”あかり”をともす。
11月に40歳になった。
悩ましい事だ。
悪い意味でなく、良い意味で。
40にして迷わず、不惑と言うが、
私に関してそれは嘘。
些細な事で立ち止まり、つまらない事で感動する。
世間様や伴侶などによく笑われるのだが、
いわゆる気持ちの上がり下がり、出処の解らない高揚感、
説明の付きかねる喪失感、根拠のない充足感が
いずこからともなく山霧のように湧いて出て、私の
さして賢くも寛大でもない頭と心に満ち広がっていく。
解きほぐして上手い具合に相手へ伝えられるなら
それに越した事はない。いかんせんそれが出来ないから困る。
心に浮かぶ事は、散文だ。森の木々が葉を落とすように
様々な言葉の断片や映像が胸の底へと降り積もっていく。
その降り積もったモノを、時折、気まぐれな風が吹き払っていく。
また、サリサリとそれは積もる。そしてやがて曖昧な森に育つ。
ここにこれから書き記していく事は、そんな他愛なく積もって
やり場のなくなった言葉達の恐らく風景画だ。
芸術的でもなく、感慨深くもない。ただ、40歳の私という
人間が育てるでもなく、捨てるでもなく見つめているだけの
こんもりとしたささやかな「森」なのだ。
私は、今日、この森に手ずから灯りを点し、居心地の良い小屋を
建て、住んでみる事にした。