あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

水談義

  一つの記事をご紹介いたします。

  ベリーさん(はてなブログのハンドルネーム)という女性が運営されている『ベリーの暮らし』というブログに掲載された記事です。

www.berry-no-kurashi.com

 購読者がもうすぐ1000人にも到達しようかという程の人気ブログのブログ主様ですが、日々の丁寧な暮らしぶり、シンプルで効率的な整理術、そして何より、お母様として奥様として日々を奮闘なさっているご様子は、一読者として羨望の的でもあり、同時に陰ながら応援して差し上げたくなるような気分にさせられます。

 (ベリー様のご厚意で、記事の転載とブログ主様ご本人のハンドルネーム記載との許可を頂きました。ここに、改めてお礼を申し上げます。)

 4月7日付けの彼女の記事「南部鉄器で沸かした、白湯。まろやかでおいしく、鉄分も補給できます」なのですけれど、実は私は、この記事に背中を押されて、南部鉄瓶を購入したクチなのです。0.9ℓ用で1万6千円は、「湯を沸かす家事用具」を購入するには(我が家において)高額の買い物でありました。

 たかが「湯」です。たかが「湯沸し」。

 鉄瓶は、それに特化した家事用具なのです。ですから、これでカレーを煮る事も出来ませんし(いや、やろうと思えば何とか……)、焼き鳥を焼く事も出来ません(いや、やろうと思えばどうにでも……)。ただ、水を沸騰させるだけの、鉄瓶。そして、1万円を超える高額商品。これだけの額があればペットボトルお徳用が何十本買えますか?

 勿論、リアリストの主人には片頬で笑われました。湯を沸かすだけで1万円超。現実的では、確かに無いのかも知れません。火に掛ければ、変哲もない水が紅茶に変わる、というのなら解りやすくて良かったのでしょう。でも、そうではないのです。水が、100℃の沸点に達して、グラグラといつまでも煮え立っているだけ。シュンシュンと沸き立って、蒸気になって水量が減っていくだけ。湯が沸いたからと言って、ファンファーレが鳴り渡るわけでも、大歓声が巻き起こるわけでもありません。細い注ぎ口から、静かに蒸気の白い筋が、チロチロと上がっているだけです。地味なモノです。普通の薬缶と違うところと言えば、沸騰した湯がボコボコと激しく沸き立たない所でしょうか。大きな気泡で持ち上げられて、湯が溢れかえると言う事だけは無さそうです。

 そして、肝心の湯の口当たりなのですが。

 率直に申し上げて、沸き立ての湯を飲んで私は「うーん」と一言、発したっきりでした。「美味しいか」と訊かれても「うーん」。「不味いのか」と訊かれても「うーん」。正直に言って、これが「1万円超」の味なのか、という感じでありました。高い勉強代を払ったと思えば良かったのか、セレブごっこを楽しんだと思えば良かったのか。

 ま、人生経験の一つだな、とその時は肩の力を抜きました。

 鉄瓶で最初に湯を沸かしたのはちょうど子供達の夕食作りの真っ最中でしたので、その湯をカップに注ぎ入れたなり、押し寄せる作業で手つかずのまま夜中まで放置してしまったのでした。夕餉、風呂、寝かし付け。怒涛の家事、育児。自分の就寝準備と子供達の翌日の登園準備を終える頃には深夜。寝る前に目にした台所には、忘れていた自分のカップ。魔法瓶式のカップには、簡易の合成樹脂製の蓋をかぶせてありましたが、見た目ではもうすっかり中の液体は冷え切っている様子。ちょっと溜息を吐きたい気分のままに、とりあえずは一口。

 で、口に含んだその湯冷ましに、私は思わずカップを二度見してしまったのでした。

 水が、甘い。

 いや、違います。咥内に無理なく染み込んでいく感じ。何と言い表していいのかが分からないのですけれど、舌の側面がピリピリしないと言うのか、本当に身体が欲している物を紛れも無く口にしているような感覚であったのです。

 嘘だと、思いました。鉄瓶の存在は随分前から気にはなっていたのですが、先程、書いた通り、湯を沸かすだけに万単位は払えないと、今まで購入に至りませんでした。馬鹿舌ではないにしても、庶民如きのオーソドクスな味覚でそこまでの感動を得られるはずもないと、思っていたのです。「その瞬間」までは。

 ああ、美味しいなあ。素直に私は呟いていました。

 ああ、水(湯冷まし)が、美味しい。

 物凄く喉が渇いていた訳ではありません。眠る前に立ち寄った台所に、たまたま私のカップが置き去りにされていて、たまたま湯冷ましが注がれていて、たまたま私が「もったいないから飲もう」と思い付いただけの流れでした。

 単なる水に「出会い」を云々するのは大袈裟かも知れません。知らないなら知らないで、私はこれからもミネラルウォーターを購入していたでしょうし、何なら今後の為に浄水器を蛇口に付けていたかも知れません。ですが「出会ってしまった」のです。

 もう、これは、ベリー様のみならず、南部鉄器を今まで守って来て下さった方々のご尽力にも、そうして自分が日本に誕生した事にも少なからずの感謝をしたい気分であります。オーバーですか、オーバーですよね、オーバーでしょうか、ドンド来い、オーバー。

 人から幾ら勧められても、リコメントの宣伝文句を耳にしても、価値観なんてそう簡単に翻るものではありません。だとするならば、やっぱりモノとの「出会い」は、貴重であり、有り難い物なんだと思うのです。背中を押してくれる存在も、自分がそこにいる偶然も、それを手にする機会に恵まれた事も。誰もが「図らずも」成し得た事であったなら、もうそれこそ「天の神様の言う通り!」でしょう。

 嘘か、本当か。ただの水が旨いのか旨くないのか。そんなものは、結局、出会った人にしか解らないものなんだと思います。有名人がオススメするグルメを有り難がるのも目先が変わって新鮮かも知れませんが、水が美味しい国に生まれて、その水を最高に美味しい形で味わう自由があって、ちょっとした工夫で更に美味しくいただく事が出来るのだとしたら。

 ね、人生、なかなか、オツなものじゃありませんか。