手と手を合わせて、みなさんご一緒に、いただきます。
食べ物を
有り難いと思うのは
何も、生命維持の為に
必須であるものだからという
根源的な理由だけじゃないんだな。
暖か味のある陶器に
心を込めて盛られた
ちらし寿司。
サイの目に切られた卵の黄色。
ほぐし身の桃色。
華やぐレンコンの白。
散りばめられた枝豆の翡翠色。
千切り人参と炒り卵。
可愛らしい器に、
まるで
笑っているよう。
丁寧に
丁寧に
礼を尽くして
こしらえられたお膳。
驚くべきは
これが
病院食だという事。
塩分も糖分も脂肪分も
全部を計算されていてなお、
病床に座る人の
痛み、苦しみ、憂鬱を
一瞬だけでも慰める。
人は、身体の栄養さえ満たされていれば
幸せなんだろうかな。
私は考える。
食事は「餌」ではないのよね。
誰かの想いを運ぶもの。
それが食事の意味の一つであっても
いいのかもしれないのよね。
疲労するのは
身体だけじゃないもの。
息をするのもやっとの心に
響く喜びを届けられるのも
あるいは
食事じゃないかしら。
ふくふくと
膨らんでいく命を養う食事。
たぶん、
そういうのを
「御馳走」って
言うんだろうね。