あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

子育て

桃源郷

入浴剤で染まった湯船にはガラクタ。豆腐の空きケース、袋めんの空き袋、ペットボトル、時には風呂掃除に使っているスポンジ。子等は思い思いの物語を作り、背景を想像し、手にした容器で湯を汲み、使い古しの袋へ液体を注ぎ入れて満タンを目指す。満たされ…

もう一度、息子達へ。

好きと思う心と、真正面から向き合っているのがいい。 気恥ずかしいなら、時々視線をはずしても構わないけれど、投げやりな態度を取ったり、気の無い素振りを見せてばかりでは勘違いされてしまう。好きだと認識できているのなら、これに嘘を絡めたりしない方…

息子達へ。

戦友のような、幼馴染のような、共犯のような友達がいい。人づきあいがまずいと自覚していてもいいけれど、それをひけらかしていても人の輪から遠ざかるだけだ。 人を嫌う態度を取る人に、あえて近寄っていく人は少ないだろう。毛を逆立てている猫へ、不用意…

解ってるんですけれどね、独りで育てていくっていうこと。

長男はこの春2年生に進級したが、登校できたのは1日だ。私が彼の代わりに新しい教科書をもらいに行った。対応してくれたのは副校長先生だった。その先生と立ち話をした。 休校中の学習についてアドバイスをいただいた。親切に丁寧に細やかに説明して下さっ…

とりとめのない自由

子供達を主人の家へ宿泊させている日、私はどうも自分を粗末にしがちだ。家の中を一日100歩程度しか歩かない。朝から寝るまでの間に口にした物が、レーズンパン1個とコーヒー1杯のみというのもある。 息子達の不在による虚無感というのではなくて、単純…

手の平に収まる奇跡

小さな子供達と暮らしていると、本当にあらゆる「当たり前」を見直す機会がある。 朝起きて、子供達を起床させる時もそう。眠りこけている子供の頬っぺたの丸みってどうしてあんなに愛おしく感じるんだろう。朝日に透ける細かい銀色の産毛があって、半開きに…

そこんところ 

食後のデザートと言えば、長男なら「ゼリー」と答え、次男なら「プリン」と即答する。夕飯のおかずが焼き魚なら、長男はムシャムシャと一心に箸を進め、次男は指先でそれを摘まみ、しかめっ面だ。私から確かに生まれた2人だが、その1人1人もそれぞれ別個…

子等の道

親なんてものは、一生、報われない片想いをしていればいい。誰のお陰で、とか、お前の為を思って、とか、そんな常套句は子育てにそもそも必要ない。 子供なんてものは、ずっと、愛情を受けっぱなしで育っていけばいい。親に先立たない、親がいなくてもいっぱ…

道理を学ぶ。

長男が学童保育所で、顔に引っかき傷を作って帰ってきました。普段は仲の良い男友達と、喧嘩をした末の負傷でした。小鼻から唇の端を通って顎まで弧を描いた赤い傷跡。頬の所々にも少し、サクランボ大の腫れがありました。 周囲の監督員が止めに入る間もなく…

母の頭は花畑

独り親生活を続けて1年と半年になるこの春です。働きながらの独りきりの育児は、お世辞にも楽なものではありませんでしたが、しんどいと思いこそすれ寂しいとか悲しいとかいう感情とは無縁でした。新型コロナウイルス感染症の騒ぎで、家庭のリズムは多少狂い…

息子達を人として尊重しているからこそ、なのです。

「いう事を聴かない人のいう事は聴かないよ」。私が子供達によく言う言葉です。 優しい人には優しくしたくなる、汚れている場所には汚れている物が溜まる、そういう事ではないでしょうか。 自分の言いたい事を聴き入れてもらえないと嘆く前に、自分は誰かの…

「場」が作る「人」

子連れだからこそ、ホテルのラウンジで昼食を摂ればいいのです。今までは、幼い人達との気ぜわしく騒がしい外食に、落ち着いた雰囲気のレストランは半ばあきらめていたものです。 先日、隣駅の商業施設に買い物へ出掛けました。軒並み飲食店は満員です。人通…

世界で一番のエールを。

「大好きだよ」は、必ず、相手を励まします。 「お母さん、大好きだよ」は、私に明日を頑張る活力をくれるのです。 「貴方が、世界で一番大好きだよ」と私は毎朝、何があろうと抱き締めて、彼等を扉の向こうへと送り出すのです。 彼等へのエールは、彼等を別…

「正しい者」達の傲慢

善意から出たアドバイスは、誠に扱いが難しいと言えるでしょう。 次男が通う保育園では、園児の父母が運営する保護者会が大きな力を持っています。委員選出は立候補がいなければ未経験者から強制的に選出する事になっています。公設民営の認可保育園で、園側…

「不便」を買う。

食べ物を盛るだけなら、器は質を問わなくても構いません。新しくても古くても、地味でも奇抜でも、量産品でも一点物でも、何でも良いのです。そこに、その一椀、一皿、一揃えが、好きか嫌いか、使いたいか使いたくないか、だけが必ずあるだけです。 次男が食…

太陽の照らすところ

陽は昇り、陽は沈む、1人の王が治める王国は、その国王の死と共に1つの時代を終え、また新たな王の誕生と共に1つの時代を迎える、『ライオンキング』を観劇した長男は、この舞台に何を感じたのでしょうか。 たまに息子等と、劇や映画を鑑賞しに出掛ける事…

おとなだまし

こどもと遊ぶのであれば、やはり、こども以上に賢くなくてはならない、とつくづく思い知ります。こどもだましという言葉がありますが、こどもは底抜けに純粋なだけで、馬鹿なわけではありません。むしろ、大人などよりはるかに賢いのです。 こどもは、どんな…

「今」を決める。

これは私も反省するところなのですが、子供達の「今しかない」を、割と大人が勝手に決定していることが日常生活に多いのではないでしょうか。 勉強の大切さを知るのは、「勉強って大切なんだな」と本人が身に染みて解ってからでは駄目なのだろうか、と思う事…

勝負する日

7歳の息子は学童保育所で『UNO』というカードゲームを覚えてきました。早速、休みの日に文房具店でデッキを1つ購入し自宅で私と対戦しました。 風呂上り、歯磨きも済んで後は眠るだけの少しの時間に、2歳の次男が見守る中、私と長男と2人きりの勝負で…

責務

「どうしてお父さんとお母さんは一緒じゃないの(暮らさないの)」と改めて、長男から尋ねられました。私は、主人の悪口を子供に一切言いません。主人への批判があったとしても、息子達には関係の無い事ですし、彼等の実父をなじるのは、ひいては「彼等の半…

ブルースこそは、かあちゃんに似合う。

ただ何も逆らう事なく、3回に1回は我が儘を聞き入れてやろうと思うのです。子供とて「人」です。反対されるのが解っていながら、甘えて来る事もあります。だからこそ無暗に拒絶するのではなくて、知恵を絞って相手をかき口説けば受け入れられる、という充…

優雅・ゆとり・余裕・ゆったり→アルファベット「Y」から見放された私

それが出来たら苦労はしない、と情けなくなる事が、社会の一員で暮らしていると頻出します。「肩肘張らずに頑張ろう」「言いたい事を我慢せずに」「自分をもっと労わってね」と私を気遣ってくれる人の思いやりを考えれば、これらの厚意に添えない自分がひど…

その子の笑顔を責めないで。

悪くなりそうなその場の空気を和まそうとして、不自然に口角を上げてしまう事がありました。張り詰めた緊張をどうにかしようと、無理に笑う事がありました。 「叱られているのに、何をヘラヘラと笑っているの」と、更に相手の大人に怖い顔をされた思い出があ…

鬼の居ぬ間

母が、男子に威厳をもって叱る行為は難しいものです。人の心根を見計らう能力が培われて来る頃には殊更なのかも知れません。家庭の「重し」としての「父役」も、我が家では母である私がしなくてはなりませんので、知恵が回り始める月齢の子等には、今一つ貫…

昭和生まれの母ですので。

女性でも男性でも身仕舞が清楚な人に魅力を感じます。つつましやかと言うには少し大らかで、整然としていると表現するにはやや遊び心があるような有様でしょうか。 我が家では、玄関先の靴を揃えるのは「鉄の掟」であります。帰宅後の手洗いよりも、宿題より…

教授、つまり、貴女は、それが言いたいだけなのではありませんか?

求める力が強いから欲しい物を得るのが犬、だとすると、求めないから与えられる事を熟知しているのが猫、かも知れません。実際は、野生のモノであるので基本的な欲求には忠実ですし、命を繋ぐ行動に関してはどちらとも妥協はしないことでしょう。そこをあえ…

不特定多数が公言する「まとも」という場所より、ちょっとハズレに住んでいます。

「まとも」と言う事がどういう事を指すのかは、分かりませんが、片親であっても、側に居てやれなくても、子供はスクスクと育っていくようです。シングルですと告白した途端に向けられる同情じみた、もしくは相手自身の何かと引き比べているような薄笑いを目…

母の願いと超合金

いつかの「母」と「長男」 幼い頃から、私は可愛らしいものよりも、更にカッコイイものへの憧れが強かったです。煌めくビーズで飾られたドレス姿のモデル人形よりも、「超合金」と称するいかつい造形の鎧に身を包んだ、やたら濁点が付くヒーローネームのロボ…

もの食う2歳児

大福に目鼻を書いたようにシンプルな顔立ちの2歳の次男が、新年の餅菓子みたいな両手で、自分の手の平の3倍ほどもある大判焼きを握り締めています。そして丸い頬を懸命に動かし食べ進む姿は、母ながら手を止めて見入る価値がある程、すがすがしいのです。 …

私が辿り着けぬ場所

子供達にとって父親である私の主人は、いつまでもヒーローです。正確には「かつて主人であった人」ですが、書類上は未だ夫婦です。昨今は「卒婚」という表現があるそうです。婚姻関係にはあるけれども、全く別の生活を営む夫婦の事を指すとか。これは同居、…