あかりの森's blog

子供に「育てられてる母」の雑記帳です。九州男児の主人と5歳園児の長男、へこたれない次男1歳との賑やかな毎日。主にのほほん、時々、真面目。

名残

 頬の辺りに、芳しい香りを感じ辺りを見回せば、深い緑の高木にあるかなきかの小さい夕日色の花房が無数に散りばめられているのを見つけました。彼岸の頃、曼珠沙華の鮮やかな紅色があちこちを賑わせる中、朝風に、夕凪に、人の心をふくよかに染め上げるその花の名を、今は亡き我が父が「金木犀」であると、幼い頃、教えてくれたのでした。

 金木犀という花は、私にとってとても不思議な花であります。流れ来る芳香には立ち昇るような存在感がありながら、視点を定めて追い求めると途端に輪郭が曖昧になるような、言わば、だまし絵のような花であるといつも感じるのです。そこここに色付く滴りを奔放に点描していくというのに、誰にも素顔を見せない油断ならない人のよう。

 通勤の道すがら、楽しみの一つとして近隣のもの、神社の境内のもの、古い空き家にひっそりと佇むもの、それぞれの金木犀の香りを味わいます。それが、ある日、唐突にぷっつりと途切れてしまい、今までさして気にも留めなかったそれらの親木の足元に、役目を負えた黄色い花が黒々とした地面を明るくして散り敷いているのを見つける事があります。思わず溜息が出るのは、何故なのでしょうね。勿体ないような気持ちになるからなのでしょうか。一つの季節が過ぎて行く名残であるのでしょうか。華やぎを失った常緑樹を気の毒に思うからでしょうか。樹々の気高い香りを、勝手に喜ばしい物と思い定めて、無責任に淡い夢想を弄んでいたからでしょうか。

 思うのです、私達は良くも悪くも変化にとても弱いものであると。周囲の変化であったり、自分自身の変化であったり、その「変わる」という事象に全く揺るがないでいる事は、実はなかなか出来ないものなのですよね。変わり続ける事に嬉しくてワクワクしている時でも、クヨクヨしている時でも、ドキドキしている時でも、メソメソしている時でも、そのどの景色にも、平常心の自分と言う物を確立できないでいるのではないでしょうか。変化が大きければ大きい程、比例して身体の中心が音叉のように微細に震え続けてはいないでしょうか。

 平常心=平ら、である事は、禅の世界に没入でもしない限りはおよそ難しいのかも知れません。身を研ぎ澄ませて、周囲と自分が溶け合うような境地にあっても、恐らく、一通りの感情からは隔離出来ないのが「人」であるのでしょう。

 香りだけを残し、花は静かに錆びついたしがらみを脱ぎ捨てます。

 

 

(1000文字雑記)

 

祈る。

 北海道の今回の大地震で、苫小牧在住の弟が被災しました。自宅の停電は漸くの事で復旧したそうですが、まだまだ不便な地域も多く残されています。ライフラインの修理に献身して下さっている方々も、大半がご自身も被災者です。助け、助けられ、肩を寄せ合うようにして元の生活回復に向け、懸命に活動なさっています。

 御舅さんも御姑さんもニュースで嫁の弟が非常時である事をお知りになったようで、電話越しではありましたがお気遣いの言葉も頂戴いたしました。遠方でありながら、一つの家族として労わってご心配下さるお心が嬉しくて、直接電話を受けた主人から、その旨の事を伝え聞いた時、私は胸が一杯になってしまいました。古い因習に否定的な方々の意見はメディアでは連日画面を賑わせたりしていますが、嫁に入り、曲がりなりにも家族になった人達への深い配慮というのは、時に頼もしく、心強くもあるものなのですよね。

 就寝時、子供の寝かし付けの折、ふと、5歳の長男と今回の北海道での停電の話をしました。電気が来なくなり、自分の意志に反して真っ暗闇で過ごさなくてはならない経験を彼は経験した事がありません。親世代の私達は、夏頃に夕立の為の落雷があった時、何度となく停電をした記憶がある世代です。スイッチを押せば電気が点いて、ボタンを押せばガスが点いて、蛇口をひねれば当たり前に飲み水が注がれる世界、そこに生きる子供達に停電の不便さは、逆に目新しいものであったようです。彼にとっては叔父にあたる私の弟の現状を簡単な言葉で説明してやると、長男は目を輝かせて次々に質問を投げかけて来るのです。「それから、どうしたの?」「それはなんで?」「真っ暗になったらどうやって御飯食べるの?」。まるで物凄く面白いイベントがそこで繰り広げられているかのような反応です。「もう一回(叔父さん=私の弟、の)お話して」と、昔話の続きをせがむかのような無邪気さなのでした。

 今現在でも、私達のような小さな子供を抱えてらっしゃる親御さんは、どれほどの苦労をなさっているかと気持ちが塞がります。大人でさえ過酷である避難生活であるところを、わずかばかりの油断や窮屈で命の危険にさらされる子供達。それを見守る方々のご心痛、察して余りあります。

 台風被害での復旧もやっと始まったばかりの本国へ、また新しい台風が接近していると言います。被災の中での更なる避難。どうか、ご無事に。ご無事に。

 

 

(1000文字雑記)

あの空の下を、想う。

 9日4日、和歌山の実家で独り暮らしをしている母が、台風により被災しました。9月6日未明、北海道苫小牧で独り暮らしをしている弟が、地震により被災しました。2人とも、停電による不自由を味わいました。東京に在住する私からは携帯電話のみの連絡しか出来ませんが、2人共、手元の通信機器(スマートフォンなり、家庭電話なり)の動力は、やはり電気に頼っているので必要最低限の連絡しか取れません。先方の充電がなくなれば、全くの不通になってしまう危険があるからです。

 今では復旧していますが、和歌山の実家の場合、水洗トイレも電気での水の汲み上げをしていました。風呂の湯沸しもガス機器への点火は電気でした。ですから、停電中の母はバケツの汲み置きでトイレの始末をし、真っ暗な中で薬缶に沸かした湯で身体を拭いていたそうです。せめてもの救いは水道とガス(プロパン)の断絶が無かった事でしょうか。

 台風の次には地震。今回の震度は7であったそうですが、今までの教訓が生かされて通話の為に公衆電話が無料化されたり、スーパーマーケットの生活用品が安価で解放されたりしております。不幸中の幸いは、これが真冬でなかった事でしょうか。夏場は過ごしやすい北海道。冬の厳しさは他の都道府県の比ではありません。

 とにかく無事であるというメールが弟からは届きました。わずかな時間ではありますが、彼と通話にも成功しました。震源地から近い場所に住む彼の生活が、今後、どのように圧迫されてくるのかは想像が出来ません。激情だけで、無計画に被災地に駆けつけるわけにもいきません。「生きているのだ」という一つの希望を心に留め置きながら、私は日常生活を続けるのです。

 天災が通り過ぎた実家の母からは「屋根瓦が吹き飛ばされてね」と、苦笑と共に情けない報告がありました。周辺の業者も、あちこちから注文が殺到しその対応にてんてこまいであるそうです。自宅の修復に頭を悩ませているのは母だけではありません。仕方の無い事とは言いながら、これからの秋の長雨に雨漏りの心配をする日々が続きそうです。

 「明日は我が身」。この言葉は、私達が大きな厄災に見舞われる度にテレビからも新聞からも公の人からも近所の友達からも聞かされる言葉です。たまたま今まで無傷で過ごしてきた事が奇跡であるかのような私達の暮らしなのです。側にいる子供達を、ひたすらに抱きしめたい気持ちにさせられる言葉です。

 

 

(1000文字雑記)

原石

 イメージだけで表現するのなら、我が家の長男は「不純物をたくさん含んだ水晶」みたいな人だと思います。ちなみに次男は「伸びしろを残した鉄鉱石」。窓ガラスの一般的な硬度が“5”。水晶が7で、これで鉄鉱石を引っ掻けば傷が出来るとか。つまり、鉄鉱石の硬度は水晶に及ばないという事になります。一方、外的な光を多く通しやすいのは水晶で、実は硬度が高くてもハンマーで叩くなどの衝撃には弱いという相反するような特徴も持ち合わせています。

 長男で長子という環境からでしょうか、我が家の「お兄ちゃん」は気苦労を多く背負う性質に育ちました。良い意味でも悪い意味でも非常に純真です。外界の影響を濃く受けやすい部分もあります。尊大な羞恥心で、朝の挨拶をすべき人を吟味したり、親の見守りに際しても、細かい立ち位置を指定してきます。それでいて親である私と主人との会話を慎重に聞き取っていたり、自分が失敗して気持ちにやましいところがあると厳しい主人よりも、いくらか寛容な私へ失敗の報告をしてくるなど。彼の心の機微は時にいじらしくさえあり、時に面倒臭いほどにナイーブであったりします。対する弟はただ今、「プチイヤイヤ期」。着替えや食事には援助が必要ですが、スイッチが入ると俄然、自分でやりたがります。親の側の手順が違うと、スプーンで掬ってやったご飯も口をつぐんで食べません。ズボンを履かせる作業も、寝転んでしまって足をバタバタ、徹底抗戦の構えです。月齢のせいもあるのでしょうか、とにかく自分に正直に生きていると感じます。乳児期から一度眠ったら時間が来るまで起きなかった安眠型の長男に比べ、寝入るのに時間と手間がかかり、しかも就寝中も眠りが浅い次男は、眠たくて融通が利かなくなった我が身を持て余すのか、必ず側で眠っている親の体に眠気でぬくもった丸い体をぶつけてきます。最近めっきり重くなった次男。相撲のぶつかり稽古のような毎夜の儀式に、サッサと眠ってしまいたいこちらは体当たりの痛みを味わうという謎の流れでウンザリしてしまうのです。

 思うがまま、有りのままに生きているように見える小さい人達。まだ修学前の彼等の世界で、家庭が影響する場面はとても多いはずです。親から観れば、至極限られた選択肢の中にも、それでも逞しく「己」を貫く2人。やがて磨かれて、やがて鍛えられて、この目まぐるしい世界の「何者か」になる人達へ。丸くあっても、熱くあれ。

 

 

(1000文字雑記)

泣かない人

 はなから私は、自分が器用には生きられない種類の人間であるのは勘付いていました。少しの失敗や自分の不甲斐無さや、勝気な癖に妙に臆病である事などが重荷になり、それでも適当にいなす事が出来ずに視線が上げられない折がたびたびあります。環境が私を追い詰める要因に満ちている訳ではありません。息苦しく思えるのは、単なる自己への暗示でありますし、気詰まりを覚えるのはひとえに頑なに人との関わりを忌避している己の弱さであると自覚しているのです。

 俯きがちになる自分を、何とか奮い立たせようと眉間の辺りに意識を凝らし、強いて口角を上げてみます。せーの、で歩き始めた時は大きな歩幅で様になっていた姿も、進むに連れて尻すぼみになり、みすぼらしい元の自分に戻っていくのです。全部の自分を否定しているのではありません。ただ、たまたま今日だけの気の利かない、折れ曲がった自分を何とか持ち直したいと思っているのです。それなのに、どうにも上手くいかない事ばかりです。ジッと前を向いていないと、充血した両目から、また、ポタリポタリ、みっともなく涙がこぼれて来そうになります。労わられるのが気まずいのではありません。同情されるのが腹立たしい訳でもありません。いつの頃からか、無防備に人前で悲しい表情を見せる事に心が痛むようになっていました。これも子供から大人への成長の一つとするのなら、私は間違いなく激情をこらえる工夫を身に付けられた、大人の様な物に成れたのでしょう。

 誰しもが、確固として自分を支える指針を持つものではありません。綱渡りの毎日を繋ぎ合わせ、これを「日常」と名付けている人もこの世界には多くいます。生き抜く為に背中を押してくれる後ろ盾みたいな物が自分には存在していなかったとしても、用意され続ける課題を迂回する事は、生きている限り、生きる事を選択していく限り、出来はしません。

 泣くという行為は、与えられたストレスへの一時的緩和措置なのだと言います。泣かない人よりも泣く事が出来る人の方が何倍も自分を修復させる力を得るのだそうです。

 成長の過程で、泣く行為を避けるようになるのは、泣く行為そのものが無心な子供を連想させるからかも知れません。泣く人を疎ましく思う心理は、そのあられもない姿をどこかで羨ましく感じている照れ隠しの現れかも知れません。

 真っ黒な瞳に、いっぱいの涙を溜めて、大人になり損ねた人が、細い道を一人きり。

 

 

(1000文字雑記)

OLD ALICE in THE WONDER WORLD

 書き溜めて来た「雑記」も、ポツポツと溜まって来ました。始まりがあれば、勿論、終わりがあるのですけれど、最終回を意識する事なく続けて来た私も、一区切りをどこかにした方がいいのだろうか、など考えなくもありません。一万記事、まさかまさか。では一千記事、これもなかなか高い壁です。では、その半分500記事、これはかなり現実的な数ではありますね。

 去年の12月4日に「あかりの森」は誕生しました。正確には、ずっと私の心に育っていた名も無い思い出や捨てきれなかった想いの数々が、新しい名前を得て生まれ直したようなモノでした。書き綴っていくうちに、言葉にならなかった感情のやり場や、表現しきれなかった気持ちの置き場や、小さな家族内での出来事の記録簿が「森」の中に大事に仕舞われていくようになりました。小鳥や、可愛らしい生き物が木陰を求めて集まって来るように、私はこの「あかりの森」の画面を開くと、忙殺されていた日々の意味を一つ一つ紐解いて見つめ直す事が出来るようになっていました。嬉しくも、言葉を交わす人達が出来ました。感心するような記事に出会う事も出来ました。決して、今の生活が虚しい訳でも、退屈な訳でも、まして疎ましい訳でもありませんが、それとはまた別格の慰めを恩恵として受けていたようにも思います。

 生まれてから老いて死ぬまで、私達の命はとても流動的です。大袈裟な言い方をすれば一瞬として同じ一瞬はないのです。毎日、激変していく子供達がすぐそばにいれば、余計に周囲は騒がしく慌ただしい物になる事でしょう。これらをつぶさに、一つも漏らす事なく把握し、記憶し、良い事を次の機会に生かそうと決心する事がいかに至難な事であるでしょう。親という立場であればなおさら、時々立ち止まって、這う這うの体で椅子に腰かけて、冷めた茶をすするので精一杯、そんな日の連続であります。

 そこに、少しの彩りを、そこにこそ、わずかばかりのセーブポイントを、許される範囲での「何者でもない」私を転がして置く場所を作る意義。娘でもなく、妻でもなく、母でもなく、〇〇さんの奥さんでもなく、一個の石ころのように、私を自由に転がして置く場所、肝心の置き場所さえ確保しないような奔放な場所こそが私にはこの「あかりの森」でありました。

 1000文字、執筆時間20分、時々、甘いお菓子と香ばしいお茶。時間を忘れたアリスのように、言葉の世界で、神隠し。

 

 

(1000文字雑記)

終わってゆく、君等の夏

 井上陽水さんの『少年時代』や森山直太朗さんの『夏の終わり』の歌詞が心に響き何となくしんみりしてしまう頃、夏という季節が一区切りしたのに気付きます。家庭で過ごした色濃い思い出を抱えて、いよいよ新学期、子供達が一斉に学舎へと戻ってきます。

 まだ長男も保育園児の我が家では、その実感も感慨も概念として想像してみるだけで、しみじみと身に染みて感じるには後一年の猶予が設けられています。子供ながらに大人と同じようなコミュニティーで生活している彼等。慣れた環境から違う環境へ、金魚が新しい水槽に少しずつ馴染んでいくように様変わりしていきます。

 就学前の長男が、保育園以外で取り組んでいる課外活動にテニススクールがあります。現在、間借りしている物件の大家さんが所有しているテニスクラブに通い始めて1カ月。週に1回のスローペースであるので、上達云々というよりも刺激のある息抜きと言った感じです。元々、人見知りで恥ずかしがり屋の彼は、毎回担当してくださるコーチにもハッキリとした挨拶が出来ません。先方から溌剌と声を掛けていただいても、付き添いの私の方へ何故か顔を向けて、コーチの声が聞こえなかったかのように全く関係のない話を声高に話し掛けて来ます。恐らく、彼なりの照れ隠しなのでしょうけれど、これは余り好ましい状況ではありません。挨拶は集団生活では基本です、看過する事は出来かねる事項です。

 この息子の羞恥心について主人に相談した事があります。保育園での生活においても、登園時の保育士との関わりも似たようなもどかしさでありました。随分前から気にしていたのですが、さて一年生に進学したところで、いきなり改善する物でもないと思ったのでした。主人の答えは、こうでした。

 「(息子を送り迎えする)お前(私)が、(彼を)少し早めに送り届けてやれよ」

 人と馴染む事と、教室に早く入る事と何の関係があるのか、その時はピンとこなかったです。そのまま疑問を返すと、彼は言いました。

 「ある程度、場の雰囲気が出来ている所に、いきなり放り投げてもまだまだ息子は小さいんだから二の足を踏むだろう」

 なるほど、と腑に落ちました。

 人間付き合いが得手、不得手、その子の個性は確かにあります。不得手な性格である息子にこそ、まずは出来る範囲での環境作りをしてやろうと思いました。甘やかし、というのではなくて、親が出来る手助け。今だからこそ出来る「ならではの」手助け。

 

 

(1000文字雑記)

反旗を翻す。

 自分の「完成形」って何なんだろうなと思うのです。今の自身に満足出来ていない状態の人が大勢世の中にはいて、居場所を探していて、現状をうらんだりしています。世界に不満をぶつける歌詞の歌謡曲も相変わらずヒットを飛ばしていますし、SNSから不満の声が無くなる事はありませんし、テレビの画面からカーラジオから暗いニュースが流れて来ない日はありません。

 実家の母は、娘が成人した後でも何の悪気もなく娘宛の封書を開けますし、主人は家族で外食すると車の運転があるにも関わらず駆け付け一杯の生ビールジョッキを欠かしません(運転が苦手である私を当てにするのは止めて欲しいです)。5歳の長男の保育園のロッカーには、持ち帰りそびれた泥だらけ汗まみれのTシャツとズボンと靴下が詰め込まれていますし、発熱下痢口内炎に夜泣きの次男のおかげで早くも上半期で私の有給は消化できてしまいそうです。

 早くに帰宅しても自分の晩酌に余念が無い主人は、夕飯の支度で忙しくしている私に自分の酒の肴を要求しますし、子供達の送り迎えは基本的に「俺の仕事ではない」とのルールが出来上がっています。私とて、万能の母、そつのない妻、如才ない娘ではありませんから疲労や体調不良や心理的な浮き沈みで、時折、糸がプッツリ切れてしまう事があります。現実の厳しさ、現実のままならなさ、所々に点在する暗い穴のようなもの。

 しかしながら、それは「周りが」とか「相方が」とか「手助けが」とか、何かしらのすがるものを待ち望んでいた時には不思議と解決しない、言わば放置された傷のようなものだと気付きました。嫌なら嫌と言っても良い、怒っているなら怒っている態度を示しても良い、それに不可抗力ながら思い至った時、ちょっとだけ私の中で錆び付いていた汽車の車輪が回り始めたように思えたのですよね。主人に立腹していても、子供の前では笑顔でいなくちゃ、なんて、菩薩でもない私に出来るわけがありませんでした。風邪を引いている時にも栄養バランスを考えて、いつも通り丁寧なご飯を作るなんて無理なのです。自分を「いい人」でいさせる必要はないのじゃあないかな、と。

 子供達も実は解るのです。「ああ、今、お母さん、お父さんと喧嘩してるんだ」とね。主人が我が儘をするなら、私だとて我が儘をしていいはずです。辛抱はしても良い、でも我慢はしなくて良い、「平和の作り方」なんてそれぞれの家庭の数だけあれば良いんですよね。

 

 

(1000文字雑記)

形無きものの作法らしきもの

 1000文字という枠で自分の中に浮かんだ事象について書いています。やり始めたのはここ最近。これが少し楽しくなってまいりました。旅行記を記すには制限を外しますが、日々の雑記はこれが今のところしっくりはまる気がしています。

 1000文字は原稿用紙(400字詰め)2枚半。随筆を書き始めるとつい長文になってしまい、冒頭と末尾の食い違いに自分自身が気持ち悪くなってしまう事があります。規制を掛けるのはそれの防止。誰に見せる物でもない為、ダラダラと書き進めていくのが相応しいのでしょうけれども私の場合は書き進む内にも中だるみするようです。

 私はとてもおしゃべりな方ですから、話の内容には引用や尾鰭を付けたくなります。家族の事、子供の事、身の周りの事に関しては特に記録の意味も込めて出来る限り書き残して置きたくなります。という具合ですから、話は長くなり、まとまりが無くなり、のんべんだらりと末広がりに仕上がります。逆に表現すれば自由。

 私は過去に出版社へ自作の小説を投稿した経験を持ちます。本編の他に著者のプロフィールと原稿用紙2枚分のあらすじを添付するのが応募に関しての必須でした。聞くところによると原稿用紙2枚分というのが、無駄が無く、かつ本人の執筆能力を精査するのに適当なボリュームであるそうです。自作の小説ですから、筆者の思い入れも自然と強くなり、あらすじを書き出すにもつい大仰な表現や感情的な文言を盛り込みたくなります。しかし、それを客観的な視点で添削し推敲し、冷静な目で第三者へ紹介出来る力量というのが実は執筆者として結構大切な能力であるのだと言う事でありました。

 かと言って、ブログ記事にそれを当てはめる必要はありません。与えられた無限の自由形式こそがブログの魅力でありましょうから。ただ、書く事が好きな私にはこれは癖として、文字数であったり言い回しであったり語感であったり余白であったり句読点であったりを自分なりに丁寧に扱いたくなってくるのですよね。他の人にまでこれらを求めているのではなくて、単なる習慣として何となく自分の中に存在する言わば「呼吸法」みたいなものと言えるかもしれません。

 今までで一番お金と時間を費やして来た物こそ自分の強みである、という事を以前耳にした事があります。とするのなら、私はやっぱり「言葉」が好きですし、そこに醸される波長のようなものに心惹かれるのですよね。

 

 

(1000文字雑記)

いろは、にほへと。

 書道を始めたいとずっと思っています。正確には「再開したい」でしょうか。手習いしていたのは小学生の頃。週3度通っていた教室の師範は「滝本先生」と言います。普段は消防署勤務で夕方から夜にかけて間借りしている住宅の一室を使用し生徒指導に当たられていました。今、思い返してみるに趣味の延長線上のご教授であったのでしょう。汚れ防止のフェルトを敷き詰めた教室で、何本もの座卓が並べられた中、騒ぎたい盛りの放課後の子供達が騒々しく友達と私語をしながら書道をしているのです。正座こそは必須でありましたけれど、その日のノルマのようなものも曖昧で気が済むまで居残りするのも自由でした。友達同士であまりに盛り上がり過ぎては、時々、巡回してくる滝本先生に叱られたりして。書道への「本気度」ごとに、開け放たれた続きの間の3部屋が何となくメンバー固定されている教室で、古い言い方をすれば「寺子屋」と言う呼び名が一番しっくりくる様相であったと思います。

 中学生の時に大阪から和歌山に転居した私の家族。それ以来、お会いする事もなくなってしまったのですが、もし先生がご健在なら70代か80代。懐かしさがこみ上げてきます。

 職場ではほとんど手書きの文章を書く折はありません。日常生活でもコンスタントに自筆するのは子供達の連絡帳くらいです。郵便受けに届く書簡も、ほとんどがワープロ打ちのものです。確かに、自分の字に頼らなくても暮らしに何の不自由も感じません。メール、ライン、電話。手書きの文章などは、何を今更、という世の風潮でしょうし、履歴書や届け出の類も「詳しくはウェブのフォームから」とか「A4サイズで打ち出した物に限る」といった具合です。

 だからこそですね。前触れもなく届いた暑中見舞いや、返礼の手紙の温かい筆跡が殊の外嬉しく感じるのは。字は人となり。人の書いた文字というのは、ある種、絵のようだと思うのです。払いや止めの美しい動きであったり、文字と文字の空間であったり、文字同士の繋がりであったり、それらが全体に広がる様子であったり。書き手のセンス、たぶん、そう言った事が手書きの文面に現れてくるのが「趣」を形作るのだ、と。一文字、一文字、記していく筆者の心底が、刻まれるようにそこに浮かび上がってくる様。デジタルの画面を見る時、ついついフォントに興味が引かれるのはそれが私の根源にあるからなのでしょうね。奥ゆかしい形に、ふと魅了されて。

 

 

(1000文字雑記)