あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

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 人の細胞が、すっかり一人分入れ替わってしまうまでにほぼ60年掛かると聞いた気がします。また雨として降った水が、自然を循環して再び地上に降り注ぐには60年の月日を必要とするとも聞いた気がします。恐らく、何かしら覚え違いをしていると思うのですが、生まれ変わるという事は何しろ私からすればそれ相応の時間を要するのだなという印象でした。

 還暦を迎えるまで、後、私には20年の年月が許されています。私自身が最初の私でなく全く別の私としてこの世に生まれ直すには、先の話からすると残り20年を経なければならないようですね。もう20年も経てば、コロリと別の生物になって同じ場所で息をして暮らしている。これが真実であるのなら何だか奇妙で面白い話です。

 只今、私は40歳。この年齢の半分、つまり、20歳頃に手元に置いていた物、身に付けていた物、愛好していた物、取り囲んでいた人間関係、ちょっと思い起こしてみると、随分と我が周辺も様変わりしたのを感じます。片時も離さず愛でていた物、隣にいる事を疑わなかった人達、そのいくつもの繋がりが驚く程新たなものへと入れ替わっているのです。私を育ててくれた親でさえ、さて、私が60歳を迎えるその時まで健在であるかどうかさえ、不確かな事です。父はもう鬼籍に入っておりますし、母も高齢にて田舎で一人暮らしです。自分の伴侶は言うに及ばず、我が子二人ともとて、60年間をきちんと完結出来るかしらと苦笑いしてしまいます。近しい人々でさえそうなのですから、まして身の周りにある「物」などは短い付き合いに過ぎないと言うほかなさそうですね。

 今日、新しく買った靴は、牛革製の踵の低い地味なものでした。指の付け根が痛くなりやすい私は、ヒールの高い靴、エナメルの靴、爪先のほっそりした靴がしっくりと馴染みません。つまりは、足を保護するのに適したのっぺりとした靴が一番見合っているというわけです。実際に通勤や子供連れの外出には飾り気のない柔らかい物が大変利便性があるように思えます。加えて天然皮革は足馴染みよく適度に伸びるので履いているうちに足の一部であるかのようにぴったりと身に添うて変化してきてくれるのが有り難いです。一見すれば、もっさりとした華やかさに欠けるアイテムではありましょう。果たして20歳前後の私であったら、喜んで手に取ったでしょうか。自分でありながら、その頃の私と、今の私はきっと全く別の私であるに違いないでしょう。あの頃に大切にしていた服も、小物も、ここにいる私の手元にはほとんど残ってはいないように。

 普段使いの文房具も変わりました。現在は専らボールペンと万年筆です。学生であった頃の私はやはり修正が可能なシャープペンシルが多かったですが、殊に社会人になってからは一部を除いてほとんどシャープペンシルを使用しなくなりました。今の職場ではボールペンのみになり、親しい人へ送る手紙はほぼ万年筆で書いております。

 60歳になった頃の私は、そう、完全に「私でない私」は、何を想い、何を感じ、何に熱中しているんでしょうか。今、芽を出したばかりの桜の木であるのなら、60年後はさぞかし美しい若木へと成長している事でしょう。ゾウガメであれば、やれやれ、やっと一人前になれたくらいでしょうか。長生きすると言われているホッキョククジラなら、もう視界には収まり切らない程の巨体へ変貌を遂げている事でしょうね。

 それと同時にここにいる私は期間限定なんです。これから先を考えると、ここにいる私が現段階では一番「若い」んですね。この身体を形作る細胞が活性化して若返らない限り、今の私以上にすべすべした、つやつやした私は生まれては来ないという事なんですよね。

 どんな風に移り変わっていくのか興味が尽きません。それ以上に、ここにある私を満喫する事をももっと深く掘り下げても良い気がしています。好転にしろ悪化にしろ、それを見届けるのも、受け入れるのも私の裁量一つ。その瞬間、その瞬間が出発点。だとするのなら、いちいちに一喜一憂してもいいですが、囚われすぎても本当は良くないのだと思います。人間ですから、なかなか悟りの域には到達出来ないのですが、せめて、僅かながらでも満足を自分の外側ではなくて、内側にしっかりと抱えていられる毎日を送りたいものと思います。「これで十分」「ほどほどに足りている」そう言う事を当たり前に実感出来る人であれたら幸せだなと考えるんですよね。

 勿論、いずれは、この私も「抜け殻」になってはしまうんです。とはいえ、新しく生まれた次の私も、その次の私も「これで十分」「ほどほどに足りている」と呑気に笑っていられる日々をのうのうと送ってくれたらな、と今の私は望まずにはいられないんですよ。