あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

わっしょい、赤ちゃん。

 赤ちゃんの体の奥底には、力強い太鼓があって、感情のどこかで小さな爆発が起こるとそれに合わせてトントコトントコ祭り囃子を刻むんです。オムツで膨らんだ丸いお尻を、上下にユサユサ揺すぶりながら、すっとんきょうな祭り囃子に調子を揃えて赤ちゃんは踊ります。その太鼓は、腹の辺りにあるのか、胸の辺りにあるのかは分かりません。心臓が打ち続ける鼓動とはまた違うようです。

 誰に教えられた訳でもないのに、時に激しく両手を挙げながらリズムを刻んでいます。笑顔で行う事もありますし、真剣な眼差しで取り組んでいる事もあります。大人が点けていたテレビに反応しての事もありますし、そうでなく突発的である事もしばしば。

 伝い歩きをし始める頃からとは限っていないようで、その子によっては首が据わる頃の事もあるようです。寝転んだまま天井を仰ぎ、憑かれたごとくに拳を振り回している事もあります。

 言葉を話すよりも先、歌を歌うより先、喜びも悲しみも踊りを通して表していたのは太古のお話。日本で言えば『古事記』の中にもある世界。もっと視野を広げれば、ポリネシアの原住民だとて、アメリカの土着民だとて、大平原の騎馬民族だとて、密林の少数部族だとて、感謝を捧げる祈りの儀式に、戦いへ向かう陣地の中にて、誕生と成長を喜ぶ祝賀の席にても、身体の底から沸き立つものを踊りで描き表してきました。

 地球の中心、極熱の核が、グルグルと渦巻くように似て、我々が抱える「記憶」の集合体(人としての記憶に留まらず、細胞一つ一つに刻まれたモノ)も、時として、何かを思い出し、蠢きたくなるのかも知れません。

 躍るアホウに観るアホウ。同じアホなら……。

 踊るというのは、もう本能以上のものなんですよね。太鼓が無ければ、自分の胸と腹を叩いて音を出し、声を上げ、両手を振り回して飛び跳ねれば良い。

 まだ、母の腹の中で、人の形すらしていなかった頃の子供達も、母の心臓が太鼓を打つ度、トントコトントコ、命の舞を舞っていたんですよね。嬉しくても踊り、悲しくても踊り、トントコ、トントコ、声無き叫びを上げていたんですよね。

 赤ちゃんは踊るんです。何故ならそれは、彼等の細胞に刻まれたプログラミングだから。意味を探るのなんて、きっと野暮。

 彼等の命が、そういう風に出来ているのですから、それを分析するなんて、きっと、無粋。

 赤ちゃんは、踊る、トントコ、トントコ。

 グルグルと渦を巻く、眠るマグマが眼を覚ます。