あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

「これくらい」の器に。

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何という事はない。

器が大きいとか小さいとか

それを推し測る計量カップが

器に対して大きいとか小さいとか

その程度の話だ。

 

もっと問われていいのは

自分に嘘を吐かないか、だとか

今日も相手に親切だったか、だとか

そういう計量できない物事への

自分のあり方だと思う。

 

毒々しくある必要はないけれど

いつも誰にでも有益でいる必要もない。

無難である事は恥ずかしい事じゃないし

なんならちょっと失敗したな、なんて事が

あっても良い。

先に進もうとする気持ちは持った方がいいけれど

向上心に踏んづけられているんじゃあ

毎日、息が切れて仕方ありません。

サイズオーバーの流行りの服より

シンプルでオーソドクスだけれど

仕立て良く、ちゃんと身の丈の

清潔なシャツを着ていたいですよね。

 

だからと言って

隣の人と

時々、シャツの着心地の良さを話し合うくらいは構わないけれど

裏地に付いたタグの色や

わずかなアイロン皺まで値踏みするようになっては

もう、それこそ

自分の理想にケチをつける悪循環に陥るような気がするんです。

 

「ぼわっといい加減」を許せないと

言いたくなるかもしれませんが

あれもこれもとギュっと詰め込んだところには

「ちょうどいい感じ」を収める余裕はないものです。

 

「器」なんてものは

たかだかモノをいれるモノであって

眺めて愛でるだけにしておくには

片手落ちのようですごく勿体ない。

花瓶でも食器でも

そう考えると全部が「それだけでは未完成」とも言える。

 

いやに立派な料理皿に

握り飯を一つ盛り付けるより

使い勝手の良い小鉢に

カラフルな練り切りを一つ。

 

「ちょうどいい感じ」は

居心地の良さを求める個人個人の胸に

ぽつぽつ湧き上がるものであって

教えられてどうこう論じるものじゃあありません。

 

何という事はないんですけど、ね。

だからこそ

何かを「いいなあ」と思う直感みたいなものは

大切にしないといけないなあ、と

思うんですよね。