あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

せーので言うよ、やってみよう!

 歌謡曲にはいくつものジャンルがありますが、ラブソングとかクリスマスソングとかムード重視の物よりも、5歳児長男にはやはり「元気ソング」がお誂え向きです。彼の情報収集場所は保育園で、運動会の競技でBGMに流れていたり、発表会のダンスミュージックであったりして耳馴染みになったのが気に入るようです。

 男性ミュージックグループWANIMAが歌う『やってみよう』が、今の長男のテーマソングです。電話会社auのCMに起用され、知名度が爆発的に高くなったグループですね。元々は「おかーを、こーえー、ゆこーよー~」から始まる『ピクニック』で、私の母世代には実にメジャーな童謡です。私自身も「どこかで聞いた事、あるよね」という世代です。CMソングとしてテレビから流れて来た折には「懐かしいなあ」と目を細めた物でしたが、勿論、平成24年生まれの長男には初耳のメロディーであったでしょうし、歌詞だとてWANIMAの物で定着しております。

 「正しいより 楽しい

  正しいより 面白い

  やりたかったこと やってみよう

  失敗も思い出」

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 長男はまだ何を言っても5歳なので、キャッチ―な旋律と、ノリの良い雰囲気だけでこれを気に入っているわけで、歌詞の解釈は解っていたとしても6割程度の理解であろうと思われます。

 曲の中盤にある「やったことないことも」の後に続く「やってみよう」の掛け声を拳を振り上げて叫びたいだけの、無邪気な動機で毎日のように嬉しそうに歌っている彼です。本当に幸せそうに口ずさみ、5歳ながらも音程は外さず、まあ、歌の意味は度外視したままで、所々、言葉がもつれたら適当にごまかしながら、「やってみよう!」と叫ぶ姿に、ついついこちらまで苦笑を誘われたりしておるこの頃。恥ずかしながら、『やってみよう』を知るまでは、WANIMAというグループ名も知らなかった母です。

 絵本の『はらぺこあおむし』に「歌」が付いている事も知らなかった母です。『エビカニクス』という体操がある事も知らなかった母です。『仮面ライダーエグゼイド』のテーマソングがやたらカッコイイと言うのも知らなかった母です。

 子供と暮らして、今更なのですが、本当に今更なのですが、つくづく思うのです。

 「ありえなかったこと 出会わなかった人 あぶなっかしい 楽しい」(『やってみよう』)

 彼等と暮らしていなかったら、知らなかった事がきっとたくさんあったと思います。出会わなかった人がきっとたくさんいたと思います。時々、後ろ向きになる日も無い事はないけれど、彼等といられたから涙が出る程、笑う事も出来たし、心が震える程、感動した事もあるし、痛い事も苦しい事も、全部が無駄じゃなかったんだと心底感じられた日もありました。

 私一人だったら「もういいや」って投げ出してしまっていた事も「私が投げ出したらあの子達が困るに違いない」という一念だけで歯を食い縛った瞬間もありました。染み渡るような悔しさも味わいました。ひりつくような苦しさも覚えました。それでも「子供がいるせいで」と歯軋りをするのではなく、「子供がいてくれたから」経験して、そして乗り越えられてきた事なのだと実感するのです。

 かつて、私の一部であった小さな小さな命が、自分で考え、自分で選び、自分で歩き、自分で走り出し、私を振り返って大きく手を上げて笑います。生きる事を真正面から楽しんでいる彼等を眺めていると、立ち止まりそうになる時も、皮肉を口にしたくなる日も、小さく纏まろうとする自分自身でさえ、笑い飛ばしてやりたい気持ちになってくるのです。懸命に生きようとする若々しい命達に、引っ張られるようにしてここまで来た事を思い出すのです。

 「やって後悔などすることないさ 理由なんていらない」(『やってみよう』)

 我武者羅、なんて事を言い出せば、青臭くて生意気で、埃っぽくて片腹痛いでしょうか。でもそれは、我武者羅にやった事が無い人が、自分のフィールドでない場所で懸命に汗をかく人を傍観する時の擦り減った感覚なんだと思います。もっと熱くてもいい、もっと泥臭くてもいい、もっと拳を振り上げたっていい、つまずいて膝を擦りむいたら、ちょっとだけ泣いてもう一度立ち上がって走ったらいい。そう思います。

 肌寒い日も、降りやまない雨の日も、友達と喧嘩して悲しい日も、思うように出来なくて喚き散らしたい日も、彼等はいつだって真剣に生きています。

 それに寄り添ってエールを送ったり、時にタオルを手渡したり、背中を押し上げたり、共に喜ぶためにはきちんと全部を見届けなければいけないんですよね。見届ける為には、こちらもいい加減に生きていては駄目なんですよね。いい大人が何言ってるんでしょうか。いい大人のくせして随分と陳腐な台詞でしょうか。

 そりゃあそうでしょう。たかだか5年です。私が人の親になってたかだか5年。人間の命をこの両手に預かって5年の若僧が、悟ったような顔して冷静な気持ちに成れる訳はないんです。危なっかしくて当たり前です。けれど、それさえもみっともないと思ってしまったら、何かが終わってしまう様な気がします。

 やってみよう。

 君達に出会わなかったら、私は、何も出来ない私でした。

 やってみよう。

 君達に教えられなかったら、私は、身の程を知らないままでした。

 やってみよう。

 君達の、ふつりふつりと燃え広がるような高い体温が、私を励まし私を勇気づけてくれます。投げ出さない理由は「君達がいる」から。もうそれだけで十分です。

 明日が良い日だと確信できる、君達のぬくもりを抱えて眠る心強さが、母には何物にも代えがたく思えるのです。