あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

「古き良き」と「新しき良き」

 『満天の星空観覧ツアー』『最後の清流で遊覧船』『魚市とれたて絶品飯』。旅行好きであれば少なからず心が騒ぐ事でしょう。ちょっと贅沢をしたい時、これくらいのご褒美なら良いよね、というお手頃感にも背中を押され旅に踏み出す折もあるでしょう。非日常のイベントが、日頃のストレスを帳消しにしてくれる気さえします。

 とはいえ、夜空を埋め尽くす星屑や、水底まで透き通る川面や、踊り出しそうな鮮魚がイベントの「呼びもの」になったのはいつくらいからなのでしょうか。

 田舎暮らしの父は、子供の頃、夏の夜など蚊帳を吊った寝床に迷い入りそうになる蛍を団扇で追い払って眠ったそうです。幼かった母の実家の近所には清流しかありませんでした。晩のおかずに、生産者や漁獲者や収穫者の顔が見えない物はそもそもお目見えしませんでした。

 今の便利な世と、かつての不便な世と一長一短を競っても仕方の無い事です。

 ただ「当たり前」だったことが「非日常」へと変わった時、私達は、胸に手を当てて自分の「想い」を探った方がいいのかも知れません。緊急時にスマホで救急車を呼べるのは一つの恵みです。逢いたい人にすぐ会いに行けるのは一つの喜びです。

 選び方の問題です。

 

 

 

(2019年11月より、500文字雑記を記して来ました。

 1000文字雑記もWordデータで1000文字ちょうどになるように微調整して記すという自分ルールを決めて書いていました。「500字縛り」も面白くて、言い回しを変えたり句読点を調節したりしながら1雑記500字の枠ピッタリ納めて来ました。

 1000文字から500文字にして良かった事は2つです。文字数が半分になった為、蛇足が少なくなり自分の思考が濃密になったという事がまず1つ。もう1つは、書く労力が軽減された分、ツイッターのように気軽に続けられる感覚になったと言う事です。決められた文字数で、今日はこの事をメモ書きして残しておこう、という意欲向上にもつながりましたし、自分に文字数厳守を課す事によってもっとはっきりと「国語」に向かい合う機会にもなったと思っています。自分の為に書いているという感覚がより明確になり、私はやっぱり「言葉」が好きだと再確認出来ました。

 私にとって時間を忘れて取り組める事の1つに「文字を書く」という事があります。文字に関わっているのがとにかく楽しいのです。読書家でもありませんし、文筆家でもありませんし、決して文才が豊かな方でもありません。自分の発する言葉で誰かをよみがえらせる事も出来ませんし、感動させる事も難しいでしょう。言葉を大切にしようと決心していながら、子供を叱る時は乱雑な物言いになりますし、仕事上の方々にも適切な説明が不備になるせいで迷惑を掛けています。能弁でもなければ、芸術家でもない、ただ不自由でない程度に自国の言葉をかろうじてつかえているに過ぎない存在です。

 私には知らない事が沢山あります。知らなければならない事が沢山あります。ただ読んで、書いて、伝えられる最低限の恵まれた教育を受けられたのですから、これをないがしろにしたくありません。

 このところ「作る」事に興味が湧いています。「創る」「造る」何でも良いのですが、形あるモノ、ないモノ区切らずに、提供出来る側に回りたいと切に願うのです。

 私は生まれてずっと「幸せ」を与えられて来ました。生まれてからずっと「親切」にされてきました。生まれてからずっと「許されて」きました。だからちょっとだけ、私はこっちじゃなくて、あっちに回りたいのです。それを私が夢中になって没頭している「言葉」で出来たら素晴らしいと思うのです。何か地球規模でかじ取りが出来るという訳ではありませんが、私史上最大の夢でもあるのです。)←1000文字あとがき。

 

 新しい年が、皆様にとりまして「良い感じ」の1年となりますように。『あかりの森』は2020年1月5日までしばらくの冬眠です。冬支度、おやすみなさい。