あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

余白

多分、

私は、

かなり古風なのだと思う。

 

部屋に

物が溢れるのが苦手だし

混み合った街中から帰ると

いつもの倍程、疲労しているし

近代建築よりも

耐震性に課題有りだろうと思えるくらいの

古民家が落ち着く。

 

口数の少ない主人と暮らしつつ

多少の憤懣はあるものの

それなりの生活に

ほどほどの楽しみを見出している。

息子達の男振りが上がる事に

胸が躍るし、

小言を言いながらも

家事全般を引き受けてもいる。

全く現代的でない

古臭い女だとも思うが、

そこの辺りに

私がすっぽり収まる

適度な窪みがあるのだから

笑うしかない。

 

ちくちくと

一緩みもせずせせこましい時間も過ごすが

腕時計を外して

伸びきったパンツのゴムのように過ごす

自堕落も嫌いじゃあない。

 

余白がないと落ち着かない。

そうだ、

その言い方が良いな。

 

何も描かれていない

野放図な無限を好んでいるのでなく、

画面の的確な場所に主題があって

それを取り囲むような

有意義な空白がある。

そういうのが良い。

 

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亡き父と

幼い頃の長男。

去ろうとする命と

里帰りした新しい命との

無言の会話。

手の平に

収めて眺めて、

私はここにある

みっしりと重い「余白」に救われる。

 

動かぬ画面の

無作為な構図の中に、

私へと語り掛ける

二人の呼吸の彩りが立ち上る。

 

希薄な画面の片隅に

登場人物の言いたかった事、

見ているこちらが投げかけたかった事、

色濃い物語の全部が、

宿るように思うのだ。

 

古びた女である私は

密集した世界では

ぺしゃんこにされてしまうと

考えている。

強すぎる香水に

息が詰まってしまうみたいに。

自由すぎる時間に

自分を見失ってしまうみたいに。

 

投げかけられた視線の意味を

事細かに解き明かしてもらえないと

気が済まぬわけではない。

背中に添えられた手の温かさを

いちいち吟味する趣味もない。

 

面倒な余白で構わない。

その面倒を

一生かかって解きほぐすのも

面白い。

 

実に融通の利かぬ女である。

骨の折れる依怙地な女である。

解釈できぬことは

余白に投げよ。

投げる場所がないから

人はすぐに

行き詰る。

余白は

自分への

甘やかしなのだ。

誰に許してもらわなくても

良い為の。

 

その

一見無意味な空白に

己のみの

強靭な屋台骨が

あるのだな。