あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

エゴイスティックファッション

 紅葉がカッと華やぎ、朝夕の冷気が身に染みるこの頃。目覚めの折、出勤の折、上着の襟を指先で立てたいくらいの気持ちになります。ついこの間、衣更えしたばかりなのに「この服装で良かったのかしら」と少し心許ない気にもなってしまいます。

 以前に書き留めたワードローブについての記事を思い出しています。ハンチングが好きなのはずっとの事なので、最近、被っているのは黒のウール100%の日本製。秋口にはデニム地のもっとカジュアルなのを愛用していました。いつも纏っているワイシャツはさすがに7分丈では辛いものがありますから、オーソドクスな白の長袖に変えました。この上へ化繊の薄物のカーディガン、ダウンのベスト。自転車を常用する為(子供の送迎から買い物まで)パンツルックが主流になり、ジーンズパンツ、ツイードパンツ、ストレッチパンツ、これらのヘビーローテーションです。よって靴も自転車に跨がりやすいローヒールの革素材。スニーカーもありますが、今は専らショートブーツかフラットシューズ。

 格別の着回し術も持ち合わせていないので、寒ければ更に上に何かを羽織り、暑ければ一枚脱ぎ、を繰り返している私。何が似合うという客観的視点にも立たない事が多いです。

 そもそも「自分に何が似合うのか」というのは本当に曖昧な感覚です。物事の本質を論じる高尚な事は出来ませんが、欲しい物を選ぶ時、目指す方向を模索する時、私はしばしば「好きか嫌いか」を指針にするようになりました。とはいえ、これも若い頃は人目を気にしてやり通せなかった事の一つであります。

 服装も、そう、振る舞いも、そう。「自分に似合うかしら」と、洋服店の姿見の前で試着服を吟味する時、私の中にはもう一人の「私」が腕組みをしています。そばで見立ててくれる店員さんも「お似合いですよ」と私の自尊心を励ましてくれています。私は様々なシチュエーションを懸命にシュミレーションして、服の見栄えを想像します。「貴女らしいわね」「素敵だね」と、「私でない他の誰かに」褒められたくて、認められたくて、昔の私は着る物を選んでいたのかも知れません。

 けれども、40代を生きる私は、ふと自分の両手を見るのです。「自分に似合う」を、自分でない誰かに判断してもらうのは、ちょっと違うと思います。

 それを身につけた自分を好きか、それをしている自分に満足しているか、大切なのはそういう「自己中心的な」部分なんですよね、結局。