ次期当主である私の弟(彼女からすれば長男)に家督を譲るべく本腰を入れ始めた事もきっかけにはなりました。

 私の中では、マンションは他人様と共同で「空間」を購入する、という感覚です。隣同士に連続して広がった長屋を、天へと積み上げ建設したのがマンションのイメージです。一方、一戸建ては、地面そのものを買うイメージで、上に乗っている「家=箱」は、場合によっていじる事が出来るシェルターみたいな物と言えます。

 私は別段、資産家の娘というのではありません。実家には、他所に誇れる由緒もありませんし、家系は代々の水飲み百姓です。農地改革で払い下げられた田畑が少しと、狭い村の中にひっそりと収まった5LDKのごく一般的な持ち家があるだけです(都会の方からすればそれでも羨ましい内容かも知れませんが、田舎の5LDKなどは、まさに最底辺の「ウサギ小屋」レベルです)。しかもその相続はこのご時世にあって一切を「長男」がしますから、女は端から相続の頭かずには入りません。ですから、本当に一からの家探しになります。

 全くの裸一貫からと言えば大袈裟ですが、子供を抱えて女手一つでどこまでやれるか(あるいは、見通しを立てた後、諦めるか)は解りません。私の勇み足になる可能性の方が高いです。それでも、高望みの夢は、溜息を吐きつつ見るよりも欲張って笑いながら描く事にします。

 遠くに眺める夢こそは、無邪気で良いと思います。

 

 

 (1000文字ブログ)

習い事、社交界始め。

 先日ついに、表千家の茶道を習い始めました。先生は、自宅に茶室を構える大豪邸の奥様で、すでにお孫さんもいらっしゃるとの事ですが、まだまだお若い貴婦人です。

 およそ10年さかのぼり、私が学生であった頃、実家近くの茶道教室に通っていました。指導して下さっていたのは、社中に大勢のお弟子さんを抱えるおばあちゃま先生で、やはりご自宅の一室を茶室にし、同時に華道教室もお持ちのパワフルな方でした。東京に嫁ぎ、それを機にしばらくお茶からは遠ざかっていましたが、心ときめくものがあり、昔の杵柄を取ってみたくなりました。

 私を迎え入れて下さった先生は、曰く「堅苦しい事と理不尽な事が大嫌い」とおっしゃる明るい方でした。しきたり、伝統、奥ゆかしさ、古色然としたもの、お茶の世界とは一般にはそうした様々が混然となった敷居の高いものと認識されているかも知れません。暇を持て余した趣味人が社交の場として通うもの、と煙たがる人もいることでしょう。しかしながら、武家の貴人、商家のご子息が手習いに出向いていた時代は遙か昔です。決して遠巻きに眺めてため息を吐くだけの世界でないのは、一般庶民でシングルマザーの私が安月給をやりくりしながら、始めようと決心したのを鑑みれば解る事でしょう。

 一橋大学がある町の一等地に居を構えるその茶道教室に、最初にお邪魔したのは年が改まった後の初釜の日でした。いきなりのお稽古始めに初釜(はつがま。新年最初に行われる稽古始めの日。茶道で重要視される稽古日の一つ)から入る恐れ多さ。先生が教えてらっしゃる現役の生徒さんは私の他に3人で、年齢が上の方ばかりでした。それぞれに趣向あるお着物姿で名のある帯をお召しになって、整えられた居住まいにて定刻よりも先んじて待合に集っていらっしゃいました。子供達を保育園に自転車で送り届けた後、ジーパン姿で刻限ギリギリに遅れ参じた私の乱れ姿とは、比べるのも馬鹿馬鹿しいお話です(勿論、先生のお宅に到着次第、別室で洋装の平服に着替えるつもりではありましたが)。その際立つ白鳥の群の中のお一人が、暗に私を評しておっしゃったのか、くっきりと紅が塗られた口を歪めて一言。「私、遅刻してくる人の神経が信じられない」。確かにギリギリではありましたが、私は遅刻していないので別の話題についてのコメントだったのでしょう。が、その場に微妙な空気が流れました。

 新たな年に手痛いパンチ。

 

冬を纏う子

 古びた物、ひなびた物に愛着を覚える私ですので、和室がある物件を探して、なおかつ賃貸料も考慮して今の住処にたどり着きました。木造2階建てのアパートの2階角部屋です。内装はリフォームされていて、お風呂とトイレも別、昔風の間取りはそのままに各部屋にはガラス窓があります(トイレ、浴室、脱衣所にも)。

 大家さんには言いにくいですが、壁は薄く、雨戸を閉め切れば、かすかな隙間から外光が漏れてくる安普請です。早朝に寝室の室温計を見ると、外気温より3度ほど高いだけで、ここ最近は毎朝一桁台の室温しかありません。言うに及ばず、北向きの台所に至っては、明かり取りの大きな窓が北と西に開かれているせいか、体感温度は更に下がります。昨日は給湯器が凍り付き、朝から湯が出ませんでした。チョロチョロと申し訳程度に蛇口からしたたり落ちる凍えるような水で炊事をするのは難事業で、思わず笑ってしまいました。冬の厳しさが、しんしんと身に染みる朝夕に、今から春が待ち遠しい我が家なのでした。

 そんな過酷な状況の中、まず長男が良くない咳をするようになりました。喉が冷えているのだと思います。そこで、私のマフラーを譲ることにしました。しかし、困った事に子供は体にあれこれ巻かれたり、付けられたりするのを嫌がります。大人がよかれと思って着せようものなら躍起になって手強く逃げ回ります。防寒の利点を伝えてもそれはこちらの都合ですものね。身動きが鈍るような装備は、子供には鬱陶しいに違いありません。

 ようよう彼を説き伏せて私のお下がりマフラーを巻いたのですが、窮屈になった首元に息子は不満顔でした。元々そのマフラーは私にとってもお下がりでした。母が香典を差し上げた親戚から、返礼の為に送られた物だったと思います。バーバリーのカシミヤ製で、毛羽は気にならない滑らかな品ですが、彼にとって迷惑であるのには変わりません。

 丸い顔にマフラー姿は、彼を見つめる私にとって、その時、とても新鮮でした。首へ巻物をしている彼の姿が、急に大人びて見えたのです。

 マフラーを巻くような「首」があるんだな、と、おかしくなりました。赤ちゃんの頃には、たっぷりした頬の肉と、むっちりした肩の肉に埋もれて「首」がいったいどこにあるかなど解らなかったというのに。

 居心地が悪そうな長男のマフラー姿に、妙な感慨を覚えた母です。子供のくせに、もう子供じゃない、不思議な生き物。

ゆらゆらと、ふるえ。

 全く、容赦のないものなのです。子供達の成長スピードというものは、大人がのんびりと構えている間にドンドン加速度が付いていくのですから手に負えません。

 アッと言う間に湯が冷めてしまう様な寒々とした浴室で、小さな湯船に私と、2人の息子達と、弁当箱に詰められた手毬寿司のように膝を抱えながら毎日風呂を使います。毎日の事なのですから、当然、息子達のむき身を毎度眺めるわけですが、私は自分でも呆れるほど、何度も彼等の成長を痛い程に実感させられています。女の子とは違う、何もかもがクッキリとした直線で描かれた息子達。6歳には6歳なりの色濃いもの、もうすぐ2歳を迎える人には、丸いけれども力強さの宿った筋肉の張りが、すでにきちんとあるのです。タイル張りの浴室に反響する笑い声にも、鏡に弾かれた陽の光が乱反射するような煌びやかさがあります。頭からシャワーを浴びせれば、逞しい猟犬のように身震いします。甘ったるく母親に媚びを売る時にさえ、開かれた眉は凛々しく、笑顔を浮べる頬はなだらかに涼しい。

 母は、時々、愚かな程、何も出来ずに呆けるしかないのですよね。これは我が子でなくても、例えば、公園で遊ぶ同い年くらいの子供達へも、私は強い憧れと、少しばかりの胸の痛みと、引き込まれるような魅力を感じずにはいられません。子供という事実はそれだけで、不可侵の特権を与えられているのでしょうか。持って生まれた弱さも、脆い自制心も、儚い肉体も、これらが内包する透き通るような心も、全部が余すところなく「作られた」ものでなく、超常的な何者かから「与えられた」ものであると思う他ないくらいに、子供はそれだけで「完成形」なのだと、思う事があります。

 ついさっきまで、生き死にの最前線で命を繋いでいた、まさしく生まれたての人達に、どうにも大人は感情を鷲掴みにされないではいられないようなのです。未熟で稚拙で、我慢も利かない、融通も利かない、どうしようもない存在であるにも関わらず、私達はそんな暴君達を、ひたぶるに愛おしいと思ってしまいます。私達の庇護なしには、明日をも生きられない、小さな王様達。

 チャプチャプと、ぬるい湯の中で、他愛ない遊びを繰り返す兄と弟は、狭い湯船に膝を抱いて彼等を見守る母を何と思って見ているのでしょうか。

 湯気に湿った細い髪を白い額に貼り付かせ、幼い人が見上げます。そのツヤツヤとした黒い瞳に私を映して。

 

 

 (1000文字雑記)

 

 

「点」を置く。

 「あるがまま」を受け入れ、現状へ自分の感情を馴染ませるのに、随分時間がかかりました。まだ不安定で、核の部分も落ち着かず、出来たての小惑星のように私は今でもグツグツと揺らぎ動いています。

 二人の幼子を連れて、家を出る決意をしたのが去年の十月でした。独り親になる覚悟が出来ていたのではなく、その時点ではただただやり場のない想いを解き放ちたくてカッとなっていただけでした。混乱する自分の気持ちをなだめる為、何をすれば良いか、全く想像もつきませんでした。ともすれば堪らない焦燥感に引きずられ、叫び出しそうになる心をどうすればいなす事が出来るのか、分からずに泣いていました。ひたすら親に従うしか選択肢がなかった息子達は、情緒不安定に怒ったり涙したりする私を見上げて、さぞ悲しかった事だったろうと申し訳なく思っています。

 主人とは、やはり住む世界が違ったのでした。子を成し、一時でも同じ暮らしの中で一つの道を手を取り歩んで来た伴侶でしたが、時々訪れる違和感は、塵のように積もり重なっていきました。私も彼を、思いやる事が出来ませんでした。最後の最後で、私は彼の手を離してしまいました。

 至らぬ妻、至らぬ嫁であったのは、自覚しているところです。それをだからと言って、今になって修復しよう、取り繕おうという気持ちには、しかし、なれませんでした。

 この先、息子達には、辛い想いを多くさせる事でしょう。重い選択をしたのだと私が再認識するのは、恐らくこれから、息子達が成長する過程で何十回、何千回とあることでしょう。その度に私は、繰り返し自分の人生を軌道修正していく必要があるのだと思います。選んだ道が間違いであったと後悔するのでは駄目なのです。勝ち負けを言い立てるのは少し変ですが、人は負け癖が付くと、負ける状況を自分自身が何かと理由をつけて正当化してしまいます。私の腕には、二人分の命と人生が乗っています。彼等が親を選べないのなら、その親こそが、彼等の幸福をいたずらに削ってはならないのでしょう。すでに、私は自分の傲慢で、息子達の世界を変えてしまいました。だからもうそれ以上、彼等の世界を曇らせてはならないのだと思います。

 不甲斐無い母です。本当に賢明でない母です。いじらしくも私を慕ってくれる息子達が不憫でなりません。

 ですが彼等には、私しか残されていないのです。

 もう、泣くのは止めました。

 新しい年が明けました。

 

 

 (1000文字雑記)

メロスよ、走れ!

 40歳の女が、泣いたのです。身長154センチ、体重48キロ、体脂肪率22パー、事務職パートタイマーの、どこにでも転がっている石ころみたいな地味な女が、夕方6時、薄暗いキッチンの片隅で、両目をショボショボ涙に濡らして、泣いたのです。そう、タマネギを刻んでいた訳ではありません。熱っされた鍋の蓋を触った訳ではありません。

 朗読『走れメロス』(太宰治作)を、ユーチューブで流しておる内に、胸がいっぱいになってしまったのでありました。

 国語の教科書に今でも掲載されているのでしょうか。

 「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。」から始まる物語です。木訥な牧人であり、熱血漢のメロス、猜疑心に凝り固まったディオニス王、メロスの無二の親友セリヌンティウスが織りなす、人を信じる事の尊さと難しさがテーマの人間模様。最初にこれに出会ったのは、やはり私は小学生の高学年でした。作中で綴られるメロスの独白や、クライマックスシーンでのオーバーな描写、ラストでの青春ドラマのような友人同士の抱擁に、子供ながら「気恥ずかしいなあ」と妙に居心地が悪くなったのを覚えています。

 「メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。」

 メロスが約束を果たす為に滑り込んできた処刑場で、彼と彼の友は、二人共に会えなかった時期、相手を心の中で裏切ってしまったことを白状します。その償いに、互いの頬を殴り合うのです。この時、少女だった頃の私は頭を抱えたものです。「いい年した大人が、やめてちょうだいよ、こっぱずかしいなあ」。

 それが、どうしたわけなんでしょうね。久しぶりに聴いた『走れメロス』、朗読するアナウンサーの方の口調が巧みであったせいもあるでしょうが、後半から終結に向けての一気に駆け下っていく流れが、じんじんと腹を打つような気がしたのです。

 特に、メロスが目の前の濁流を泳ぎ切り、不意に現れた暴徒達から逃げ切り、自分が殺される為に刑場へ走り込んでくる辺りで、40歳の私の涙腺は崩壊してしまいました。

 経験を繰り返して味覚が変化していくように、心もきっと、蜘蛛が綺麗な糸を紡いで四方へ張り巡らせていくのに似て、あらゆる感情が培われていくのかも知れません。

 「メロスは激怒した。」

 その冒頭に、心が吸い込まれます。

 

 

(1000文字雑記)

大きなつづらと小さなつづら

 収納容量は、たぶん、嘆くよりも慣れた方が気持ちがすっきりするものなのだろうと最近思います。大きな「入れ物=物件」から小さな「入れ物=物件」に引っ越してから1ヶ月経ち、その気付きは少しずつお腹の底に収まるようになってきました。

 家を建てる時、賃貸を住み替える時、はたまた自分の会社のデスク周辺、趣味で通うスポーツジムのロッカー内に至るまで「収納」というキーワードは割と重みのある言葉であるようです。手持ちの物を見栄え良く機能的に収めるのはストレス軽減や美観にも影響のある事ですから大切です。

 その中で、ふと思い至った事がありました。収納場所を大きくすると、その分だけの荷物が何故か集まってくるような気がしたのです。そもそも、物を収める場所を確保する為にスペースを作ります。たくさんの荷物があるから広い場所が必要になります。当たり前の事ですけれど、実はこれは「当たり前」ではないのかも知れません。

 収納スペースが小さい場所に、手荷物を入れなければならない時、私達はどういう行動を最終的に取るだろうかと考えました。選択肢はおよそ2つではないでしょうか。一つ目、比較的必要性の低い物を思い切って捨てる(人に譲る等)、二つ目、別の保管場所を作って収める(仮に三つ目があるとしたら、取りあえず良い方法が見つかるまで放置)のいずれかなのでしょうね。

 一つ目の選択肢は、さっぱりはっきりわかりやすいです。今ある物を、更に吟味して取捨選択して厳選するわけです。二つ目の選択肢は、結構、我々がやりがちな事です。一見、収納スペースを確保して小綺麗に見せているつもりでも、本当の所「減らしたい物が、全然減っていかない」のです。まあ、三つ目の選択肢にもなると、最初から全部を棚上げしている状態です。

 必要な物を賢く仕舞うのに、ある程度の保管場所は無くてはならないとは思います。しかしながら、「それってほんとのところ、心の底から大事にしたいと思っているものですか」と人から問われて、イエス、と答えられる私物がいったいどれだけあるでしょうか。

 物を減らせない、のは、ともすると「収納する場所」を「作ってしまっている」からかも知れません。無ければ無いで、あるならあるで、その中で、そこに収まるように暮らしていくのは、もしかしたら「物を持ちすぎる私達」にとってもっと考えても良い課題のように思えました。

 今朝、45ℓ袋で、衣類を1袋分捨てた私です。

 

 

(1000文字雑記)

兄と弟のブルース

 「お兄ちゃんだから」と言う言い方が好きではありません。先日6歳の誕生日を迎えた長男はいよいよ来年春には小学校に上がります。4歳差(学年で言うと3学年違い)の弟と、兄弟喧嘩も激しくなってきました。まだ取っ組み合いの武術大会のようにはなっていませんが、叩いたり叩かれたり、押したり押されたりを毎日のように繰り返しています。

 母の立ち位置は「通りかかったおばさん」です。戦いが激しければ仲裁に入りますが、ちょっとしたいざこざであれば本人同士でやりたいところまでやらせています。その内、9割方、弟が泣かされて負けるので、泣きついてきた弟を連れて勝者である兄に、事情を聴きに向かい合うという流れです。

 私自身は「姉」でした。古いしきたりが残る村ではまだまだ男が家系を継いでいきます。2つ違いで生まれた弟は殊に周囲から可愛がられ、下にも置かぬ扱いを受けて育ちました。兄弟の中では女は確かに華やかで愛おしい者と位置づけられておりましたが、家系的には男子は別格です。弟が泣けば、姉が責められるという、現代社会ではちょっと理不尽な家庭で過ごした経験があります。そういうことも身に染みてあるのでしょう、私は「兄だから我慢しなさい」「上だから下に譲りなさい」という言葉を長男に投げかけるのを避けるようになりました。他の兄弟よりも先に生まれたのは、彼の仕業ではありません。なのに「お兄ちゃんだから」の一言で全部をひっくるめるのは、大人サイドの都合を押しつけるようで余り好きにはなれませんでした。

 「貴方は力が強いので、弱い者を大切にして下さい」「貴方が今困っていないのなら、困っている人を助けられるよね」。そのような事の方が、よっぽど子供達は納得するのではないかしら、と考えました。

 長男が更に5年分成長すれば、次男も同じように5年分大きくなります。だからと言って、年経た分だけ、こちらが弟にも兄同様の大人扱いをするでしょうか。兄弟喧嘩が起こった時、やはり幼い頃と同様「お兄ちゃんだから」と辛抱させられる長男がいるのは母としてかわいそうな気がするのです。我慢させられるのは、辛抱しなければいけないのは、自分よりも「立場の弱い者」が近くに居るときだけです。「兄」という揺るがしがたい刻印の為ではあってはならないのだと、そう思うのです。

 弟にも確かに弟の辛さは存在することでしょう。兄にも兄の、弟にも弟の哀愁漂う宿命があるのでしょうね。

 

 

(1000文字雑記)

日日是好日(にちにちこれこうじつ)

 私が茶の湯を手習いしていたのは、およそ7年前になります。大学生の4回生の頃から始めて、東京に嫁いで来るまでですから10年と少しお稽古に通っていました。ひと月2回、表千家流の先生のご自宅で、週末の都合の付く時間にご教授願うのです。

 11月の辺り、ちょうど茶室のしつらえは「風炉」(ふろ)から「炉」(ろ)に変わります。今、手の空いた時に読んでいる文庫本で森下典子さんの著書『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)があります。この中の主人公は学生時代の筆者ご自身なのですが、自宅で茶道を教えていらっしゃる先生と、茶道初心者の若かりし頃の筆者とが登場し、その物語の成り行きが、まるで私の思い出とぴったり符合するようで、わくわくしながら、また懐かしさに涙がこぼれそうになりながら小説を読み進めている次第です。

 仕事や家事、育児の合間に読んでいる為、なかなか思うように読み進められないのですが、小さな章がいくつにも分かれているので一区切りごとに納得のいく読後感で終えられます。炉に掛けられた釜の蓋を開けたとき、柔らかく立ち上る淡く白い湯気。棗(なつめ)を扱う時の緊張感、茶碗に落とされた抹茶の緑、客席を巡っていく菓子器の様、茶菓子の可愛らしさ、重厚な床の間で私達を見守るように垂れ下がる一幅の掛け軸、月々に季節ごとに入れ替わっていくそれら全て。何かと略式が多い夏のお点前(てまえ。茶の湯では茶を入れる作法をこう呼びます)が、立冬を境に凜とした「儀式」に以降していくのです。

 茶道を辞めてから毎年、年賀のご挨拶だけをさせていただいていた先生でしたが、一昨年、残念な事にお亡くなりになりました。お送りした年賀状の返礼が先生の息子さんの代筆で、先生の訃報と共に届きました。

 11月の暮れで、私も41歳、紅葉美しいこの季節、澄み切った空を見上げております。つい昨日、思い立って自宅近くの茶道教室を探してみることにしました。お稽古から離れて久しく、ところどころ所作も妖しいと思います。小説の中に出てくる描写や登場する道具の名は苦もなく追えるのですが、実際、自分が改めてお茶室の畳の上に立った時、果たして最初の一歩が踏み込めるのかは、本当の所、不安でもあります。

 「日日是好日」。思い立ったが吉日。心が「始めちゃいなさいよ」と私をけしかけたのかも知れません。スタートラインは自分自身が決めるもの、ええ、根拠なんてないですけどね。

 

 

(1000文字雑記)

エゴイスティックファッション

 紅葉がカッと華やぎ、朝夕の冷気が身に染みるこの頃。目覚めの折、出勤の折、上着の襟を指先で立てたいくらいの気持ちになります。ついこの間、衣更えしたばかりなのに「この服装で良かったのかしら」と少し心許ない気にもなってしまいます。

 以前に書き留めたワードローブについての記事を思い出しています。ハンチングが好きなのはずっとの事なので、最近、被っているのは黒のウール100%の日本製。秋口にはデニム地のもっとカジュアルなのを愛用していました。いつも纏っているワイシャツはさすがに7分丈では辛いものがありますから、オーソドクスな白の長袖に変えました。この上へ化繊の薄物のカーディガン、ダウンのベスト。自転車を常用する為(子供の送迎から買い物まで)パンツルックが主流になり、ジーンズパンツ、ツイードパンツ、ストレッチパンツ、これらのヘビーローテーションです。よって靴も自転車に跨がりやすいローヒールの革素材。スニーカーもありますが、今は専らショートブーツかフラットシューズ。

 格別の着回し術も持ち合わせていないので、寒ければ更に上に何かを羽織り、暑ければ一枚脱ぎ、を繰り返している私。何が似合うという客観的視点にも立たない事が多いです。

 そもそも「自分に何が似合うのか」というのは本当に曖昧な感覚です。物事の本質を論じる高尚な事は出来ませんが、欲しい物を選ぶ時、目指す方向を模索する時、私はしばしば「好きか嫌いか」を指針にするようになりました。とはいえ、これも若い頃は人目を気にしてやり通せなかった事の一つであります。

 服装も、そう、振る舞いも、そう。「自分に似合うかしら」と、洋服店の姿見の前で試着服を吟味する時、私の中にはもう一人の「私」が腕組みをしています。そばで見立ててくれる店員さんも「お似合いですよ」と私の自尊心を励ましてくれています。私は様々なシチュエーションを懸命にシュミレーションして、服の見栄えを想像します。「貴女らしいわね」「素敵だね」と、「私でない他の誰かに」褒められたくて、認められたくて、昔の私は着る物を選んでいたのかも知れません。

 けれども、40代を生きる私は、ふと自分の両手を見るのです。「自分に似合う」を、自分でない誰かに判断してもらうのは、ちょっと違うと思います。

 それを身につけた自分を好きか、それをしている自分に満足しているか、大切なのはそういう「自己中心的な」部分なんですよね、結局。