あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

サーカス。

と、言われて

中原中也を思い出すのは

もう

年代なのかな。

小学生だったか

中学生だったか

国語の時間に詩を習った中で

萩原朔太郎中原中也

異様に突出して

気持ちの中に沈んで来たのを

記憶している。

 

散文とか詩とかは

余白がいっぱいあって

読み手が四方八方に想像が飛び散るから

時々迷路に入り込んだ気になるけれど

筆者はそれほど

深入りしたような物を

案外描いてない時もあるんじゃないかな。

 

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子供と一緒にサーカス行ったよ。

エキサイティングで

楽しかったよ。

 

ってなことを、

文筆家だから、

詩人だから、

自分が蓄積した語彙を

ふんだんに使用して

難解な絵地図を描くように

脚色して見せているだけかも

知れないからね。

 

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ステージには芸術家と表現者がたくさん登場して

楽家が聴かせる音楽を奏でて

歌手が魅せる歌声で歌って

ピンスポットが狭いテント中を飛び回って

観客が度肝を抜かれて

サーカスは

熱気と歓喜

あちらこちらと膨張し、回転する。

舞台裏に消える間際の

演者達の目配せ。

曲のクライマックスに入る直前の

演奏者達の呼吸。

自在に肉体を操る技術者の

隆起した筋肉が

汗が、

ある種の動物的匂いを以って

観客に迫って来る凄まじさとか。

 

私達が狂喜したサーカスは

古い詩人が眺めたサーカスとは

別の物だけれど、

そこに展開される

人間技ではないような神秘的な物は

確かにそら恐ろしいものであるような

そんな気にさせられた。

 

華々しい世界に酔い痴れると

それの反動が後で来るから

観客は酔い覚ましの現実世界に

嫌気がさすのかも知れないね。

 

チョー、楽しい物を見て

ヤバイ、と感動したら、

もう戻りたくねー、と

地団駄を踏むのかも知れないね。

 

夢は覚める物だとどこかで覚悟している。

だから、サーカスは

一抹の寂しさと結びついているのかなあ。

感傷的にならなくてもいいのになあ。

人って不器用にバランスを取るんだねえ。

ちゃんと頭が良い自分に還るんだねえ。

 

でもね、

サーカスを観た日くらいは

一日中、子供でいよう。

「楽しかったね」の気持ちのままで

アイスクリームを食べようよ。

今日と言う日が終わってもいないのに

次の予定を立てようよ。

今日は子供になる日と決めて、

一生懸命、おもちゃになろう。

おもちゃの体をたくさん使って、

おもちゃの頭をたくさん使って、

ああ、そうだ、自分も

おもちゃだったんだって

思い出したらいいんだよね。

 

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

サーカスは夢を売る。

売られた物は、

きちんと買おう。

言葉はバラバラにしたままにしよう。

明日の予定は楽しい事ばかりにしたままで。

 

カラフルなスポットライトが

追いかけて来るよ。

崩したままの積み木のままで

子供と一緒に

崩れて

笑おう。

 

 

(ブログ開設2.5カ月。200記事目、自分、おめでとう。ボソっ)