〇だと思っていた事が
ある人には△で
△だと思っていた事が
ある人には〇で、
でも実はそんな程度の事は
大した問題ではなくて
〇である事も
△である事も
受け入れるかどうかがとても大事で
〇であっても
△であっても
同じ熱量で
同じ真剣さで
同じ気楽さで
同じ平等さで
認められるかどうかが
本当はもっと考えられるべきなんじゃないかな。
正しいか正しくないかの前に
自分の秤の針が
どっちかに振り切れてないかが
ずっともっと確かめられて当然の事のような
気がするんですよね。