あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

密着、24時! 余談、収録。

 東京都立多摩総合医療センター。

 我が家から車なら7分程度の距離にある総合医療施設です。小児総合医療センターと隣接していますので、幼子2人を抱えておれば、それはそれはよく利用する場所であります。周辺地域のER施設でもありますので、掛かり付け医院の診療時間外受診はまずここにお世話になるわけですが、正直な話、楽しい事とは直結していない子供の急病での来訪でありますので、出来れば足しげく通うのは避けたいのが本音です。

 しかしながら、子供という種族はどうにも緊急事態に陥るのが週末やら夜間に集中する部類であるようでして長男がまだまだ幼かった頃には呆れるほどよく救急外来の門を叩いたものでした。来訪の内の2回分は火傷と発熱性失神での救急搬送でありました。小さな子供がいる家庭にとって、近場の総合病院ほど心強い物はない、これもまた事実です。

 今回の心ならずの救急外来来訪は、次男の発熱の為でありました。先週末から続く発熱。土曜日の夜に高熱になり、主人がまず救急窓口で受診してくれました。それから平日に掛かり付けの小児科医院で再診してもらうと「夏風邪」であろう、との診断で、熱の原因が分かっただけでも良しと安心していました。が、それも束の間。その後、2日経っても症状はのんべんだらりと引き続き、とうとう、次男は一切の固形物が食べられなくなりました。日中は元気もなく、少し動いては眠り、泣きながら目覚めて牛乳やスムージーで喉を潤し、力なく泣き始めて、ウトウトする、を繰り返すように。熱は依然として高いまま、その内、泣く事さえ体力を消耗するのか、涙で目をショボショボさせながら膝から崩れ落ち、うつ伏せになってところかまわず寝そべるようになりました。

 こういう場面での、母の勘と言うのは我ながら研ぎ澄まされるモノであると思います。いつもの彼と違う、これは今夜には危ない状態になる、翌日の掛かり付け医院の受診時間まで待てない、そう直感し、帰宅した主人にお願いして車で医療センターへ走りました。時刻は夜の8時を回った頃です。季節柄でもありましょうか、小児科外来は診察を待つ家族で盛況でした。首も据わらない赤ちゃんから、急性アルコール中毒の中高生らしい女の子まで、重症、軽症、様々な親子連れが待合室に寄り合って座っております。勿論、トリアージ(治療順位に、症状の緊急レベルを反映させる方法)に従って順番待ちをしていますので、夏風邪らしい症状の息子はそれから1時間ばかり待機です。この間にも、待合室前で嘔吐する子供がいたり、ベンチで寝そべった状態でうわ言を叫ぶ患者がいたり、その重苦しい空気の中を清掃係の方々が吐瀉物を片付けに回ってくれ、また看護師の方々がカルテを持って足早に通り過ぎ、呼ばれるのを待つ私と息子は抱き合うようにして時間を過ごしておりました。

 やっと呼ばれて問診していただき、その見立てでは気道におかしな音が聞こえるとの事でした。息子の諸症状と、その時の診断で肺炎か気管支炎を疑われました。また待合室に戻されて、待つ事しばし。別室にて薬の吸引を行いました。再度、診察室に呼ばれて受診後、レントゲンを撮るとの事で別区画にあるレントゲンコーナーへ移動。夜間でありましたので、無人の廊下と待合室が異様な雰囲気で、物腰柔らかく対応してくれるレントゲン技師の看護師さんがいらっしゃらなければ、ちょっと心細い気持ちになるところでした。

 生まれて初めてのレントゲン。赤ちゃん用の小さい撮影台は、まるで特殊なまな板のよう。上半身裸に剥かれた息子のあばら骨が、拓かれた魚みたいに浮き立っていたのが憐れでありました。

 結果、下された病名は「気管支炎」でした。感染性であるかどうかは現時点では分かりませんでしたので、取りあえずの症状を押さえる為の処方箋が渡されました。かれこれ病院を訪れて会計までかかった時間が3時間。致し方ない事とは言いながら、病院で過ごす時間は、体力よりも神経が磨り減る分、疲労感は大きいですよね。

 処置を受けている間にも、カーテンで仕切られただけの側のベッドでは、例の急性アルコール中毒らしい女の子が治療を拒否して大暴れしておりました。看護師3人がかりで取り押さえ、検査キッドでの検査と点滴挿入を行っている模様です。会計コーナーに向かう途中では、別の救急患者が吐き戻ししたらしく、トリアージコーナーの廊下が水浸しになっておりました。

 疲れ果ててまどろんでいる息子を抱いて、会計待ちをしていると脇の方からベビーカーを押した髪の長い女性が駆け込んで来ました。どこかで受診の順番待ちをしていたのでしょうか、ひどく慌てた様子で会計係の女性スタッフにかじりつかんばかりに訴える事を聴く限り、ベビーカーに乗せていた娘が急にグッタリしてしまって動かなくなった、という内容でありました。最前列で会計を待っていた私からは、その女性の子供であろう女の子の顔がはっきりと見て取れました。丁度、我が家の次男と同じくらいか少し大きい月齢の子で、焦点の合わない目を見開いたままピクリともしません。受付の女性から診察券を要求された母親は、ベビーカーの下から必死に診察券を探しています。手が震えているのでしょうか、一枚のカードを取り出す間にも、荷物は床に散らばり、それをまた拾おうとしておかしな仕草で姿勢を崩したりしていました。受付に診察券を提出しながら、ついに彼女は泣き出してしまい、娘の手足を熱い物でも触るようにオロオロと撫で続けておりました。

 これが日常の救急外来での風景なのでしょうか。待合で肩を寄せ合う人々は遠巻きに無言のまま。受付から救急への内線はなかなか繋がらない様子で、受話器を持つ女性スタッフも沈鬱な表情をして固まっておりました。泣き続ける母親と、微動だにしない小さい女の子。やがて駆けつけた看護師に女児は抱きかかえられ、どこかの処置室に運ばれて行きました。「体重は何キロですか」と看護師が尋ね、「11キロです」と泣きながら答えていた母親の声。ああ、やっぱり、私の息子と同じくらいの子供だったんだな。そう思ったとたん、涙が溢れました。

 子供が、生きているのは、全然当たり前の事ではなく、不可抗力によって生かされているに過ぎないのだ、と、何故か心が一杯になりました。

 赤ちゃんの時に、頭から熱い紅茶を被って大火傷を負った長男の事を思い出しました。リビングで遊んでいたと思ったら突然、顔面蒼白になり唇まで真っ青になって床に倒れ伏した長男の事を思い出しました。

 そして、こうして今回、無事に家に帰る事が出来た次男の幼い身体を抱き締めた時、熱い物がこみ上げて来たのでした。

 まだ少し、母子の闘病は続きます。深夜の帰りのタクシーの中で、胸に寄りかかって眠る次男の重みが、それでも、きちんと明日分の希望を連れて来てくれるのでした。

 頼りない母を、強くしてくれるのは偉人の残した有り難い言葉でも、ベストセラーの育児書でも、きっとないのですよね。泥臭いこんな経験を回り道しながら、躓きながら何度もこねくり回して行く事でしか「母力」は築かれないのでしょうね。

 鬼気迫るドキュメンタリーは、私の膝の上にこそあるのです。抱腹絶倒のファンタジーは、私の腕の中にこそあるのです。物語の現場は、ここ。私が母である限り。