あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

あの空の下を、想う。

 9日4日、和歌山の実家で独り暮らしをしている母が、台風により被災しました。9月6日未明、北海道苫小牧で独り暮らしをしている弟が、地震により被災しました。2人とも、停電による不自由を味わいました。東京に在住する私からは携帯電話のみの連絡しか出来ませんが、2人共、手元の通信機器(スマートフォンなり、家庭電話なり)の動力は、やはり電気に頼っているので必要最低限の連絡しか取れません。先方の充電がなくなれば、全くの不通になってしまう危険があるからです。

 今では復旧していますが、和歌山の実家の場合、水洗トイレも電気での水の汲み上げをしていました。風呂の湯沸しもガス機器への点火は電気でした。ですから、停電中の母はバケツの汲み置きでトイレの始末をし、真っ暗な中で薬缶に沸かした湯で身体を拭いていたそうです。せめてもの救いは水道とガス(プロパン)の断絶が無かった事でしょうか。

 台風の次には地震。今回の震度は7であったそうですが、今までの教訓が生かされて通話の為に公衆電話が無料化されたり、スーパーマーケットの生活用品が安価で解放されたりしております。不幸中の幸いは、これが真冬でなかった事でしょうか。夏場は過ごしやすい北海道。冬の厳しさは他の都道府県の比ではありません。

 とにかく無事であるというメールが弟からは届きました。わずかな時間ではありますが、彼と通話にも成功しました。震源地から近い場所に住む彼の生活が、今後、どのように圧迫されてくるのかは想像が出来ません。激情だけで、無計画に被災地に駆けつけるわけにもいきません。「生きているのだ」という一つの希望を心に留め置きながら、私は日常生活を続けるのです。

 天災が通り過ぎた実家の母からは「屋根瓦が吹き飛ばされてね」と、苦笑と共に情けない報告がありました。周辺の業者も、あちこちから注文が殺到しその対応にてんてこまいであるそうです。自宅の修復に頭を悩ませているのは母だけではありません。仕方の無い事とは言いながら、これからの秋の長雨に雨漏りの心配をする日々が続きそうです。

 「明日は我が身」。この言葉は、私達が大きな厄災に見舞われる度にテレビからも新聞からも公の人からも近所の友達からも聞かされる言葉です。たまたま今まで無傷で過ごしてきた事が奇跡であるかのような私達の暮らしなのです。側にいる子供達を、ひたすらに抱きしめたい気持ちにさせられる言葉です。

 

 

(1000文字雑記)