あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

恩寵

 八つ当たりをしている人は、本当は自分が泣き出したいくらい辛い人なのではないかと思い至りました。結局、泣いてしまえば、いくらか楽になるのでしょうけれど、泣き出すタイミングやきっかけがなくて、パンパンに膨れあがった重いお腹を抱えて右往左往せざるを得ないのです。体中に静電気が帯電してしまったような、不安定で痛々しい状態なのでしょう。細い針で、プツンと薄皮の一枚に穴を空けられてしまったが最後、止めどなく吹き出す憤懣や怒りや鬱屈に、髪の毛を引きずり回されて、くたくたに疲れ果てるまで踊り狂わされます。

 目が覚めて、自分が引き起こしてしまった取り返しのつかない惨状に、ただ呆然とし、押し寄せてくる後悔に、両頬を殴り飛ばされる気持ち。

 私は、昨日、長男に、みじめったらしい八つ当たりをしました。懺悔をすれば、贖罪になるというのは、正解でもあり、時に不正解でもあります。擦り傷に、微細な砂をなすりつけられたような苦々しい後悔の念が、一晩寝てもぬぐい去ることは出来ませんでした。声を荒げる母を、彼はどんな恐れの目で見上げていたかと思うと、自分自身の顔面を切り刻みたいような衝動を覚えます。

 私が守らなければならない人を、私の刃で傷つけてしまいました。私は「母」の皮を被った「畜生」かも知れません。子供達を萎縮させている私の怒りの姿は、亡者を連れ戻しにきた鬼のようであった事でしょう。

 それでも、こんな女でも、次の朝の台所で息子達は私の膝元にすがりついて「お母さん、大好き、ぎゅっ!」などと、とぼけた笑顔のままはしゃいでいるのです。自身を制御できず、低い場所、弱い人を見つけて姑息に自分を解き放った鬼のような母に対して、彼等は何のてらいもない親愛の情を見せつけてくるのです。

 これが、私のような鬼畜から生まれてきた子達でしょうか。

 これが、私のような気狂いから生まれてきた子達でしょうか。

 神様は何という残酷な事を、平気でなさるのだろうと思いました。

 申し訳なくて、恐れ多いほどに有り難くて、もったいなくて、心が押し潰されそうになりました。

 わずかな物煩いで簡単に崩れてしまう母の輪郭を、幼い人達は必死になって細い糸で繕ってくれるのです。ほどけてほつれてしまう母のやせ我慢を、出せるだけの知恵を絞って息子達は慰めてくれます。

 この子達を、死にもの狂いで守らねば、と、一度折った膝を立て直します。

 母ですから。

 

 

 (1000文字雑記)