あかりの森's blog

子供に「育てられてる母」の雑記帳です。九州男児の主人と5歳園児の長男、へこたれない次男1歳との賑やかな毎日。主にのほほん、時々、真面目。

「ぱれ部」活動日誌(『あかりの森’s bog』課外活動報告記):山中湖温泉(忍野八海→ホテルマウント富士→富士急ハイランド)8/18・19

 山中湖温泉への旅。宿泊先は「ホテルマウント富士」で、1泊2日の小旅行でした。5歳園児と1歳半園児を連れ歩くには1泊くらいが丁度良いのかも知れません。JR立川駅からのホリデー快速はほぼ満席。家族はバラバラになりましたが、幸い全員が座れました。盆休み最後の土日ですので混雑は無理もないでしょう。救いはこのところの爽やかな気候です。旅程一貫してうだるような暑さからは解放されました。

 大月駅富士急行に乗り換え。紅色の車体の観光列車に乗車です。大きな車窓と、木目を基調にした明るい車内。電車好きの長男は始終御機嫌。子連れの移動において、息子達が乗り物好きであると本当に移動時間は平和ですよね。まだまだ赤ちゃんの次男は時々グズりますが、殊に長男に至っては車だろうと電車であろうと「もう、グズって大変!」という経験が赤ちゃん時代から皆無です。有り難い。

 富士山駅で下車。周遊バスで一路、忍野八海(おしのはっかい)へ。富士山からの湧水が自然と湧き出している一帯が景勝地として名所になっております。あっちにもこっちにも想像通り人が密集しておりました。その分、環境整備もされており、我が家の幼い人達も何とか親からはぐれず、頑張って歩けました。半分はアジア系の観光客でしたか。あらゆる言語が飛び交っていて「さすがは世界遺産」と、観光後は少しグッタリ。

 私がここでの初めての経験は昼食に名物の「ほうとう」を頂いた事。きしめんよりもうんと太いもっちりの麺は、夏場に食べても元気がモリモリ湧いてくるよう。海鮮ほうとうを注文したので、魚介風味の味噌が太麺に染み込んで美味。次男もグングンおかわり。

 入った食事処は参道のすぐ外に店構えがあり、私達は混雑を避けてそこで食事を摂ったのですが、とにかくお店の作りがユニークでした。客席は畳敷きの座卓席。子供連れはこれに限ると思います。そして私達の度肝を抜いたのが、店の奥に設けられたステージ(?)。店舗自体、下を流れる小川に迫り出すように作られているのですが、なんと、床も壁もガラス張りのステージはその小川を踏むようにして設計されているのです。つまり、透明な床部分を眺め下すと、清流の中で泳いでいる真鯉の群を踏みしめているかのような趣きになれるのです。これには息子達は大興奮。新たに入店した親子連れも、漏れなく子供はステージに上がっていきます。いやはや、思わぬ所に子供を喜ばせるアトラクションがあるものです。観光地の飲食店らしく店員の方々も大変親切で、混雑を避けた末の店選びでしたが、良い思い出になり嬉しかったです。

 忍野八海からはそのまま宿泊所に向かいました。今回のホテルは山中湖から200mも高所の高台にあります。シャトルバスが出ているのですが、忍野八海からではなく山中湖まで移動しなくてはなりません。車道はやはり盆休みの都合で渋滞気味。忍野八海から山中湖まで自力でバス移動です。大きな旅行鞄を抱えた海外の方達で車内はごった返していました。けれどもここでも何とか座席確保が叶いましたので一安心です。何度も言いますが、天候は大事ですよね。爽やかにカラリとした夏の日、汗はかきましたが疲労度が違います。

 山中湖で下車して、シャトルバスを待つ間、歩いて3分の位置にある山中湖畔で時間を潰しました。白鳥の足漕ぎボートに混じって、本物の白鳥が2羽、青々とした水面に浮いて、のんびりと羽根を休めておりました。ここまで来ると、水際を通り過ぎる風が肌に冷たく、夏日とは思えない程、空気は冴えきっておりました。噴き出ていた汗も一気に引いていくよう。さすがは避暑地、束の間の涼味に身を委ねます。

 程なくシャトルバスが到着。ホテル好きの長男お待ちかねの宿泊施設へ出発です。

 

 

  (続く)

 

コント「もしも、醜いアヒルの子が子育てをしたら」

 「みっともないからやめなさい」というのは至極まっとうな注意の仕方だと思います。ただ、これは誰にも迷惑を掛けていない幼い子供の戯れに対して、見栄を張りたいだけの保護者が口にするのは適切ではないのではないでしょうか。

 車道沿いの田舎道を、13歳の私と11歳の弟が母に連れられて歩いていました。散歩に出たついでであったのか、あるいはどこかへ向かっていたのかは忘れてしまいました。弟が、拍子を取りながら飛び跳ねるように大股で道を横切る遊びを始めました。それが余りにも面白そうだったので私も彼の後に続いて、横っ飛びしながら道を進みました。その私に対して母は険しい表情で叱責しました。「みっともないからやめなさい」。当時の私は何故母が急に声を荒げたのか解りませんでした。弟は構わずドンドン先を進んでいきます。一度立ち止まった私も、愉快な彼の仕草に触発されて再び横っ飛びを繰り返しました。すると母は更に強い口調で「常識の無い子だね」と私の腕を引き掴みました。注意されたのは私だけ。本人に確かめた訳ではないので真実は解りませんが、想像するに、その時の私は母が理想とする「女の子」の姿からは程遠い行動をしていたのだと思います。ケタケタと大口を開けて笑ったりはしない、男の子と同じような激しい遊びに興じない、少し伏し目がちの、背筋がシャンと伸びたような女の子の姿から、当時の私はかけ離れてしまっていたのだと思います。

 私には娘がいません。ですから、娘を持つ母の想いは憶測でしか判断出来ません。ただ、そうであっても、子を持つ者として感じる事は「みっともない」というのは誰に対して使われる言葉なのか、を意識した方がいいだろうという事です。見苦しい行動をした当事者である子供が人様の気持ちを害するのであれば、これは親として細やかにフォローすべき事でしょう。しかし単に「私は優れた躾をしている親だ」という親自身の虚栄心を守る為の行動であるのなら、これは危ぶまなければならない事ではないでしょうか。安易に口にしてしまう「貴方の為を思って」。でも時にそれは非常な「おためごかし」に成り下がってしまうケースもあるのではないでしょうかね。

 外聞をとても気にする人であった母。彼女も彼女なりに手探りの子育てで苦労してきた事であろうと思います。今更、それに恨みを言うつもりはありません。

 ひたすらに、これは至らぬ私への戒めなのであります。

 

 

(1000文字雑記)

むかしむかしあるところに。

 『ゴールデンカムイ』(野田サトル原作)のアニメを観る度に、私は何度も自分の弟を思い出します。2歳年下の彼は今年で38歳。今は北海道の苫小牧に在住しており、そこに移住したきっかけは競馬職員を育成する専門学校への入学でした。なかなか北海道内も不景気の煽りを受けて厳しい状況であったのだと思います。紆余曲折あって、現在では全く別の職種で管理職にまで昇格した彼ですが、いよいよ基盤は北海道に移り、恐らく実家に骨を埋める事はこの先、ないのだろうなあと私も、そして弟自身も考えているこの頃です。

 漫画原作の『ゴールデンカムイ』をアニメのみ知っている私は、そこに描かれる北海道の景色と人々の純朴さに心を掴まれます。冒険活劇でありサスペンスであり暴力表現も含まれる原作でありますから、くみ取れるものはあまり穏やかな物ではありませんが、端々に描かれる人同士の交流が何だか懐かしい物のように私には思えます。

 以前、弟に「どうして北海道に住み続けるのか」と尋ねた事があります。「人が温かいからかな」と返した彼に、妙な納得を覚えたものです。私自身が北海道に住み着いた訳ではありませんし、その土地に訪れる時は必ず旅行者でしかあり得ないので偉そうな事は何一つ言えないのですけれど、彼が言い表す「人の温かみ」は何となく分かる気がするのです。

 弟は、そもそも、口数が少なく、心の底でもの凄く多くの事を熟考するタイプの人間です。だからこそ、それまで彼をとりまく目まぐるしい世界の中でとても苦労した事もあったろうと推察します。その彼が、心穏やかに過ごせるのがたまたま北海道という広大で逞しく彩り豊かな懐の深い土地であったのでしょう。

 馬の放牧地や、動物園のふれあい広場、野ざらしの飼育広場に彼が行くと、不思議な事なのですが、そこにいる馬、ラクダ、シマウマ等が、柵の外をブラブラ歩いている弟に向かってすり寄ってくるのですよね。敵ではないと分かるのか、あるいはもっと深いところで通じる物があるのか、彼と動物達との交流は、まるで童話世界の出来事のようなのでした。オーイオーイと、低く響く弟の声に、首を振りながらゆっくり近づいてくる動物達。鼻面を伸ばし弟の手の匂いを入念に嗅ぐ仕草の可愛らしい事。人間の何倍もの体をすり寄せ、じっとしている姿。弟と「彼等」。虹を映したような優しい目で、あるがままの景色を眺める姿が、互いによく似ていると姉には思えるのでした。

 

 

(1000文字雑記)

あなたとわたしの「いただきます」

 朝昼晩と3食の食事を摂るようになったのは、明治時代からだという説があります。1日1食しか摂らない、という先輩がかつての職場にはいました。伺った時には随分と不規則であるようにも感じましたが、逆に言えばとても燃費が良い体質とも言えるでしょう。

 食事は基本的に空腹を感じるから摂る物です。その時間になったら自然と空腹感を覚えるように体内時計を調節する、という考え方もあります。いずれが正しいかを決める前に、やっぱり大切なのは食事の時には程よい空腹感があって、食事中は満たされながら食べられている状況が第一なのではないかと思うのです。

 美味しい物(豪華でなくても構いません)を、心が安らぐ環境(静かな方が良い、賑やかな方が良い、様々)で、落ち着いて済ませられる、これを「食卓」と呼ぶのがふさわしいような気がします。

 ドイツに研修にいかれた上司が以前、話してくれた事です。ドイツの一般家庭は朝昼食を割としっかり摂るのだそうです。家族そろって、時にワインなども並ぶ食卓にボリュームのある皿が何枚も出てくるとか。そうして夕食はほとんど火の気を使用しない、つまりあり合わせのサラダや、ハムやチーズを適当に揃えてパンと共につまんで終了。その程度に晩餐は慎ましいと言うのです。ですから冗談交じりに彼が言うには「日本から嫁に行くと、晩ご飯が温かい物でしかも豪華になるから喜ばれるよ」ですと。別名、ドイツで言うところの晩ご飯は「冷たい食事」と呼び習わされているのも頷けます。

 近頃、私の食事は2食性になってまいりました。昼間は職場で過ごすので、休憩時間に落ち着いた雰囲気で摂る事が可能です。これも子育てあるあるの話かも知れませんが、手のかかる人がそばにいると、彼等に世話を焼きながらの食事になるのでまさしく「座って食べられない」状況へ簡単に陥ります。それが朝食である場合も、夕食である場合もあります。決して家庭的でない主人という「大きな子供」が同居していればなおのこと。けれどもこれはこれで不健康ではなくて、体調がそれに沿って変化してきているのか、空腹を覚える時間が日に2回に絞られてくるものなんですね。

 本当の健康はどういったものなのか、時々考えるのです。目指す場所は一つ(例えば、目的地が「健康」として)でも方法はいくつもあるのだと考えれば、食べる子も食べない子もそれぞれきちんとモグモグ出来ていればそれこそ理想の食卓ですよね。 

 

 

(1000文字雑記)

議題:異文化交流

 何でもかんでも揉め事にするのは賢明ではありませんが、我が家の場合、主人と私が全く別の惑星に住んでいる「異星人同士」でありますので、1から10までが異文化交流なのであります。6年夫婦をやっておりますが、それはもう毎日が新発見、驚きの連続です、お互いが。

 一つには子供の食事に対する価値観の違いです。私はせめて3歳くらいまでは子供に生クリームたっぷりのケーキや、チョコレート菓子、アイスクリーム、キャンディー等を与えないようにしたいです。駄菓子の類も、自分でお小遣いを使うようになれば自ずと友達同士で勝手に飲み食いすると想像しているので、あえて親の方から積極的に渡さなくても良いと判断しておりました。一方、主人はそうでないらしく(自身がスナック菓子やアイスクリームが好きなので)うるさい私の目を盗んで子供達に買い食いをさせる方なのです。食事作りが出来ない彼は、私が職場から帰るまでに空腹であれば酒のつまみにポテトチップスを一袋、軽く空けてしまうタイプの人。つい先日もそれで私の怒りが爆発したのですが、自分が間食をするついでに、1歳児の次男にスナック菓子をホイホイやってしまっていたり、あまつさえそれに悪びれもせず「お前(私)の食事の用意が遅いからだ」と反撃。火に油を注がれた私は更にヒートアップするという出来事がありました。

 確かに、私が帰宅後そのまま台所に立っても、食卓に食事を並べるまでは時間ロスが発生します。子供達も空腹のまま悲しい思いをするでしょう。苦肉の策でバナナやレーズンパンを囓らせておくという手もあります(実行もしていますが、不本意)。かと言って、お菓子でお腹を膨らませて満足させるのは、私には生理的に受け付けられない事であったのです。「食事作りが面倒なら、コンビニ飯でいいじゃないか」の理屈も、何となく受け入れられない私は(意固地な自分)、たぶん、気持ちが狭いのだろうと思います。せっかく手作り出来るように予定を組んで、買い物をして、下ごしらえまで済ませておき帰宅してからの怒濤の調理。これの段取りまでを組み立てていたのに、何だか立つ瀬がないなあと思ってしまうのです。別に「私の頑張りを汲み取れ」と言っているではなくて、ですね。などと、ため息が出てしまうんです。

 人類が火星に移住するのに後何十年かかるかは分かりませんが、我が家の異文化交流はまたしばらく難航しそうな雲行きであるらしいです。

 

 

 (1000文字雑記)

土の香り、水の香り

 盆休みの世間。東京郊外の御宅は、いづこかへの里帰りが多いのでしょうか、ここ2,3日、とても静かです。日中はまだ、煮えるように暑い日が続いておりますが、吹き付ける熱風の中にショッキングピンクに彩られた百日紅さるすべり)ばかりが元気はつらつ、咲き誇っています。

 汗を拭きつつ、鉢植えの植え替えをしました。春先に空き地で拾って来た楓の若木を、仮の鉢から陶器の鉢へとお引越しです。本格的な庭いじりの道具は持ち合わせていませんから、プラスチックゴミをキッチンバサミでカットしてスコップ代わりに、根菜ケースを培養土ミックス用ケースにしてチクチクと昼下がりの内職。雑貨屋で購入してきたパキラもテーブルヤシも近頃、ますます逞しく生い茂って来ました。着生植物であるシノブは相変わらずどんな天候にもシレっと涼し気に順応しております。苔玉に植えられたラカンマキは、弱ったり甦ったりを繰り返しながら、着実に若葉を増やして参りました。月美人という多肉植物は、根元に小さな株を付けました。これを千切って別に飢えれば、新しい月美人の苗へと成長するでしょう。

 可愛いモノです。水やり一つとっても、日照時間の管理や陽射しの調整であっても、それぞれに工夫が必要で、例え、同じ種類の株でもコンディション次第では全く別の対処が必要です。空気の湿り気とか、日の出の速さとか、一鉢、一鉢と向き合いながら霧吹きで水をやり、あるいは直接たっぷり水を回し掛けたり、対話と言うと大げさなのですが、それもまたやりがいのある面倒臭さなんですよね。

 観察をする事は、つくづく大事な事だと思います。大事というよりも、それ以外に上手に育てる方法は存在しないんじゃあないかと思えるくらい根本的な事かも知れません。変化を見逃さない、見守る姿勢を崩さない、地味ですけれどそれが苦にならない人が「育て上手」な人なんじゃあないかな、と近頃気付きました。

 変化なんて微々たるものです。瞬きの次の瞬間の、子供の顔色の違い等、私達はついないがしろにしがちであるようです。植物と子供は全く別物ですけれど、よく見て、よく見て、よく見て、接する以外に本当は上手い方法なんてないのじゃあないかしら、とふと考えます。掛けてやれなかった言葉、触れてやれなかった背中、見逃してしまっているサイン。

 子供は、植物ではありません。

 決して、物言わぬ植物では、ないんですけれどね。

 

 

 (1000文字雑記)

涼風至(すずかぜいたる)寒蝉鳴(ひぐらしなく)

 「秋です」。

 などと文字にしてみても実感がないくらい、照り付けが厳しい毎日です。28度設定の空調で、閉め切った室内にいても、料理の為に台所に立てば、たちまちこめかみから雫になった汗が滴り落ちてまいります。ただ、暦の上では「立秋」も過ぎ、暑中見舞いを出すには時期を過ぎたこの頃ではあります。そもそもが、七十二気候は旧暦に添っていますから現代人の我々には体感は妙であります。

 夜になっても25度を中々下回りません。寝室の窓をキッパリ開け放つよりも、ついつい空調に頼ってしまう日々。タイマーを掛ければ掛けたで室温の上がり切った寝苦しさに途中で目が覚めますし、朝まで空調を掛け続ければ身体の冷えや喉の渇きで寝起きが良くありません。氷枕や冷感寝具でやり過ごそうにも、大人はともかく寝相の崩壊した子供達はいつの間にやら冷たさを求めて畳の上へ転がり出て行ってしまいます。扉と言う扉、窓と言う窓を開け放して、天井からは蚊帳を吊って蚊やりの線香を縁側に炊いて、団扇でやり過ごすような懐かしい眠り方が出来るのなら全くそれに越した事は無いのですが、昨今の熱帯夜や、物騒な世の中とかが物理的なハードルになるのは悲しい事です。

 ただ、大きな台風がいくつか過ぎた辺りからちょっとした変化がありました。気付いたきっかけは「虫の声」。夜更けに降る雨に気付いて、薄く開けていた窓を閉めようと起き上がりました。網戸の向こうから、タップリと湿気を含んだ重い空気が流れ入ってきます。これで、少しは涼しくなってくれればと耳を澄ませば、濃度のある闇の中から途切れ途切れに虫の声。ホロリホロリと口の中で鈴を転がすような優しい鳴き声が微かな雨音に混じって聞こえてきます。時々、どこかで雷が鳴っているのでしょうか、雲の一角が白く明るく光ります。私が幼い頃は、夏の夕暮れ時には必ず夕立が降りました。邪魔な物を洗い流すような激しい雨が降りしきった後は、あっけらかんとした宵の静けさが残されていました。うだるような夜と、すっきりしない明方とが繰り返されていたここ最近でしたので、ちょっとした疲労が溜まっていたのでしょうか。秋の虫が、律儀に夜を鳴き通す、そんな悠長な夜も実に新鮮に思えたのでした。

 「秋です」。

 まだ、その呟きは、いくらか空々しいですが、こうやって夜の片隅から少しずつ、季節は移ろっていくのだと気付かされた一コマでありました。

 

 

 (1000文字雑記)

嵐の日にも。

 妙に白い空から、細かい雨が降り続いています。今夜に関東地方へ最接近するという台風の影響で、電線が上下するほど風も強く、巻き上げられた細い雨があらゆる方向へと叩きつけられていきます。しばらくの猛暑続きで体力を使い渋っていた蝉達が、雨模様の中を木陰に寄り添いながら声を限りに鳴き続けている薄ら寒い昼時。

 用事の手を止めると、ついつい思い出してしまうのは長男の事です。5歳の彼は保育園においては、いわゆる「大人しい子」ではありません。遊び場の取り合いで相手に食って掛かったり、口達者な女子に腹を立ててキックをお見舞いしたり、12色組のクレヨンの内、11色を紛失してしまったり、下ろしたてのTシャツで泥水の中に突進していったり、散歩中に先生へ楯突いてビンタを喰らったり(そのビンタを喰らわせた男性職員の事は保育園内で大問題になりました)、凡そ平穏な事と無縁な男子であります。迎えに行った私が、事後報告を受けて職員の方々や、喧嘩になった相手園児の保護者様方に頭を下げるのは昨今では実に日課のようになっております。

 昨日は昨日とて、多目的室(園で呼び習わしているところの「ホール」)に置いてある器械体操用の緑色のマットレスに、何をはしゃいでいたのか黒の油性マジックで大きな落書きをしてしまったとの苦情を頂きました。事件発覚後は当然の事ながら担任の先生にも問い詰められ、園の備品である為、園責任者である副園長先生にも立て続けにお説教をいただいたそうです(園長先生不在につき、対応は副園長先生でした)。やってはいけない事であったという大まかな事は、犯人である息子にも解っているようです。犯行を巧妙に隠蔽すると言う事は、5歳児には出来る範囲ではありませんし、どちらかというと彼がやりたかったのはその真逆で「ふざけ心の延長」「注目を浴びたいが故の奇行」であったと思います。

 事の経緯を伺ってから彼を連れて帰宅するも、私の気持ちは大いに塞がったままで、寛大な心で子供の心情と向き合うなどという聖母のような事は出来ないのでありました。叱り飛ばしたい欲求があるわけでもありませんでしたし、擁護するべき事でもないのは判然としておりましたので、ただ、悲しいやら呆れるやら、繰り返される軽微で実に迷惑な無邪気な罪に実母ながら心底、重い疲労感が覆い被さって来るようにさえ錯覚いたしました。

 これも我が子、間違いない我が家の長男です。物事の善悪は、5歳にもなればうっすらと輪郭は解っているはずです。自己顕示の材料に「いたずら」を使用している時点で、自分が行っている事の是非は(真理までは汲み取れないながらも)判断出来ているのですよね。暗い溜息を吐く目の前の母親に対して、あえて視線を合わせない息子の態度にも彼なりの罪悪感は見て取れます。追いうちを掛けるつもりもありませんし、委縮して欲しくもありませんが、言うべき事もやはり親として言わねばならない時があります。我が家では日常の小言は、母である私が、躾の要となるような重要度の高い事案には、彼の父である主人が訓戒を述べます。子供達と私で夕飯を済ませ、遅れて帰宅した主人に長男を向かわせました。援護射撃を要求する長男の私への甘えた態度はいっさい無視します。帰って来た早々に、夕飯より風呂より優先させられた子供からの訴えで、ちょっとだけ主人は迷惑そうな顔をしておりました。たどたどしい子供の発言から、その日、息子がやらかした事件の一部始終を辛抱強く聴き取っていた主人は、開口一番我が子に対して「お前、それは良い事なのか、悪い事なのか」と問い質しました。姿勢を正した長男は、ひどくモジモジしながら主人を上目遣いに見上げたまま。

 正しい事、正しくない事、やって良い事、悪い事、我が家はまず、子供の見解を確認してから話が始まります。親が「相応しくない」と認識している事でも、例えば子供がそうは思っていない場合、こちらが一方的に話を進めて行ったとしても最初の入口が違っていれば最終的に互いの話にはズレが生じ、確認不足のまま話し合いが終了してしまう恐れがあるからです。子供相手に、と大袈裟がられるかも知れませんが、私と主人の共通認識として「子供は判断力が幼いだけで、それは馬鹿であると言う事とイコールではない」というのがあるからなんですね。つまり、子供に不足しているのは善悪の決定力ではなくて、単に経験値であるという考え方です。出会ってきた事象が少ないので、体験から得られる因果関係の学習が不十分であるという訳です。子供にも、子供なりの(狭いながらも)ルールに基づいた世界がある訳で、その中で彼らなりに逆らい難い決まりに従って行動していると(仮定)して、一度、どの程度の話から始めれば良いかを探る事から親子の話し合いは開始されるのです。

 昨日の時点において、主人と息子との間で取り決められた事項は2つ。(当然の事ながら)今後、公共の物を勝手に私物化しない事。それから、今回の件で(今まで自由に出来ていた)スマホ閲覧は(親サイドが許しを与えるまで)無期限で閲覧禁止、要は罰則です。2人の話し合いの現場を私は実は見届けておりません。長男と主人がお風呂の中で、入浴しながら最終決定した為です(我が家ではしばしばこうした男同士の「お風呂場会議」が行われます)。

 知恵と体力が日増しに高くなっていく長男に、母親である私などは気を許した瞬間、握っていた手綱を引き千切られてしまうようになりました。そもそも、男子を制御する力を十分に持ち合わせていない私に、成長期の彼等の言うなればこちらの手前勝手な操縦など端から大それた事であるのだと思います。今回の事件なども一部に過ぎず、最近再発した偏食であったり、オモチャの無制限な購入要求であったり、弟との頻発するイザコザであったり、頭の痛い事を列挙すればいとまがありません。「うちの子は本当に大人しくて」「うちの子は至って普通で」と言われているお子さんでも、親御さん方にしてみればよそ様には言いにくいような課題を抱えている場合も多い事と思います。「うちの子だけではない」と解っていても、「どうしてうちの子は……」と視線がうつむきがちになるのは、もうこれこそ風邪引きの諸症状みたいなもので、ちょっと油断した隙に、少しの油断さえしていなくても本当に簡単に陥ってしまう育児あるあるなのだと思います。

 生まれるまでは「どうか、無事に生まれて来て下さい。もうそれだけでいいからね」なんて殊勝な事を思っていた我が子に対してでも、新生児の頃には「取りあえず、健康でいて下さい。毎日、息をしていてくれるだけでいいです」とか呟きながら、時折、呼吸をしているかどうかおずおずと鼻の辺りに手をかざしてみたりして、首が据わったら据わったで「寝返り上手に出来ないのは何でかなあ」とか、離乳食の食いが悪くて必要以上に凹んだり、なるようになるさ、と無理に自分を励ましながら一人立ちが遅い我が子を渋い顔をして眺めていたりして、親と言う生き物は自分勝手と言う要素で出来ているんじゃああるまいかという程、実に自分本位な物なんですよね。

 勿論、他人に迷惑をかけるのを容認しているのではありません。公共の道具を汚すなんて悪行は論外であります。しかしながら日常の過ちとも呼べないような些細な失敗を仮に我が子が経験したとして、それを執念深く思い悩んだり「もしも」とか「でも」とか「とにかく」とか色んな論理でがんじがらめにしてしまう事に躍起になってるこの私の姿は、果たして清々しいものであるのだろうか、と立ち止まってしまうのです。

 私達は大人であるから、目の前の液体が沸騰した湯で、熱い事を知っています。だけれども、今、この世に誕生したばかりの新しい命達に、その液体が熱い事、その熱い液体が湯という名前で危険である事なんて分かり得るでしょうか。触って、驚いて、傷付いて、後悔して、思い知って、学習していくしか、湯の扱い方を知る術はないのです。願わくば、無為に子供達に傷付いて欲しくはありません。あえて、火傷をさせる必要はありません。それでも、「それは君にとって危険だから」と目や耳や鼻や指先を塞いで握り込んでしまったら、子供達はそれからずっと湯を知らないままになってしまいます。ええ、私の言っている事は極論ですし、理想論です。だからこそ、子育てには「壁」が存在するのですし、親には「悩み」が発生するのですし、家庭には「軋轢」が生まれるのだと思います。

 外は、雨です。明るい空から、不規則に奔放な雨が降って、止んでを繰り返しています。

 晴れる日が来る事は知っています。それが、ただ「今」でないだけで、どうしてこんなにも気持ちがしんみりしてしまうのでしょうかね。

 親は勝手です。自由な子供が妬ましかったり、情けなかったり、腹立たしかったり、けれど、時に愛おしかったりするのです。かつては必ず誰も彼も子供であった私達であるのに、今はそれを武器にも経験値にさえ出来ず、我が子に振り回されて生きています。

 小さいなあ、と思います。

 昔の親の背中は、あんなに大きかったのに、と思います。

 そんな遠い世代の親達の背中も、子供達が寝静まった夜更けには、人知れず流す涙に小刻みに震る事もあったでしょうか。

 長男と、私と、主人と、おまけの次男と、4人家族、こじんまりと、肩を寄せ合う「何の変哲もない」我が家です。

風の前の……。

 「お母さんの方が先に死んじゃうからねえ」と告げた言葉に、5歳の長男はひどく驚いた様子で私を見返しました。「先に死んじゃうの?」と、疑り深い問いを発したまま何事か考えていた彼が、少しの間を置いた後言いました。「じゃあ、(お母さんは)小さくなって、お婆ちゃんとお爺ちゃんの所に行くんだね」。

 なんだ、もう、何となく知っているのか、と私はちょっと寂しい様な、安心したような気持ちになりました。勿論、人が死ぬという物理的な事までは思い至らないでしょう。彼が物心付く前に、彼の祖父である私の父は亡くなっていますが、彼が経験した最初の近親者の死もまだたったの1歳半の頃でしたから、記憶としてカウントするにはあまりにもお粗末な類である事でしょう。

 夜中の寝かし付けの時、どんな経緯でそんな流れになったのでしたか。お母さんは、いずれ、いなくなってしまうという、物凄く現実的な「おとぎ話」。

 私は40歳。君は5歳。この先、永遠にこの差は埋まらないのだと言う事。

 自分の母親の方が、先にこの世を去って行くという事象は当たり前の事でありますが、子供にとっては信じられない事の最もたる物であるのかも知れません。

 ああ、私は、いずれこの人と別れるんだな、と身に染みて解るのはいったいいつぐらいからなんでしょうね。私の場合は、結婚して実家を遠く離れてからであったと思います。帰省する度、目に見えて父や母が衰えていく姿を目撃するようになりました。言うまでも無く、私が実家を離れなかった頃にも老いは着実に彼等を訪れていました。ただ、見守り続けている朝顔の成長がひどく遅く感じられるのと同じで、日々の微細な変化は身近であればあるほど見逃しやすくなるものなのですね。遠方に嫁いで、毎日を忙しくしているうちに、父が病を得て入退院を繰り返すようになり、幼い長男を連れて入院中の彼を見舞った時、誰に経過を聞くまでもなく「この人と、私は、もう、お別れするのだ」と思い知りました。

 田舎に残る母は、この8月の末に白内障の手術をします。現代の医学では日帰り可能な手術であるらしいのですが、何しろ独り暮らしの為、大事をとって3日間の入院という事になりました。生活に大幅な滞りがないように、片目ずつの施術ですから9月にももう一度入院があります。母は今、父が逝った歳と同じ年齢に成りました。体力の面でも、精神面でも、不安要素が増えてきております。つい先日、電話口で白内障の手術を受ける旨の事を私へ打ち明けてくれました。けれども、その告白も以前に実家へ帰った時、すでに母本人の口から私へ告げられていた物でした。ですから、電話で報告を受ける私は「手術するんだよね、それ聞いてるよ」と返すと、電話の向こうの母はひどくびっくりしたような口調で「え、それ、誰に聞いたの」といぶかしそうにしておりました。「お母さんからだよ」と応えると「いつ?」と尋ねるので「この間、実家に戻った時」とだけ返事をしました。母はとても不思議そうに「そんな事言ったかしら」と口ごもってしまいました。

 怒りっぽくなり、愚痴っぽくなってしまった母は、本当に些細な事で涙ぐむようにもなりました。我慢強く、楽天家で、少し見栄っ張りであるけれども好奇心旺盛で朗らかであった母。遠く離れて住む私が、一輪の花を久し振りに眺めて様変わりするそれの姿を懐かしんでいると彼女に知れたなら、きっと彼女は凄まじい剣幕で怒るに違いありません。私が感じる人の姿の移り変わりは、彼女にとっての非常識である事でしょう。それは彼女に限った事ではなくて、私にも必ず訪れる老いの姿であり、周囲の人が見る私は私自身が意識せぬままに着実に衰えを見せて行く事でありましょう。

 達観なんて出来ません。やはり、死ぬのは漠然と怖いです。経験した事がないですし、生涯にただ一度きりしかない事ですから。出産に感じていた不安感と非常に近い物かも知れません。我が身に起こり得る劇的な変化で、しかももしかしたら、とてつもない「痛み」と直結しているかも知れないとしたら、誰でも足が竦んでしまうのではないでしょうか。ただし、出産であれば「経験者」はいます。けれども死に関しては誰もが「未経験者」であるのです。未経験者が分かりもしない死後の世界や、臨終の景色について出来得る限り自分の納得できる形の安心感を得たいが為に、宗教や思想が必要になるのでしょう。

 「死」とせめぎ合いながら、この世に生まれて来た子供達。あらゆる超常的な出会いの果てに生を受けた息子。君がやって来た場所に、お母さんはいつか還るんだよ、それはまあ、すぐに、ではないけれどね。

 小さくなって小さくなって、君に見えない程、小さくなって、どこかに行ってしまうんだよなあ。

 私がこの世に誕生した時と、同じほどの恐怖と痛みと、後、願わくば、ほんのちょっとの安堵と希望があるなら、人一人の幕切れには程よい辻褄合わせではありますまいか。

 

48年前の赤ちゃんが、今、22年後を眺める。

 思い描く事は出来ても、空想を実現するには多くの困難が付きまといます。明日の自分が何を思っていて、誰の言葉に喜び、誰の振る舞いに傷付いているかなんて、解りません。24時間後の、しかも自分自身の事であるにも関わらず、確定でない事だらけで、断言出来ない事ばかりです。仮に自分が誰かの「波」に巻き込まれやすい立場や性格であったとしたなら、余計にそれらの不確定要素は膨張するでしょう。逆に、自分が誰かを巻き込みやすい立場、性格であったとしても自分の起したアクションによって周囲に湧き起こった波風から逆襲を受けるケースも想定出来ます。

 何も難しい話をしているのではありません。

 主人の話です。私の主人は48年前の今日、熊本県八代市で生を受けました。現在の彼は、私よりも20cm以上身長が高く、私の2倍以上の体重があり、私の5倍以上の給料を稼ぎ、私の1/10の時間で熟睡に落ちる特技を身に付けています。時に冷徹に思える程、合理的。時に怠惰に見える程、ON/OFFの切り替えがハッキリしています。ドライでシニカルで、短気。その人の誕生日を祝うのは、これで6度目になりました。

 他のご夫婦がそうばかりとは思いませんけれども、互いの将来や、子供達の心配事や、老後の生涯設計や、当面の課題について話し合う機会はそれぞれにあると思います。我が家では近い未来の青写真は、往々にして主人の頭の中にだけ描かれております。平たく言えば、私には漠然とした不安がある場合があっても、主人にとっては「想定内」の事ばかりなので彼は多少の事で動じたりはしません。頼もしいとか、安心感があるとか、私にはそういう心情よりも先に「こんな人間、いるんだ……」という驚きの方が強烈であります。付き合っている頃から、そうです。結婚してからも、そう。今の今に至るまで「生きる姿が何も変わらない」稀有な人であると。

 不条理な事に出くわした場合、彼はこれを力づくで壊しに出向いたりしません。腕を組んで、この不条理が誰かの手によって懐柔されていくのを眺めていたりもしません。それ相応の手段と鉄壁の理屈と、それから多少の熱量で順々に外堀を埋めに掛かってから、全力で本丸に攻め上るように説き伏せに掛かるのです。

 

(我が家の主人の人となり、参考までに以下)

akarinomori.hatenablog.com

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 彼の仕事ぶりであったり、彼の主義主張であったり、書き切れない程の物を彼に伴走しながら見て来たつもりでしたけれど、まだこの先も約20年、私はハラハラしながら見守り続ける事になるのでしょうか(何しろ、主人は70歳で生涯を閉じると決心していますので、48歳の彼の余命は22年)。

 もう、見極めてしまった将来を、そこに向かっていかにズレを少なくするよう微調整していくかが、もしかしたら目下の彼の目標であるかも知れません。

 「思い描く事は出来ても、空想を実現するには多くの困難」とつい考えがちであるのは、私が何の裏付けもなく、そして何の努力をする事もなくのっぺりとした毎日をのうのうと送っているからかも知れません。「これで良い」と自分を肯定するのは、やはり他人でなく自分自身です。「俺はこれで行く」と指針を決め、その自分に嘘を吐かない為にいかにすれば良いかを常に思考している主人は、ただ単に強引なのではなくて、ただ単に頑固なのではなくて、もしかしたらケタ外れの正直者であるのかも知れません。他人に嘘は通せても、結局、最後までごまかしきれないのは「自分」であるのですものね。一つの嘘を見逃せば、もう一つの嘘を見逃さなくてはならなくなります。一つ、二つ、三つ、と、見て見ぬフリを繰り返していけば、その内、感覚は麻痺してきます。膨れ上がった自分への不信感は、理想と現実との摩擦を引き起こします。板挟みになっても、それを笑い飛ばせるくらい図太く強靭であれば問題はないでしょう。けれども、多数の人々はそうではないでしょうから、悩みますし苦しい境地に陥るのだと思います。

 主人が、あえて頑なであるのはそうした負の要素を、はびこらせる前に一つずつ、根気強く摘み取って行く作業が、いかに自分の美徳を守る為に重要かを実感しているからに違いないと、私は思います。強いとか、図太いとか、信念があるとか、責任感が強いとか、見る方向によってはそれは長所(あるいは短所)に映る事があるでしょう。けれどもその揺るがし難い彼の「潔癖」は、長男らしい不器用さと細やかさに裏付けられている物でもあると思われます。

 彼が、彼の思い描く姿で生涯を全う出来た時、私は徐々に冷たくなっていく彼の手を握って彼に何と声を掛けることでしょうか。夫婦生活というもの、なかなか一筋縄でいかない手強い仕組みであると、まだたったの6年目でありますが、一端を垣間見た気分でいる今の私です。恐らく、これからも、順風満帆、平穏無事、とだけでは済みそうにはありません。人が人と繋がっていれば、違う意志同士の共存であるのですから、安楽なぬくもりだけでなく、避けて通りたい摩擦も味わう事でしょう。未来予想には疎い私にも、それだけは容易に想像が出来ます。

 それでも、なお、こうして「我が家」という一幅の絵物語を織り続けているのは、どうしてなのでしょうねえ。

 人がいて、人が暮らして、人と出会って、人が生まれて、人に成って、人として去って行く、当たり前で、殊更取り上げるのも馬鹿馬鹿しいほどありきたりの風景の中で、また残された人が、人として歩き、人と出会って、人が生まれて、人を育て。この日常の有り難さ。この些細な事の有り難さ。

 70歳の、主人の臨終の席で、誰が泣いていて、誰が怒っていて、誰が嘆いていて、誰が祈っているか、私にはまだとうてい図り知れません。

 だけれども、そこにもまた、穏やかな時間が流れていて、今日と同じく健やかな家族の姿があれば、去って行く人を見送る場所としてこれ以上に清らかな物は他になかろうと、私は思うのです。