あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

単発の想い・3連

 ●自分の事を好きだと思う気持ちは、最初から自分の中には備えられてないんですよね。自己愛とか回顧心とか言うんですが、それは自分以外の誰かから正当に自分を認められてこそ発動出来るモノなんです。

 ほんの少しの「確証」が、自分の発言を肯定してくれるし、踏み出す足を支えてくれるし、失敗を恐れなくしてくれると思うんです。どれもこれも、根っこにある「自分は素晴らしい人だ」という真四角の固い原石が、自分の外側をしっかりと固定してくれているようにも思います。

 自分自身を好きな人は、大胆にもなれます、どこにでも飛んで行けます、笑顔が内側から輝いている気がします。最新の服装や、非の打ち所がないメイクや、身に染みこませた高尚な習い事の数々なんか全く及びもしないほど。ただ、穏やかにその人が、握手の手を差し伸べるだけで、パッと空気が膨らむような柔らかい幻想が広がっていったりします。一言で言えば「素敵」という事になるのでしょうけれど、それは、幾重にも重なった水彩絵の具の淡い色々のように華やかでありながら、ちゃんと奥行きもある味わい深いものであるのです。

 だから、子供達には時に厳しい接し方をするのですが、「大好き」を惜しまず表し続けようと思うのです。与えられる事でしか蓄積されない「自分を大事にする気持ち」であるのなら、そのまず最初の一滴を私がしてやりたいのです。一つ一つ私を削り取りながら、一つ一つ子供達に積み替えてやりたいのです。私が誰かに受け渡されて来た、守り刀のような「好きだ」という気持ち。

 

 

 ●赤ちゃんでも、大好きな人が苦し気な顔をすると、自分が傷つけられたように悲しい気持ちになるんですよね。

 昨日の風呂場の事です。5歳のお兄ちゃんと1歳の弟が入浴しました。同じ浴室内で、兄は椅子に座り、弟は洗い場で立ち、兄が座る椅子に手を添えておりました。

 兄の頭をシャンプーで洗い終わり、いざ洗面器でお湯を注いでいくと、兄は両目を力いっぱい瞑った状態で悲鳴を上げました。彼は本当に恐ろしかった訳ではなく、ふざけ半分のパフォーマンスです。金切り声に近い叫びは浴室に反響し、ワンワンと煩く拡張しました。叫んだ本人はジタバタと楽しそうにしておりましたが、それに感化された弟の方はみるみる表情が険しくなっていき、ついには半狂乱で泣き喚き始めてしまう事態へ。こちらがいくら慰めても、泣き止まず、濯ぎ終わった兄が、ふざけて大声を上げると、またそれに反応していくらでも暴れ続けます。いたずらな兄を叱って、顔を真っ赤にした赤ちゃんを抱き上げる頃には、風呂の熱気と訳の分からない興奮とで私も、もういつもの倍以上疲労した気になりました。

 兄の危機を察知した弟。健気ではありましたが、まさか、あのように一変するとは、想像の埒外。心の壁が薄いと言うか、相手と自分を同一視し過ぎると言うか、親として少し深遠な物を覗き見たような一コマでした。

 

 

 ●マメ。

 「豆」ではなくて「マメ」。まめまめしい、の「まめ」。

 多くの読者を抱えるブロガーも、人たらしで高名を得ている芸人でも、百戦錬磨のホスト君も、カリスマ主婦モデルや塾講師でも、支持を受けている人は、やっぱり「まめ」です。いやいや、その人そのものの魅力でしょうよ、との反論、ごもっとも。でもそもそもこの「魅力」とやらはどこからくるのでしょうか。ブロガーであるなら、コメントをまめにする、更新をまめにする、相手の意見にまめに反応する、世間の動静をまめにチェックする、そういう律儀さが練り合されて魅力を産むのじゃあないでしょうか。一度会った人のプロフィールを詳細に憶えていて、再会した時、例えば、相手の好みに合った話題提供が出来るのは一種のまめさが成せる業ですよね。カリスマであるには周囲に対して俊敏に反応できるフットワークがなければ成り立たない事でしょうし、フットワークを軽くする為には膨大な情報収集をしているはずです。しかも、集めた情報を事細かに全てをひけらかすのではなくて、ちょっとした会話の端々に、一番適切な一部を抜粋するだけに止めておく等、余白の広さをきっちり体現していたりする。もっと先を知りたいな、もっと別の引き出しを覗いてみたいな、対峙する人を「ワクワク」させる空気を持っているなんて、小憎らしいったらありゃあしませんよね。

 「まめ」である事は、つまりは努力の賜物なんですよね。

 その努力を、強迫観念でしているのか、あるいは目標達成意欲でこなしているのかで持続力や幅の広さが変わって来るように思います。マメである人は、もう、自分がマメであることすら気付いていないのかも知れません。いっそ、自分がマメと同化してしまっているんですよ。そう、彼等は、大豆に成りきっていますし、なんなら豆乳にだってなりますし、最終形態は豆腐だって構わないでしょうし、お味噌汁の具にだってなれるに違いありませんし、だったら、味噌や醤油でいいじゃあないかとでも考えちゃってるかも知れませんし、相手が喜んでくれるならそれでオールオッケーだと言い切れてしまうくらいのサービス精神が根付いてしまっている人種なんでしょうね。

 マメは、元を辿れば「忠実」という意味です。忠実である事、真を貫く事。それをあれこれ理由を付けて、さぼったり水増ししたり言い訳したり後回しにしてしまっているようでは、なるほど、カリスマ人には成れない訳ですよね。