あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

こんにちはメンテナンスのお知らせです。

 

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 腰を傷めました。

 朝起きると、かつて味わった事のある痛みで嫌な予感はしたんですが、ごまかしごまかし、子供達を保育園に放り込み、慌ただしく出勤しました。

 座っていてもジンワリ痛い、 歩いていると腰と上半身がボコっとずれるように錯覚する。

 帰りに整骨院に寄ると幸い、ぎっくり腰じゃなかったんですけれどいわゆる筋肉疲労という診断でした。過去に2回やってるんです、ぎっくり腰。あれは呼吸が止まって冷や汗が出る程の激痛ですが、どうやら今回は免れたみたいで胸をなで下ろしました。

 やっぱり頭を過ぎるのは、日々の生活への支障です。寝込んでしまった後の家事の回し方や子供の世話などが、最悪な状況でのシュミレーションで駆け巡ってましたから。

 主人にはもう少し「家庭科」を頑張って欲しい所ですが今更、です。次男出産の為、産婦人科に入院していた一週間でさえ長男の健康を確保できなかった彼なので(食事はコンビニ弁当や菓子パン、お菓子など。最低限の着替えやお風呂はやってくれたにせよ……)今、私が「お亡くなりになる」訳にはいきません。まあ、そんな大げさな使命感のようなものがありまして、この腰痛のもたらす恐怖におののいていた今日一日でした。

 もう私も40歳です。あちこちメンテナンスが必要な年代になりました。まず、何にしろ無理が出来ない。もうひと踏ん張り、なんてプラスアルファを頑張ると、その帳尻は必ず疲労として蓄積される。柔軟性も耐久性も瞬発力も格段に落ちて来ています。

 せいぜい頑張れるのは朝5時から夜9時くらいまでですかね。徹夜なんか恐らく無謀でしょう、次の日には脳細胞の大量死を招いていると思うんですよね。

 若さって貴重だよ、と当たり前の事過ぎて口にするのも嫌なんですが、確かに、そう、勢いのある頃には誰だってその「当たり前」を贅沢にドンドン浪費していたわけですよね。一つや二つ踏まなきゃいけない手順を飛ばした所で、最後には何とかこじつけるだけの体力があったし、許される「傲慢な未熟さ」がありました。

 痛む腰を労わり庇いながら今日一日を乗り越えて、また明日に備えて英気を養っておりましても、若かりし頃はたぶん「寝たら治るよ」の精神で呑気に楽観視してられたでしょう。

 身体があって、気持ちがあって、人間が出来てるわけですけど、ずーっと前に私は、身体があって、その身体から、花火みたいに気持ちがパチパチとあっちにもこっちにも飛び散っていたように感じます。気持ちに引きずられる身体というのもあるにはあったんでしょうが、今ほど体と気持ちがリンクしていなかったように思います。

 年齢を重ねると、身体と気持ちは本当の意味での融合が促されるのかも知れません。だから思春期のように、やり場が無いモヤモヤに苦しめられたり、持て余す感情で自分自身が傷付くといった事がマレになりました。一方で、打てば響くようないい意味でも悪い意味でもパンパンに張り詰めているそういった緊張を失いもしました。

 鈍くなった、という表現が一番近いのかも知れませんが、もう少し、穏やかな、眼差しで物事の本質を捉えて楽しむ事が出来る年齢に差し掛かったとも思います。

 至る所に不具合が出るのは遠慮したいのですが、これもゆっくりと衰えていく作業には欠かせない過程であるのですから、甘んじて受ける以外は術がないのでしょう。

 いきなり、消えるわけには行きませんから、まずは、ゆっくりと目に見える形で私も

粉々になっていく必要があるんですよね。同じ形を保つって存外難しいものなのでしょうね。ゆるゆると緩んで壊れていく作業が、決して容易い作業でない証拠に、倦怠感や痛覚としてそれは私を訪れるんでしょう。

 なかなかに、物語のように美しくは消えてはいけないもののようです。

 馴染んだ世界から引き剥がされるという事はそういう事なんでしょうねえ。

 普段はあまり考え巡らせない腕や足や、臓器や感覚器官の事。まともに使えなくなってから、それに付随する因縁深い事を礼儀正しく考え始めるなんて、私達はいつまでも拙いものではありませんか。

 年を経て、癖が付いたり融通が利かなくなったり、アクがじわっと浮くようになってからが、人は改めて長らく納めていた「自分の真価」にスポットライトを当てるものなんじゃあないんでしょうかね。使い勝手の悪い身体と心。それを時々、修理しながら使い倒すのが、せっかく与えられた自分の身体の使い方、心の養い方なのかも知れないなと、不意に、思ったんですよ、今日はね。

 

 ああ、しかし、私は痛みに耐性がないものだなとつくづく思い知りました。というよりも、根性が無いのは百も承知です。

 健全というのは、ただただ頑強な身体と明朗な心の総称ではないと思うんです。

 ごちゃごちゃと取り散らかった、ガチャガチャとまとまりのない、その見苦しい部分も含めて「きちんと使いこなしている」操縦者が身に付けている長所が、「健全」、そう呼ばれるのにふさわしいんじゃあなかろうか、と私は考え至ったんですよね。