あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

ワレワレハ、チキュウジンダ……。

 体脂肪25%。筋肉量36kg。身長150cmチョイ。量産型、昭和モデル。

 個体識別名「あっこ」。非営利団体「我が家」管理。

 次男1歳の授乳は完全終了ですので、おおよそこのポヨポヨ体型は自己のカロリー消費不足の賜物であります。確かに40歳を迎えて代謝は落ちました。体力というよりも筋力が低下しているのが実感としてあります。緩やかに衰えて行って老いの域に達するのはもう自然の摂理、世の定法、致し方のない事ではありますけれども。

 この頃になって私、ぽつぽつ自分と周りとそれから自分の気持ちとが一続きになったと感じるようになりました。やっと、です。以前までは、感情が先走り過ぎていたり、周りの動静がいやに自分とチグハグであったり(そう思えたり)、場違いな雰囲気に圧倒されたり右往左往しておったのですよね。それこそが、若さの成せる業であったのかも知れないのですけれど、時にその違和感は私を迷わせ、僅かながらの自信を喪失させてきました。こんな所に居ていいんだろうか、自分は何をやっているんだろうか、そもそも自分は必要とされていないんじゃないだろうか。馬鹿馬鹿しい思い違いというのでしょうか、遅すぎた思春期みたいに凝り固まった出口のない悩みで、ひどく自虐をしていたのだと今になってみれば思えます。必要とされたくて、背伸びをしていたのかも知れません。または、何かに成りたいと切望していたのでしょうか、注目を浴びて喜々として握手を求められるような、羨望の的に変身したかったのでしょうか。欲しかったものは技術や才能ではなくて、恐らく単なる肩書や他人からの恋慕であったのでしょうね。

 踏み出す勇気を出し渋りしているくせに、周囲から求められる事ばかりを夢想していました。自分なんてまだまだです、とんでもないですよ、何の取り柄も無いんです、なんて事を口にしながら、気持ちのどこかでは「まだまだ自分はこんなもんじゃない」「今の私は本当の私じゃない」と拙い両手を振り回して、整然と並んだあらゆるものを無茶苦茶に引っ掻き回していたようにも思います。謙虚な振りをした、とんだ傍若無人ですよね。

 おこがましさ、厚かましさ、横暴さ、無知。現在でも気を許せば、いけ好かない自分自身が世間を舐め切った自信満々の顔を覗かせてきます。「我こそは」と、根拠のない自信に突き動かされたオモチャの兵隊が、雑踏の中を真っ直ぐに行進して歩くようです。

 現実を受け入れる事は、たぶん少し残酷で悲劇で、いくらかの滑稽さを持っているのだと思うんです。成りたくなかった自分の見たくなかった部分もクッキリとした輪郭を持って目の前に立ち塞がって来ます。人づきあいが苦手な自分、相手との距離が取れない自分、容姿を誇れない自分、学習能力が低い自分。望んで引っ込み思案になっているのではないけれど、現実が自分をついつい後ろに退かせている、そう思えてならない、そんな自分。

 何もかも、贅沢な悩みだったなと、40歳の私は考えるのですよね。勿論、日常に起こる困惑や問題に現在だとてちょくちょく引っ掻き回されている私なのですけれど、ただ、悶々とした掴みどころの無い見えない敵に翻弄される機会は、グンと減ったようにも思います。先が見えてしまったからでしょうか、それとも、経験値の成せる事なのでしょうか。いえいえ、若かりし頃に蓄積されたモノは確かに、課題へ取り組む判断材料には成り得ます。けれども、決してこれからの指針には成り得ません。全部、ここにある自分の身体、自分の頭、自分の心一つでしか掴み取れない事ですし、感じ取れない事ですし、行動し得ない事だと私には感じられるのです。この足が立っている場所は私が歩いて来て辿り着いた場所ですから。例え、誰かに敷かれたレールを歩かされたのだ、と訴えたとして、それでもそこから逃亡せず(あらゆる理由を付けて)ここまで「自分で」歩いて来たのだとしても、この両足が踏みしめている場所こそが、これからの「自分自身の」旅の出発地点なのですものね。

 しんどいですよ、そりゃあ、自分に責任を持つって。当たり前の事なのに、それをしんどい事だと認識してしまう、この自堕落。そこまで甘えて過ごして来てしまったと言う事なんでしょうかね。心に溜まった贅肉が、私を億劫な人間に変えてしまいました。生まれてこのかた、そう40年分の贅肉です。ちょっとやそっとでこそぎ落とせるわけがありません。

 人って不思議な物で、ある程度、自分の身の周りの事をそつなく出来るようになると、途端に自分一人で生きているように、生きてきたように思いたくなってくるようなんですよね。本当は大勢の人の尽力、たくさんの人の善意、数え切れないくらいの人の愛情で、くるまれて、守られて、与えられてきたというのに、です。迷惑を一切かけずに生きてこられた人など果たしているでしょうか。例えば蛇口をひねれば出て来る水。コンロを押せば現れる炎。雨風をしのぐ事の出来る家。凍えなくて済むように身体を包んでくれる衣服。取り囲む全てが誰かの力で動いて流れています。たった一人で生き抜いてきたように錯覚している時でさえ、それを許してくれる世界があります。

 体脂肪25%。筋肉量36kg。身長150cmチョイ。

 私がこうしてある事を、見逃してくれた優しい世界。いびつであっても、美しくなくても自主的に生きる自由だけは擁護してくれた世界。

 有り難いですよね。

 うわーん、と泣きながらこの世に飛び出て来た私を、一生懸命生かそうとしてくれた温かい人々。よちよちと危なっかしく進む私が、転ばないようずっと背中から声を掛けてくれた人々。反発し金切り声を上げても、辛抱強く私の心が開いていくのを待っていてくれた人々。

 やってごらん、大丈夫だよ。

 ありのままを許してくれたこの世界は、きっと「それ以上でもそれ以下でもない私」を認めてくれているのだと、思うんです。

 有り難いですよね。

 もう、どこにも行かなくて良いんですよ。

 どこにも私は彷徨って行かなくても、良いんです。

 貴女は何者ですか。

 そう問われても、怯えずに、緊張せずに、委縮せずに言えるんです。

 「私は、何者でもありません。貴方が観る私が、今の私の全てです。」

 40年分の贅肉がそう言わしめるのでしょうか。このポヨポヨの横っ腹が私の背骨を支えてくれているのでしょうか。楽しいですね、生きるって。

 

 

(次男1歳、風邪引き、発熱。そして私の有給休暇はしごくまっとうな理由であれよあれよという間に消化されるのであった。)