あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

マダムAが、カフェに求めるもの。 ※この記事はフィクションです。

 

 

「どうかなさった?」

こちらを見返す眼差しが

微笑みの匂いを漂わせている。

改めてマダムに向き合った緊張と、

不躾に凝視してしまった気まずさで

私は思わず、

あ、とか、う、とか奇妙な身振りで

唸り声を発してしまった。

オープンカフェの金属製の黒い椅子に

浅く腰掛けたマダムは、

たちまち挙動不審になる私を

しばらく面白そうに眺めていた。

たまたま通りかかったギャルソンを

呼び止めると、

「私はミルクティーにしますけれど

貴方は?」

とその艶のある視線を私へと

引き戻した。

あ、う、と、また私はしどろもどろになり

ではコーヒーを、と

視点をどこにも定められずに最短の注文をする。

「今日は陽射しが温かいですわね」

立ち去るギャルソンの黒いタブリエ姿を、

マダムは涼しい表情で見送った。

ショートヘアの良く似合う横顔を

呆けたように見守っていた私は、

危うく彼女の言葉を聞き逃しそうになる。

前のめりになった私を

別段気に留める風でも無いマダムは

臙脂色のスプリングコートの襟を

その節の高い指先で優雅に整えた。

「お呼びだてして申し訳ありません」

「いいのよ、今日は早くに体が空きましたから」

「こんなお店で良かったでしょうか」

下から伺う私の頬を撫でるように

微笑するマダム。

「こんなお店って?」

「何というか、余りにラフ過ぎたのでは、と

今更、恐縮しておりまして」

ファサードで遮られた小春日和の陽光は、

ほのぼのとマダムの足元のみを明るく照らし、

薄手の生地で仕立てられたロングスカートを

生温い春風が時折、気だるげに翻して通った。

「オープンテラス、私は好きですのよ」

雑誌で取り上げられる事の多いカフェではあるが、

マダムの雰囲気にはそぐわないように私には思われた。

自分が招待しておいて話がちぐはぐなのだが、

経費で落ちる範囲で店探しをした己の意地汚さに

我ながら辟易する思いだ。

自腹覚悟で星付きを予約すれば良かったと、

横っ面を張り飛ばしてやりたい気分になってくる。

「公園通りに面したカフェも、賑やかで楽しいわ」

マダムの言葉の一つ一つが、猿知恵丸出しにした

私へのフォローにしか聞こえない。

「本当にすみません」

「あら、どうして?」

サンゴ礁の熱帯魚を、金魚鉢に放り込んだくらいには

私のセンスは壊滅的だと実感する。

花が傾くようにマダムが首を捻ると、薄い耳朶に点描された

金細工のピアスが優しく色を変えた。

「今日はインタヴューだと伺いましたけれど」

切り出した彼女の言葉通り、待ち合わせの要件は

それである。

しかし、私の心はマダムの姿を一目見かけた時には

既にへし折れており、

彼女が握手を求めてくれた時には

私は再起不能の白旗を上げていた。

「インタヴュー、あ、そ、そうですね」

水を向けてくれたマダムに助け起こされて

ようよう自分の仕事を思い出すとは、

情けないにも程がある。

「海老原さんのお話だと、

詳しくは貴方に伺うように、と言う事

でしたわ」

「ええ、はい」

新人の私にマダムとの対談という大役を任せてくれた

太っ腹な上司。

何を見込まれての事かは解らないけれど、

高い確率で、彼の顔に泥を塗る事にはなるだろう。

「お声を録音させていただいても?」

「ええ、結構ですよ」

「では、失礼して」

ギロチン台に自ら上る覚悟も生半可なまま

私は小型録音機のスイッチを押した。

 

 

私:今日は有難うございます。

マダム(以下、M):お招きいただきまして、こちらこそ。

私:今回の対談のテーマなんですが、

  ええ、と、カフェ再発掘というテーマで。

M:発掘して深堀りすればよろしいの?

私:はい、まあ、ザックリ言えばそのような。

M:具体的には?

私:まずは、マダムからご覧になったカフェ文化を

  すぱっと切っていただけたら、と。

M:(笑)

私:ええっと、そうですね、マダムはいわゆる純喫茶と

  カフェと、どちらがお好きか、と言う事から。

M:どちらとも、決めかねますわね。双方ともに

  長所がありますから。

私:では、純喫茶の長所とは。

M:満たされたい時に出掛ける最良の場所、

  というところかしら。

私:満たされたい時、ですか。

M:擦り減る事が多い日が続くと

  殺伐としてきますからね。

  そんな時に、座り心地の良いソファと

  良い香りの飲み物と、

  店主の心配りと、

  店員の適度なお節介があれば、

  それだけで、得をしたような気分になって

  家へ帰れますもの。

私:なるほど。一方、カフェの長所とは。

M:その逆かしら。

私:逆、ですか。

M:ええ、逆。

私:と、言いますと。

M:空っぽにしてくれる場所、かしらね。

私:空っぽ。

M:運動も、読書も、家事も、音楽鑑賞も、

  空虚な気持ちで取り組む事は出来ますけど、

  カフェで過ごす時間は、そのどれとも

  異質だと思います。

私:カフェで寛ぐ時間は、空虚、と言う事ですか。

M:少し、それとは、違うみたい。

私:違う……。

M:違う、そうね、別の次元のお話と言った方が

  いいのかしら。

私:はあ。

 

注文のミルクティーとコーヒーがテーブルに届いたので、

しばらく録音機を止める。

「ミルクティーがお好きなんですか」

「ええ、正確にはミルクティーに合う

個性的な茶葉が好きなの」

「個性的」

「人も飲み物も、その癖を知れば、

ちょっと面白いでしょう。それと

上手に付き合えたら、たぶん、豊かな

気分になると勝手に思ってるのよ」

「はあ」

「子供みたいでしょ」

「いえ、そんな」

私の否定をおべっかだと受け取ったのだろうか。

ただただ、愉快そうに穏やかな笑みを浮かべるマダム。

「で、カフェのお話、そう、長所、

でしたわよね」

「あ、はい」

膝に置いたメモ帳を握り締めると、

「録音機は大丈夫かしら」

的確なサポートがあり、

私は慌てて録音スイッチを押した。

 

私:え……、純喫茶とカフェが別次元という

  興味深いお話でしたが。

M:あら、そんな面白い話でもないでしょうけれども。

私:いえ、新しい切り口と申しますか。

  満たされる場所と空っぽにする場所という

  両極の理論ですよね。

M:難しい事は解りません。感覚的に

  私にはそう感じる、というお話。

私:満たされるという感じは、

  何となく想像出来るんです。

  いえ、私が言うのもおこがましいですが、

  疲れている時に心地よい物に触れたり、

  サービスを受けたり、

  美味しい物を食べたりで

  充電されてるような事って

  日常でよくありますから。

M:なかなか貴方のお仕事も気苦労の多い

  職種でいらっしゃるでしょうね。

  お察しします。

私:滅相も無い事です。

M:休める時には休む。

  これは長く一つの事を持続する時には

  鉄則ですのよ。

私:心得ます。

M:ごめんなさい、

  差し出がましくて。

私:いえいえ、

  ご心配いただきまして有難うございます。

M:あら、何でしたかしら、

  私つい気持ちが散漫になるところが

  良くない所ですわね。

私:カフェの……。

M:そう、カフェの、醍醐味みたいなもの、

  でしたかしらね。

私:そんなふうなものです(笑)。

M:私がカフェを訪れるのは、

  言い方が適切かは分かりかねますけど、

  きっと、空っぽに自分がリセットされるのが

  快いからではないかと思ってます。

私:リセット。

M:安全区域、なのかしら。

私:はあ。

M:日常で一杯になった内側を、

  自分のリズムで少しずつほぐしていくのを

  誰にも乱されずに行える、

  そういう場所がカフェじゃないかと。

私:お茶を飲んで、

  美味しい物を食べて、

  友達と会話して、

  あるいは景色を一人で眺めたりして。

M:でも、それは満たされているという感覚

  とは、違うんですよね。

私:「癒されるー」って満足しちゃったり

  しますけれど、私なら。

M:どういう状態になったら「満足」なのか

  という、捉え方の問題ですわね、きっと。

私:「浄化」されるというのと、

  似てますでしょうか。

M:それは良い言い回しですわね、

  浄化、そうかもしれません。

私:適度なBGMも、

  居心地の良い店の雰囲気も、

  酷似してるのに、

  得られるものが全く違う。

  不思議ですね。

M:そうですね、不思議です。

私:何故でしょう。

M:何故かしら。

私:マダムは、ところで、カフェには

  よくおいでになりますか。

M:貴方にお招きいただいて、

  久し振りに参りましてよ。

  もっぱら、純喫茶か、

  ホテルのラウンジですわね、

  仕事を兼ねる事が多いですから。

私:カフェは、まあ、その、マダムの

  お心に添わないとは思いますが、ええっと、

  お仕事の場所としてのご利用は。

M:あら、どういう意味かしら(笑)。

私:いや、その、お言葉の解釈が間違っていましたら

  申し訳ありません。

  カフェはお仕事の場所には

  ご利用にならないのだな、と

  思いましたので。

M:そうですわね。

  何しろ、カフェには、私、

  空っぽになりに参りますから。

  空っぽなまま、仕事はできませんもの。

私:はあ。

M:張り詰めてないのが、

  カフェの長所ではないかしら。

  仕事の鎧を着て、

  これからの戦略を話し合うのに、

  こんな陽気なテーブルでは

  不似合ですものね。

私:鎧。

M:戦闘態勢では、空っぽになろうにも

  なれないですもの。

私:満たされる場所という意味では

  私はカフェの方に軍配が上がると思うのですが。

M:それは、お若いからじゃあありませんか。

私:いえ、これでも私、見た目ほどじゃあ……。

M:ふふ、お気持ちのお話です(笑)。

  あら、ごめんなさい。

私:(笑)。

M:例えば、そうねえ……。

  この今いただいているミルクティー。

  お友達とお話をしている時には、

  楽しくて、ついつい冷めさせてしまうのだけれど

  その時の気持ちは、

  カフェの椅子に座っている自分は

  「ああ、もったいない」と

  確実に感じてしまうと思うの。

  でも、ホテルのラウンジで

  相手方と書類を突き合わせて

  今後のプランを練っている時などは

  側でコーヒーが冷めていようが、

  ケーキが汗を掻いていようが、

  少しも気に留めたりしないと思うのよね。

私:解る気がします。

M:どう表現したら適切かは解らないけれど、

  そういった気の持ちようが、

  カフェとそうでない場所との

  違いなのではないかしら。

私:そうかも知れません。

M:御免なさいね、本当に上手に

  言い表せなくて。

私:解ります、いえ、

  マダムがおっしゃりたいニュアンスは

  何となく、こう、

  モヤっと。

M:モヤっとね(笑)。

私:ええ、モヤっと(笑)。