あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

前方よし、後方よし、出発進行。

こうでなければならない、

という事は

意外な程、少ない。

絶対にこうあらなければならない、

と言い切れる事は、

どっちにしろ何とかなるよ、

という事に比べて

驚く程、少ない。

 

あれもこれもと

私達は正解を探してしまうけど、

ちゃんと暮らしていると

「この熱が下がってくれるなら

他には何にもいらない」とか

「一食ぐらい栄養バランスが崩れていても

とにかくたくさん食べてくれれば後で帳尻なんて

いくらでも合わせられる」とか

「何でもいいから眠らせて」とか

「生きていてくれさえすればいいよ」とか

そういう事が幾らでもあるんです。

 

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目の前の道を

右に行こうが左に曲がろうが、

その先に崖や沼が待ち構えていない限り

本当はそう大差などないんです。

面倒を背負って来るのは

往々にして大人側で

いわゆる常識人で

いわゆる知識人で

いわゆる保護者の方で

時に、物凄く根源的なところが

スコっと抜けてしまっている事がある。

 

ちゃんなんていう生き物は

旅で言うところの出発点、

座標で言うところのゼロ地点、

宇宙で言うところのど真ん中に

位置している別格の存在であるわけで、

そういうものからすると、

私達が踊り狂っている広場の喧噪などは

豆粒みたいに些細な事の集合体なんですよね。

 

相手の機嫌が悪かったから

自分の気分が滅入って仕事が手につかない、とか

恋人が連絡をくれないから

つまらない気分になってしまった、とか

朝食を食べる時間がなくて

イライラとしてしまう、とか

挨拶をしたのに

返答がなくて嫌な気分になった、とか。

それは、

出発点や座標の始まりが

はっきりしていないから起こる事の様な気がして

ならないんです。

 

「こうでなければならない」は

結局は自分への厳しいルール付けなんですよね。

こうでない自分は、

本当の自分じゃないんだ、と

自分自身で結論を急いでしまっている。

 

何者でもない

どんな形でもない

どこへ進むかも解らない、

かつて、そんな赤ちゃんだった貴方が、です。