あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

見上げた空が同じ色なら。

 体を支えるのもたどたどしかった次男も、はや1歳半。ベビーガードを取り外した子供椅子で随分上手にここ1週間食事をしています。手づかみ食べに熱中していた期間は、トータルすれば1,2ヶ月程度だったでしょうか。今でも勿論、食後は嵐の後のような食卓ではありますが、彼なりに懸命に「日本人らしい食事の所作」を吸収するべく努力の姿は見られます。

 盆休みが終わりを迎え、夏の厳しい暑さも少しずつ和らいで来たようです。蒸し暑さと食欲減退で、元気を失っていた我が家の子供達も元来の奔放さを取り戻して参りました。猛暑、酷暑と厳しかった8月の中旬まで。今週に入り、急に穏やか気候に切り替わって本来の夏がいったいどちらであったのか、爽やかな夏風に伸び伸びと鳴き声を響かせるミンミンゼミ達の姿を見ると何だか錯覚してしまいそうで困ります。

 子供にしろ、季節にしろ、移り変わりにひどく心を動かされるのは何故なのでしょうか。時の流れに取り残されそうになる自分が歯がゆく思えるからなのか、それとも同じように流れていく自分に不安を感じるからなのか。変わり続けるからこその進歩。次の時代がやって来るのですから、むしろそれは喜ばしい事であるのですけれど。

 平井堅さんの歌『思いがかさなるその前に』が、私は好きです。アップテンポな曲もバラードも歌いこなす幅の広い男性歌手の平井さん。中でもこの『思いがかさなる~』は、歌詞の世界観がとても身につまされ、聴いている最中でいつも涙ぐんでしまいます。歌の主人公「僕」は「キミ」と友達であるのか、恋人であるのか、はたまた親子であるのかは解りません。けれども落ち込んでいるらしい「キミ」を励ます為に呼び出した「僕」は、慰めている間にもふと「キミ」の存在の大きさを改めて思い知るのです。大きな目で見守っていたはずの「僕」が「キミ」というかけがえのない人がいてくれる事で毎日を反対に支えられて生きている事に気付くという話です。互いが互いの大切な者になり、そうして、いずれ離れていく時にも、違った場所で過ごす時にも、また再びの邂逅を得る時にも今日の日が最高の恵みとして心に刻まれればいいなあ、という歌詞(私的要約)。

 初めての子育てで行き詰まってしまっていた不器用な私と、最初の子供として私の元にやってきてくれた長男を想う時、やっぱり私は何度でもしょっぱい涙を流してしまうのですよね。素晴らしき、今日の日に。

 

 

(1000文字雑記)

「ぱれ部」活動日誌(『あかりの森’s bog』課外活動報告記):山中湖温泉(忍野八海→ホテルマウント富士→富士急ハイランド)8/18・19 後半 

 旅の印象を大きく左右する要因の一つに宿泊施設の充実感があると思っています。山中湖のバス停からホテルのシャトルバスに乗り込み、我々一行は乗り合わせた中国人家族と共に今回の宿泊先である「ホテルマウント富士」へ向かいました。木立深い斜面をグイグイ登る大型バン。そして到着した先は、富士の裾野と山中湖が一望出来る絶景の地。

 下車した途端に解りました。「空気が違う」という爽快感。夏を通り過ぎて清々しい秋がやってきたような錯覚。

 ホテルの評価は総括すれば我が家なりには星5つ中、星4つでした。施設は綺麗に保たれておりますし、ホテルマンの方々の対応も失礼がない程度にスマートでありました。繁忙時期であるという事を考慮すれば、まずまずであろうかと思われます。私達が選択した宿泊プランは大人2名子供1名の洋室で、食事はバイキングでした(ちなみに次男はカウント無しの添い寝にしておりました)。通された部屋はビジネスホテルを少し豪華にした雰囲気です。大人用のベッド2台とエキストラベッド(ソファを組み立てたもの)1台で客室はいっぱいです。幼い子供連れの「どこでもあるある話」なのでしょうけれど、まず入室してから、必ず始まるスプリングベッドでのトランポリン。興奮した長男が、並んだベッドで飛び跳ねれば、次男は次男でシーツを床に引きずり下ろします。その内、2人して枕の投げ合いが開始されまして、きちんと整理されていた部屋は瞬く間に修羅場となりました。たまの無礼講、これは目を瞑るにしかず。

 食事は、夕食・朝食共にダイニングでのバイキング形式を選びました。そもそも部屋食という選択肢が予約時には存在しなかったのですが、仮に部屋食が選べたとしても、やはり子供が小さい内(寝転がる事しか出来ない赤ちゃん時期は除く)は、バイキング形式が適当であるのだと思います。「家族でゆっくり部屋食で」は、ある程度子供が成長してからこそが醍醐味なのでしょうね。我が子に食べさせつつ、しかも好きな物を選ばせつつ、係員の方々のサポートもある方が実は心強かったりすると思います。

 さて、このホテルの総合点を引き上げているのが、なんと言っても「眺望」です。フロントが3階にあるこのホテルの大浴場は2階と地下1階にあります。おすすめであるのが「はなれの湯」と名付けられた2階の露天風呂。脱衣所から一足踏み出せば、そこに広がる富士山の絶景。洗い場から湯船までは黒御影の床、7歩歩いて湯船、湯船の先は間仕切りもガラスもなく、ダイナミックに開け放たれた先にはまるで覆い被さって来るほど近く見える富士山の勇姿。夕暮れには早い時間帯に入浴したので、空一面透き通る水色の泉に、桃色のインクをしたたらせたような見惚れるほどの美しさ。湯船に浸かっていても外気が流れ入って来る為、全く湯あたりもせず快適です。一瞬ごとに移り変わっていく絶景絵巻に一日の疲労感と共に時間までもが押し流されていくようでした。

 ちなみにこのホテル、別棟には室内プールも完備です。水着、帽子着用でありましたが、宿泊客は無料で使用出来ます。オムツをはいている次男は見学のみで、長男と主人は宿泊中に2度、楽しみました(大柄な主人が泳いでいると、本当にセイウチの行水のようで、なんというか、まあ、ご想像下さい)。

 旅程2日目はシャトルバスで再び山中湖のバス停まで送っていただき、富士急ハイランドへ向かいました。7月から入場料無料になったらしいですね。入り口ではセキュリティの為に未就学以上の人は残らず顔認証システムに顔をかざす必要がありました。これはアトラクションごとに必須で、乗り物に乗るごとに認証作業があります。

 場内は案の定、大盛況でした。近隣からも遠方からも大勢の遊興客が訪れており、どのアトラクションも長蛇の列。それでも有り難かったのは、気温が低かった事でしょうか。木陰に入れば、気持ちよく過ごせましたし、あちこちに飲食施設がありましたので(混雑していましたが)食いっぱぐれる恐れもありませんでした。

 私自身、幼い頃の旅行と言えば、父母、弟と共に寺社仏閣、旧跡めぐりに始終していました。昭和のお話ですから今ほどメジャーな商業施設も少なかったからかも知れません。父母が西国三十三カ所巡りに凝っていた事もあり、子供ながらに名前も知らない山寺の参道をひたすら歩いたり、いかめしい仏像を見上げたり、やたらと静かな美術館で気まずい思いをしたりした思い出が多いです。自殺名所の断崖絶壁、幕末の名士の屋敷、柱の基礎しか残されていない城跡など、当たり前の事ですが騒ぎたい盛りの子供には、かなりシュールな旅行でありました。しかも、父母が選ぶ宿泊施設は有名旅行会社のおすすめの宿でしたから、子供がワラワラと過ごして良いような宿は少なかったです。中庭には枯山水があって、廊下の隅には本物の生け花が活けてあるような凜としたたたずまいの老舗旅館であったりしました。今なら笑い話にもなりますよね。子供には、その体中に溜まったエネルギーを発散させるような旅行が、お似合いなのかも知れません。

 旅行の終わり。富士急ハイランドには富士急行線が直結しております。出口のゲートをくぐれば、目の前は大月駅行きの電車のホームになっているのです。遊ぶだけ遊んで下りの電車に乗った頃には辺りはもう夕暮れの気配。ああ、今回も楽しい旅行だったね、と快いため息を吐いたのもつかの間。

 「あれ、ねえ、旅行鞄、どこやった?」

 さっきコインロッカーから取り出したはずのキャリーバッグが見当たりません。電車は満席、我が家は扉際に立ちながら互いに顔を見合わせます。

 「あ、置き忘れて来た」

 「マジか」

 ということで、主人は一駅越した駅で電車を降りて富士急ハイランドへ逆戻り。私と子供2人は大月駅で主人を待つ事になったのでした。主人が私達に追いつく頃には辺りはとっぷりと夕闇に包まれており、長男も少しグッタリ。

 無事合流を果たした私達は、乗り継ぎの為に連絡通路を上っては、降りて、別のホームへ。これでようよう一直線で最寄り駅に帰られると安堵をしたのですが、ここでまた主人がやってくれました。

 「あれ、ねえ、子供達のお出かけセットが入った鞄は?」

 「え、お前が持ってたんじゃなかったの?」

 「……マジか」

 お出かけセット入りハンドバッグをまたしても喪失。

 「乗り換え切符、買う時、持ってたよね」

 私が主人を問いただすと

 「そうだったっけ」

 なんとも情けない返答。仕方が無いので、次男を胸に抱いたまま私が窓口に走ると。

 有りました。

 駅員室に届けられた、持ち主不明のハンドバッグが。

 「念のために身分証明書をご呈示願えますか」

 免許証を見せて、バッグを返却していただきました。最後の最後まで、何故かドタバタの我が家。バッグを手元に取り戻せて、主人達が待つホームまで帰った時にはすでに電車の出発時刻の5分前でした。危機一髪。

 「お前が持ってると思ってたから」

 主人の言い訳を聞こえなかった事にして、家族揃って特急電車に乗車です。どこもかしこも人、人、人。指定席も満席で大変でしたが、また奇跡的にも自由席にて座席確保に成功。お盆休み最後の締めくくりに、いろんな意味で思い出が詰まった旅行になりました。

「ぱれ部」活動日誌(『あかりの森’s bog』課外活動報告記):山中湖温泉(忍野八海→ホテルマウント富士→富士急ハイランド)8/18・19 前半

 山中湖温泉への旅。宿泊先は「ホテルマウント富士」で、1泊2日の小旅行でした。5歳園児と1歳半園児を連れ歩くには1泊くらいが丁度良いのかも知れません。JR立川駅からのホリデー快速はほぼ満席。家族はバラバラになりましたが、幸い全員が座れました。盆休み最後の土日ですので混雑は無理もないでしょう。救いはこのところの爽やかな気候です。旅程一貫してうだるような暑さからは解放されました。

 大月駅富士急行に乗り換え。紅色の車体の観光列車に乗車です。大きな車窓と、木目を基調にした明るい車内。電車好きの長男は始終御機嫌。子連れの移動において、息子達が乗り物好きであると本当に移動時間は平和ですよね。まだまだ赤ちゃんの次男は時々グズりますが、殊に長男に至っては車だろうと電車であろうと「もう、グズって大変!」という経験が赤ちゃん時代から皆無です。有り難い。

 富士山駅で下車。周遊バスで一路、忍野八海(おしのはっかい)へ。富士山からの湧水が自然と湧き出している一帯が景勝地として名所になっております。あっちにもこっちにも想像通り人が密集しておりました。その分、環境整備もされており、我が家の幼い人達も何とか親からはぐれず、頑張って歩けました。半分はアジア系の観光客でしたか。あらゆる言語が飛び交っていて「さすがは世界遺産」と、観光後は少しグッタリ。

 私がここでの初めての経験は昼食に名物の「ほうとう」を頂いた事。きしめんよりもうんと太いもっちりの麺は、夏場に食べても元気がモリモリ湧いてくるよう。海鮮ほうとうを注文したので、魚介風味の味噌が太麺に染み込んで美味。次男もグングンおかわり。

 入った食事処は参道のすぐ外に店構えがあり、私達は混雑を避けてそこで食事を摂ったのですが、とにかくお店の作りがユニークでした。客席は畳敷きの座卓席。子供連れはこれに限ると思います。そして私達の度肝を抜いたのが、店の奥に設けられたステージ(?)。店舗自体、下を流れる小川に迫り出すように作られているのですが、なんと、床も壁もガラス張りのステージはその小川を踏むようにして設計されているのです。つまり、透明な床部分を眺め下すと、清流の中で泳いでいる真鯉の群を踏みしめているかのような趣きになれるのです。これには息子達は大興奮。新たに入店した親子連れも、漏れなく子供はステージに上がっていきます。いやはや、思わぬ所に子供を喜ばせるアトラクションがあるものです。観光地の飲食店らしく店員の方々も大変親切で、混雑を避けた末の店選びでしたが、良い思い出になり嬉しかったです。

 忍野八海からはそのまま宿泊所に向かいました。今回のホテルは山中湖から200mも高所の高台にあります。シャトルバスが出ているのですが、忍野八海からではなく山中湖まで移動しなくてはなりません。車道はやはり盆休みの都合で渋滞気味。忍野八海から山中湖まで自力でバス移動です。大きな旅行鞄を抱えた海外の方達で車内はごった返していました。けれどもここでも何とか座席確保が叶いましたので一安心です。何度も言いますが、天候は大事ですよね。爽やかにカラリとした夏の日、汗はかきましたが疲労度が違います。

 山中湖で下車して、シャトルバスを待つ間、歩いて3分の位置にある山中湖畔で時間を潰しました。白鳥の足漕ぎボートに混じって、本物の白鳥が2羽、青々とした水面に浮いて、のんびりと羽根を休めておりました。ここまで来ると、水際を通り過ぎる風が肌に冷たく、夏日とは思えない程、空気は冴えきっておりました。噴き出ていた汗も一気に引いていくよう。さすがは避暑地、束の間の涼味に身を委ねます。

 程なくシャトルバスが到着。ホテル好きの長男お待ちかねの宿泊施設へ出発です。

 

 

  (続く)

 

コント「もしも、醜いアヒルの子が子育てをしたら」

 「みっともないからやめなさい」というのは至極まっとうな注意の仕方だと思います。ただ、これは誰にも迷惑を掛けていない幼い子供の戯れに対して、見栄を張りたいだけの保護者が口にするのは適切ではないのではないでしょうか。

 車道沿いの田舎道を、13歳の私と11歳の弟が母に連れられて歩いていました。散歩に出たついでであったのか、あるいはどこかへ向かっていたのかは忘れてしまいました。弟が、拍子を取りながら飛び跳ねるように大股で道を横切る遊びを始めました。それが余りにも面白そうだったので私も彼の後に続いて、横っ飛びしながら道を進みました。その私に対して母は険しい表情で叱責しました。「みっともないからやめなさい」。当時の私は何故母が急に声を荒げたのか解りませんでした。弟は構わずドンドン先を進んでいきます。一度立ち止まった私も、愉快な彼の仕草に触発されて再び横っ飛びを繰り返しました。すると母は更に強い口調で「常識の無い子だね」と私の腕を引き掴みました。注意されたのは私だけ。本人に確かめた訳ではないので真実は解りませんが、想像するに、その時の私は母が理想とする「女の子」の姿からは程遠い行動をしていたのだと思います。ケタケタと大口を開けて笑ったりはしない、男の子と同じような激しい遊びに興じない、少し伏し目がちの、背筋がシャンと伸びたような女の子の姿から、当時の私はかけ離れてしまっていたのだと思います。

 私には娘がいません。ですから、娘を持つ母の想いは憶測でしか判断出来ません。ただ、そうであっても、子を持つ者として感じる事は「みっともない」というのは誰に対して使われる言葉なのか、を意識した方がいいだろうという事です。見苦しい行動をした当事者である子供が人様の気持ちを害するのであれば、これは親として細やかにフォローすべき事でしょう。しかし単に「私は優れた躾をしている親だ」という親自身の虚栄心を守る為の行動であるのなら、これは危ぶまなければならない事ではないでしょうか。安易に口にしてしまう「貴方の為を思って」。でも時にそれは非常な「おためごかし」に成り下がってしまうケースもあるのではないでしょうかね。

 外聞をとても気にする人であった母。彼女も彼女なりに手探りの子育てで苦労してきた事であろうと思います。今更、それに恨みを言うつもりはありません。

 ひたすらに、これは至らぬ私への戒めなのであります。

 

 

(1000文字雑記)

むかしむかしあるところに。

 『ゴールデンカムイ』(野田サトル原作)のアニメを観る度に、私は何度も自分の弟を思い出します。2歳年下の彼は今年で38歳。今は北海道の苫小牧に在住しており、そこに移住したきっかけは競馬職員を育成する専門学校への入学でした。なかなか北海道内も不景気の煽りを受けて厳しい状況であったのだと思います。紆余曲折あって、現在では全く別の職種で管理職にまで昇格した彼ですが、いよいよ基盤は北海道に移り、恐らく実家に骨を埋める事はこの先、ないのだろうなあと私も、そして弟自身も考えているこの頃です。

 漫画原作の『ゴールデンカムイ』をアニメのみ知っている私は、そこに描かれる北海道の景色と人々の純朴さに心を掴まれます。冒険活劇でありサスペンスであり暴力表現も含まれる原作でありますから、くみ取れるものはあまり穏やかな物ではありませんが、端々に描かれる人同士の交流が何だか懐かしい物のように私には思えます。

 以前、弟に「どうして北海道に住み続けるのか」と尋ねた事があります。「人が温かいからかな」と返した彼に、妙な納得を覚えたものです。私自身が北海道に住み着いた訳ではありませんし、その土地に訪れる時は必ず旅行者でしかあり得ないので偉そうな事は何一つ言えないのですけれど、彼が言い表す「人の温かみ」は何となく分かる気がするのです。

 弟は、そもそも、口数が少なく、心の底でもの凄く多くの事を熟考するタイプの人間です。だからこそ、それまで彼をとりまく目まぐるしい世界の中でとても苦労した事もあったろうと推察します。その彼が、心穏やかに過ごせるのがたまたま北海道という広大で逞しく彩り豊かな懐の深い土地であったのでしょう。

 馬の放牧地や、動物園のふれあい広場、野ざらしの飼育広場に彼が行くと、不思議な事なのですが、そこにいる馬、ラクダ、シマウマ等が、柵の外をブラブラ歩いている弟に向かってすり寄ってくるのですよね。敵ではないと分かるのか、あるいはもっと深いところで通じる物があるのか、彼と動物達との交流は、まるで童話世界の出来事のようなのでした。オーイオーイと、低く響く弟の声に、首を振りながらゆっくり近づいてくる動物達。鼻面を伸ばし弟の手の匂いを入念に嗅ぐ仕草の可愛らしい事。人間の何倍もの体をすり寄せ、じっとしている姿。弟と「彼等」。虹を映したような優しい目で、あるがままの景色を眺める姿が、互いによく似ていると姉には思えるのでした。

 

 

(1000文字雑記)