メロスよ、走れ!
40歳の女が、泣いたのです。身長154センチ、体重48キロ、体脂肪率22パー、事務職パートタイマーの、どこにでも転がっている石ころみたいな地味な女が、夕方6時、薄暗いキッチンの片隅で、両目をショボショボ涙に濡らして、泣いたのです。そう、タマネギを刻んでいた訳ではありません。熱っされた鍋の蓋を触った訳ではありません。
朗読『走れメロス』(太宰治作)を、ユーチューブで流しておる内に、胸がいっぱいになってしまったのでありました。
国語の教科書に今でも掲載されているのでしょうか。
「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。」から始まる物語です。木訥な牧人であり、熱血漢のメロス、猜疑心に凝り固まったディオニス王、メロスの無二の親友セリヌンティウスが織りなす、人を信じる事の尊さと難しさがテーマの人間模様。最初にこれに出会ったのは、やはり私は小学生の高学年でした。作中で綴られるメロスの独白や、クライマックスシーンでのオーバーな描写、ラストでの青春ドラマのような友人同士の抱擁に、子供ながら「気恥ずかしいなあ」と妙に居心地が悪くなったのを覚えています。
「メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。」
メロスが約束を果たす為に滑り込んできた処刑場で、彼と彼の友は、二人共に会えなかった時期、相手を心の中で裏切ってしまったことを白状します。その償いに、互いの頬を殴り合うのです。この時、少女だった頃の私は頭を抱えたものです。「いい年した大人が、やめてちょうだいよ、こっぱずかしいなあ」。
それが、どうしたわけなんでしょうね。久しぶりに聴いた『走れメロス』、朗読するアナウンサーの方の口調が巧みであったせいもあるでしょうが、後半から終結に向けての一気に駆け下っていく流れが、じんじんと腹を打つような気がしたのです。
特に、メロスが目の前の濁流を泳ぎ切り、不意に現れた暴徒達から逃げ切り、自分が殺される為に刑場へ走り込んでくる辺りで、40歳の私の涙腺は崩壊してしまいました。
経験を繰り返して味覚が変化していくように、心もきっと、蜘蛛が綺麗な糸を紡いで四方へ張り巡らせていくのに似て、あらゆる感情が培われていくのかも知れません。
「メロスは激怒した。」
その冒頭に、心が吸い込まれます。
(1000文字雑記)