あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

旅人指南

大好きだった先輩の言葉なんです。

「それが運命(の人)だったら、

どんな事をしてても出会うし、

運命でないのだとしたら

どんな事をしても出会う事はない。」

 

諦めを促す教訓でもなく、

考え無しを支持する応援でもない。

 

切ない運命と

きらびやかな運命とが

あるのだとしても

人が織り成す網目の中で

私達が明日を探しているのだとしたら

ある意味、

そう考える事が

自然な思考の一つなんだと

この頃になって思うんですよね。

 

ろくでもない事だって

願ったりの事だって

「開く」か「開かない」か程度の事なのだから

むやみに自分を追い詰める材料に

仕立て上げない方がいい。

 

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そして一度、

訪れた運命を受け入れたなら

それに必死になってしがみつかなきゃ駄目なんですよ。

足掻いて、爪を立てて、

喰らい付いて、よじ登る。

運命を呪ったり、

運命に背いたり、

運命のせいにしたり、

運命から逃げ出したり、

そんな事を平気にしているようでは

いずれ自分自身に

愛想が尽きてしまう気がします。

 

主導権はいつだって

自分にあるんですよね。

楽天的に構えるのだって、

悲観的に沈み込むのだって、

「感じる」のは自分なんです。

人を悪モノに仕立ててはいけない。

自分以外に犯人がいれば、

そりゃ心はいくらか軽くなります。

だけど、それを安易に選んでしまっては、

自分自身がおとしめている人達と

同じような暗い暗い穴の中に

落ち込んでいってしまう。

 

身に起こった事は

もう、無かった事、には出来ない。

「私はここにいる」のなら

「私はここにいる」から物事を見定めないと。

 

幸運が

ここにいる私を目指してやってくるのだとしたら

私という目印がおぼろげな物では

きっといけない。

 

運命は

通過点なんです。

目的地にいくための切符を握り締め

選んだ電車に乗ったのなら

結果的に途中下車をしようが

最後まで座席に座り続けていようが

車窓を通り過ぎる景色を見届けるくらいの

平凡な旅人らしい旅人でありたいと

私は思います。