あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

鬼はそと、鬼はそと。 ※過激な表現もあります。

何者かになる、

という事は、

少なからずの努力無しには

果たし得ないと思うのだ。

 

楽に生きよ。

心のままに生きよ。

耳触りの良いセラピー本は

たくさんあるけれど、

自分が

大勢の人達の

力添えや、深い配慮や

助言や、勤勉によって形作られているなら

得がたい物を頂いた自分の身体や言動で

それを次に「循環させる」必要があると思う。

 

滞る水は、

悪臭を放って腐ってしまうように。

沈み込んでいく砂が、

いつしかヘドロと化してしまうように。

栄養と活力を頂いたら

汗と血と涙とに変換して

きちんと先へ送り出そう。

 

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自分が何者かになりたいと強く願う時は、

たぶん、誰かの役に立ちたくて歯がゆい時。

 

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誰かの役に立ちたいのなら

何もできない自分のままじゃあね。

 

ああしなくてはならない。

こうあるべきなのだ。

それを自分に強制する必要はないけれど、

もし、役に立たない自分が

目の前の大切な人を見殺しにしてしまうのなら

死に物狂いで自分は

自分を変えるだろう。

自分を殺して生きるのではなく。

その人の為に変わる事が、

自分にとっての「生きる」意味。

 

自己犠牲は

時に美談。

だけれど、

自分の抱える感情は

そんな手触りの良い物ではない。

母牛が子牛を守る程には猛々しく、

親獅子が子獅子を捨てる程には冷酷だ。

綺麗事で済ますには

余りにも命を繋ぐという作業は

生々し過ぎる。

 

容易いはずはない。

何者かになる為に

「生まれ直す」のだから。

窮屈な産道を呼吸を止められながら潜り、

全身を凄まじい力で締め付けられながら

出口を目指してもがき苦しむ。

逃げないモノには

試練という対価が覆い被さってくる。

逃げたい時は迷わず逃げればいい。

だが、

一度、

逃げないと決意したのなら、

這いつくばってでもその山を

よじ登らなくてはならない。

登り切った場所に、

用意された褒美はなくとも、

夢見た景色はなくとも、

そこで待つ、

大切な人が

いるのなら。

 

子供達が

親の望みに応じて

決死の冒険をして

ここにやって来てくれたのだから、

自分もまた

彼等に見合う者でありたいのだ。

 

母は、

最悪のエゴイストであるだろう。

この身を切り裂いてでも

何者かになろうとする

最悪のエゴイストだ。

 

全てを喰らい尽くす鬼。

母とは

そういうモノなのだ。