あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

あとかたもなきフレームアウト

f:id:akarinomori:20180420165515j:plain

 

眼前に構えていたカメラを下すと

もう私の前には

あの「ファインダーの中の君」はいない。

顔の前からカメラを下す、その一秒にも満たない作業の内に

君は「次の君」へと変化している。

 

私が見逃した君。

見送ったら最後、もう二度と出会う事の出来ない君。

 

残念に思う心の内を見透かすように

チラっと笑ってどこかへ君は向かっていく。

手の中でぬくもるこのカメラは

とてもとても重く

再び君を切り取るには

あまりに頼りない。

 

この胸に

君の仕草を焼き付けて

丁寧に現像していく作業を

どうして私は不覚にも

他人事にしてしまったんだろう。

何の為の記録だろう。

誰の為の記録だろう。

朝焼けのように刻一刻と変わる君を

夕日のように幾千もの彩りに満ちた君を

私は随分と

「私でない何か」を通して

忠実に捉えた気になっていたんだなあ。

 

技術の粋を結集した記憶媒体に比べれば

そりゃあ、話にならないほど私はポンコツ

どちらかというと

ファインダーの中を覗き込んで

正確にピントを合わせるよりも

君のおでこと自分のおでこをくっつけて

泣いている君を笑わせる方が

少しだけ得意なんだよね。

抱き締められた君が

涙と鼻水でくしゃくしゃになって笑うから

私は両手に抱えたカメラを

もうどこかへ置きに行かなくちゃならない。

 

君は次々と新しい君になり

私の手を独り占めするから

私は一心に君を見つめて

あらゆる君を見逃さぬよう

キンと研いだ心の鏡で

柔らかに変化する君の影を追う。

 

私のそばをすり抜けて

笑いながら消えていく君を

いつまでも思い出せるように。

私は重いカメラを置いて

ファインダーを解き放つ。

 

 

(最近、気付いた事があるんです。

私は確かに写真を撮るのが好きだけれど(上手下手は別の話)、

以前と今とでは被写体にカメラを向ける意味合いが少し違ってきたのでは、

と思ったんですよね。

前の私は子供や風景に無心になってレンズを向けていました。可愛らしいと

感じるもの、快いと感じるもの、胸の内が震えるようなものに向けて、

無邪気にシャッターを押していたように思うんです。

ちゃんと、何のために写真を撮っていたか、解っていた気がします。

今は、その私なりの焦点が、どうにもぼやけてきたように感じて、しばらく

公の場で特別な物が写った画像を控えようと考えました。個人情報が、とか

著作権が、とかそういう難しい事を言い立てているわけではありません。

ただ、不特定の誰かに見せる為に(仕事でもない場で)自分が大事に仕舞って

おかないといけないものを無造作に陳列するのは、私個人として不自然だと

思い始めたからでした。

だからと言って、今後もこのスタンスを貫き続ける、と宣言するものでも

ありません。気まぐれに、一通りのものを観て下さる人達とも共有したいと

思って掲載する機会も勿論あることでしょう。

今しばらくは、私そのものがどこかで引っかかりがある以上、やはり、

そんな不自然さを残したままで、安易にブログへ乗せ続けるのも、

大勢の方に対して失礼かと結論します。

誰かから何かの注意を受けたからだとか、私が後ろ暗い所があるからだとか

そういう類の事で掲載画像を吟味していると言う事ではない事だけは

お知りおきいただけたら、と。

 春、深く、

 昼間大らかに吹き抜けていた風が収まる宵の口、

 うつらうつら清々しく広がる夕景を、ただ、惜しみつつ、眺めるこの頃です。)