あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

日日是好日(にちにちこれこうじつ)

 私が茶の湯を手習いしていたのは、およそ7年前になります。大学生の4回生の頃から始めて、東京に嫁いで来るまでですから10年と少しお稽古に通っていました。ひと月2回、表千家流の先生のご自宅で、週末の都合の付く時間にご教授願うのです。

 11月の辺り、ちょうど茶室のしつらえは「風炉」(ふろ)から「炉」(ろ)に変わります。今、手の空いた時に読んでいる文庫本で森下典子さんの著書『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)があります。この中の主人公は学生時代の筆者ご自身なのですが、自宅で茶道を教えていらっしゃる先生と、茶道初心者の若かりし頃の筆者とが登場し、その物語の成り行きが、まるで私の思い出とぴったり符合するようで、わくわくしながら、また懐かしさに涙がこぼれそうになりながら小説を読み進めている次第です。

 仕事や家事、育児の合間に読んでいる為、なかなか思うように読み進められないのですが、小さな章がいくつにも分かれているので一区切りごとに納得のいく読後感で終えられます。炉に掛けられた釜の蓋を開けたとき、柔らかく立ち上る淡く白い湯気。棗(なつめ)を扱う時の緊張感、茶碗に落とされた抹茶の緑、客席を巡っていく菓子器の様、茶菓子の可愛らしさ、重厚な床の間で私達を見守るように垂れ下がる一幅の掛け軸、月々に季節ごとに入れ替わっていくそれら全て。何かと略式が多い夏のお点前(てまえ。茶の湯では茶を入れる作法をこう呼びます)が、立冬を境に凜とした「儀式」に以降していくのです。

 茶道を辞めてから毎年、年賀のご挨拶だけをさせていただいていた先生でしたが、一昨年、残念な事にお亡くなりになりました。お送りした年賀状の返礼が先生の息子さんの代筆で、先生の訃報と共に届きました。

 11月の暮れで、私も41歳、紅葉美しいこの季節、澄み切った空を見上げております。つい昨日、思い立って自宅近くの茶道教室を探してみることにしました。お稽古から離れて久しく、ところどころ所作も妖しいと思います。小説の中に出てくる描写や登場する道具の名は苦もなく追えるのですが、実際、自分が改めてお茶室の畳の上に立った時、果たして最初の一歩が踏み込めるのかは、本当の所、不安でもあります。

 「日日是好日」。思い立ったが吉日。心が「始めちゃいなさいよ」と私をけしかけたのかも知れません。スタートラインは自分自身が決めるもの、ええ、根拠なんてないですけどね。

 

 

(1000文字雑記)