『あかりの森’s blog』を雑記帳たらしめている我が思考のいくつか(垂れ流し的な何かがあるので、覚悟のある方のみ入場可)
「日差しもすっかり夏らしくなりました。
夏の景物として知られるほととぎすは,死出の田長とも呼ばれ,この世とあの世を行き来すると言われています。ほととぎすがあの世の誰かに言伝をしてくれるとしたら,誰に何を伝えたいですか。」
出勤後、デスクに落ち着きメールを開くと、その中の一通にこのような冒頭文が添えられていました。「お世話になっております」「お疲れ様です」等から始まる幾多の事務メールから際立って、何故だかほっと一息を吐きたくなるようなメールでありました。署内の従業員向けの連絡メールだったのですが、送り主のさっぱりとした品格に触れるようで、気持ちの良い朝になりました。言葉一つの心遣いにしても、魅力的な言葉遣いが相手に対して出来るというのは、それこそ類い希な美徳であると思うのでありました。
《あっこ的、気持ち良かった出来事メモ》
ツイッターではなくて、ホームページでもなくて、ブログという形でないと成立しない文章とはどんなものなのかしら、と思い巡らせながら今日は出勤しました。とはいえ、それを使用する人の自由意思に任されるのですから、特にテーマに線引きは必須ではありません。発信の形もいかようにも工夫出来ます。定型がないのですからどのようにも仕立てる事が出来るのですが、逆に言えば、その形だからこそ活きてくる文章構成なり文章量であったりもすると思うのです。呟き程度ならツイッターで十分です、愚痴、断片的な思考、一方通行の訴えなどなど。これもだからと言って絶対ブログで書いては駄目なのかと言うとそうではないので、余計に「ブログ」と言うのが曖昧模糊としてくるのですよね。ではいっしょくたに「SNS」「情報発信ネット記事」と括ってしまえばいいのかと言うとそうとも言えるし、それも言い切れなかったりして、面倒臭い。
私はブログを文字通り「雑記帳」として扱っています。「メモ」でもありますし「日記」でもありますし「育児記録簿」でもあります。ただ、自分の中で気を付けている事があって単なる「気持ちの垂れ流し」にするのはやめておこうと思っておりまして(お、タイトルに対してのアンチテーゼか?!)、ええ。これは自分自身の勝手な戒めなのですが、つまりダラダラと言葉を粗末に扱っていると、やっぱり言葉そのものからも自分が粗末なものに見られてしまうのではないかと考えておるのです。人間は言葉で思考している動物なので言葉が枯れてくると、たぶん「人」もシワシワに干涸らびてくるのではないかと思うのです。自己啓蒙という種とは違いますが、もしも言葉が自分を形作り、あるいは言葉が自分というモノを支える材料であるのなら、ないがしろにするには少なからず危険を伴うのではないか、と。
いやはや、常にこんな哲学を練り練りしながら通勤してはおりませんが、今日という日は何か特別であったようで、頭の皺が一本くらいこれで増えたのではないかと個人的にはほくそ笑んでおりますよ。
《あっこ的、ブログ利用の意味をあれこれ思うメモ》
青い空を見上げる気持ち良さを味わいながら、思う存分言葉の海におぼれ、思索の草原に戯れ、心の限りを尽くしてブログを書き綴る活動。
←青い空=すっきりと晴れ上がった空=天晴れ=あっぱれ!
←ブログ=略して「ぶ」=「ぶ」? クラブ活動? クラブ?=部
←あっぱれ!ブログ=あっぱれ部
←究極、短縮「ぱれ部」。
←活動日:主に土日祝。不定期に平日。
←活動内容:「青空」の名の通り、アウトドア体験・経験が中心の記事を書きます。美術館巡り、シネマコンプレックスでの映画鑑賞、遠足、旅行など、大いに拡大解釈大歓迎。
旅行記、失敗談、芸術論、乗り物評論、はたまたパートナーとの痴話喧嘩顛末報告、分野は多岐に渡って悲しくもおかしい人間模様を盛り込めば提出規格は無制限。
←部長:あっこ
←客員部員:我が家の5歳児と1歳児、時々、主人
←次回活動日:夏のどこかで大いに暴れたい(強く希望)。
←部長より一言:「弱小クラブですが、熱い気持ちはどこにも負けません。さあ、君も、明日から”ぱれ部“!
《……あっこ的、今日の妄想メモ》
「あっぱれぶ」「ぱれぶ」ゴロが良かったんです。
通勤は一駅分、毎日、歩いてるので、いろんな事が睡眠中に見る夢のように浮かぶのです。妄想、楽しいですよ、ふふっ。あ、ご心配なく、ちょっとした病気ですから。明るい愉快な発作です。