あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

こじれるのなら、斜め上が良い。

 可愛いモノよりも、カッコ良いモノに憧れてきました。ガーリッシュよりもボーイッシュを常に目指しておりました。小さい頃は男の子の友達とばかり遊んでいたように思います。魔女っ子が変身するキラキラしたアニメよりも、宇宙警察が悪の組織と死闘を繰り広げるビカビカした戦闘シーンを食い入るように見つめておりました。

 大人になった今でも、軸の部分は変わっていないと思います。撫でつけられて大人しく寝そべっているよりも、けしかけられて駆けずり回っている方が気持ちに正直であるような気がします。第一子で一人娘の私(弟あり)は、女の子をフワフワと慈しんで育ててみたかったという母の理想とはおおよそかけ離れた人に仕上がってしまったに違いありません。時折、読むなら恋愛小説よりも軍記物、映画鑑賞なら壮大なアドベンチャーや宇宙叙事詩に胸が躍ります。

 それなら現在の私自身が颯爽としたパンツルックや、引き締まったスーツスタイルが似合うのかと言えば、これこそ逆の話で、Aラインの膝下スカートや、ふっくらと丸みのある提灯袖ブラウスを着る方が評判がよろしかったりするのです。まさか、宝塚歌劇団の男役俳優の方とは比べものにはならないでしょう。けれども、フェミニンなムードこそはそぐわないだろうと自分で思い込んでいるよりも、客観的な視点から得られる評価が存外多様で、それにはいささか驚かされてもいるところであります。

 カッコ良いモノは私の「中」でなくて、残念な事に常に私の「外」に存在しました。今に至ってはもう、ここから何かに成りたいと熱望しているのではなくてただ、単に、カッコ良いモノを目で追いかけているだけです。例えば、時代劇の殺陣(たて)等は、つい画面に見入ってしまいます。映画『るろうに剣心』、『無限の住人』、テレビドラマ『御家人斬九郎』、見惚れました。剣劇は虚構です、分かっているんです。鋼で誂えられた重厚な日本刀を片手で蝿叩きを振り回すみたいに、あれほどブンブン振るえる訳はないんです。いざ戦闘になったところで、刃先で撫で切るような斬り方では相手を殺す事なんて出来ないんです。敵をあんなに大勢薙ぎ倒していきますけど、最初の2,3人で尋常の刀は刃こぼれを起して使い物にならなくなるんです。分かっています、分かっていますとも。でも、目が離せなくなるんです。エンターテインメントの重箱の隅突いても、楽しくも何ともありません。

 特に時代劇には「定型」があります。斬られるべき悪モノがいて、やむを得ず殺生をする正義の味方がいます。これがそもそも解りやすくて観ていて安心感があります。現代劇のように、あっちに飛び、こっちに転がり、何でもありでエキセントリックでもいいしロマンチックでも良くて、お決まりのお涙頂戴でも、不気味な未解決でニヤリでも良い、などと言う漠然とした自由さが介在しにくいです。私には、その起承転結がはっきりとした緩急が振れ幅一定なのが丁度、胸の辺りにしっくりくるように思えるのですね。加えて、その「定型」がほんの少し崩れている物語にとても興味を引かれるのです。とびきり腕の立つ主人公が、私生活では金と女にだらしない、だとか、本気を出すと最強の剣士だけれど普段はただのおっさんである、だとか、こう、微妙にでもいいですし、明らかにでもいいのですが、表面上では「格好良くない」というのがカッコ良いと思えるのです(『御家人斬九郎』の原作者、柴田錬三郎氏が執筆された別作品『眠狂四朗無頼控』の主人公は同じ作者がお書きになった者でも格好良すぎて逆に範疇から外れます)。

 つくづく自分はひねくれ者であると思い知るのですけれど、私は美し過ぎるモノには恐れ多くて近づく気持ちが萎えてしまう傾向にあるようです。非の打ち所がないモノに親近感が湧きにくいのでしょうか。間違いなく、私は「非」だらけなので、どんなに偶然が重なったとしても、隣に座って同じ空間で(全くの他人としても)知らぬ客同士で御飯も食べられないようなキャラクターには上手に感情移入が出来ないのですね。痺れる程に憧れるなあ、というのは考えにくくて、「お友達からお願いします!」の方が私には随分と肌に合っているのではないかと思います。

 『暴れん坊将軍』の上様も、『遠山の金さん』の左衛門の尉も、当方には格好よすぎるところの方々です。『水戸黄門』のうっかり八兵衛さんとなら仲良くなれそうですが、困った時には即座に助さん格さんの背中に隠れてしまうのが心もとないところです。そもそも、彼は刀を振り回したりしませんしね。

 腕っ節は強いけれども、フラフラとして勝手気まま、折よく信念をくすぐられたり、義理人情を煽られると途端に火が付いて全てを投げ打って立ち上がる、それがたまらなく熱いんですよ、熱くさせられるんですね。

 思うんですが、私そのものが「浪花節」の女なのでしょうね。ポップミュージックよりも演歌、ゴスペルよりも浪曲、ミュージカルよりも歌舞伎、要はそういう人種であるのでしょう。

 まとめますと「行列のできるラーメン店の店先で、たまたま隣に並んだちょっと悪めの(実はその界隈では名の知れた)喧嘩が滅茶苦茶に強いガタイの良いぶっきらぼうだけど優しいオニイチャン(喧嘩は売られてから買うタイプ)」が、たまらん、という結論です。

 可愛い、よりも、カッコ良い、に魅了されて来た結果、このようにこじれた嗜好を持ってしまった事を、ここに白状いたします。