あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

思い出のカメリア

 「カメリア・シネンシス」

 この単語を聞いてピンと来る人はかなりの「通」でしょう。

 あるいは、その「業界の方」か「栽培されている方か」だと思われます。

 けれども、私達は「これ」が製品になったものを日常的に目にしていますし、日常的に摂取しておりますし、中には「中毒」の人もいると思われます。上記は学術名なのですが、平たく言えば、答えは「茶」。そう、お茶の木の学名です。

 カメリア=椿、なので、お茶はツバキ科。葉っぱが良く似ているので親戚であると言う事は想像しやすいですよね。無発酵茶(日本茶に代表される緑茶など)、半発酵茶(ウーロン茶などの微生物の助けによる発酵をある程度した茶)、発酵茶(代表は紅茶でしょうか)に使用される茶葉は全て同じ茶の木であると言うのは、今では一部の方の常識にもなっている事でしょうか。専門店も至る場所にありますし、情報発信は各所から行われていますので。

 私がこの事実を知ったのは、恥ずかしながら前職のお陰です。私の前職は、専門学校の技術職員でした。分野は「製パン」です。そう、食パンだのフランスパンだのといったその「パン」の製造技術や精製理論を教える職員でした。20代から30代中頃までを務めましたから、今のところ個人的な職歴としては最長です。ちなみに大学を卒業してすぐに関わったのが出版の世界。しかし、作家業ではなくて地方情報誌を発行する零細企業の事務職です。就職して間もなく、私の面倒を見てくれていた先輩男性がなんと出社拒否。右も左も分からない私は、押し寄せる不慣れな事務仕事で溺れる寸前まで追い詰められ体調を崩してしまいました。出来たてホヤホヤの新卒女子を病みの領域まで追い込むのですから、考えてみればかなりのブラック企業であったのでしょう。辞職してからはしばらく自宅で宙ぶらりんな生活を経験。でも、再起を決してアルバイトを始めました。元々食べる事が好きだった私はパン屋にお世話になりました。そこで出会った若い職人の女の子が、元製パン技術専門学校の学生だった事を知り、一念発起。20代半ばで10代の子等に混じって再び「学生」になったのでした。一年間、製パンを学問的に学んで、さて「再就職」と言う折になり職人としてやっていくかどうするか、の選択の帰路へ。と、同時に、偶然にも当専門学校が職員を募集している事を知りました。応募資格はその専門学校の卒業生である事と、20代までである事。大学では教職の免許を取得しておりました私(先生になる道も当時は考えていたんですよね)は、その時にはパン作りも大好きになっておりましたし、もしかしたらこれは良いチャンスに巡り合えたのかも、と受験に踏み切りまして、有り難い事に採用通知を頂きました。

 正直に言うと、どの職場であろうと苦労は付き物です。順風満帆である事の方が珍しいでしょう。再就職をしてからも、日々、様々な事にぶつかり、泣きましたし、怒りましたし、暴れましたし、けれどちょっとだけ笑いましたし、バタバタと目まぐるしく濃い経験を重ねました。結婚もしました。子供も授かりました。そうして、10年と少しを過ごした職場から、私は離れました。

 「カメリア・シネンシス」

 この単語は私の思い出の一つです。製パンの授業の中に、アフタヌーンティーの授業、コーヒーの基礎知識習得の授業(基本的な淹れ方の技術実習も)が含まれます。何故なら「パン」(日本が取り入れた西欧文化の中にパン食というのがあります。それは往々にしてヨーロッパ、アメリカの製パン文化を指す事が日本では多いです)の世界、つまり食生活の中に紅茶やコーヒーも切り離せないものとして現代でも存在している為。学生の頃もそうでしたが、技術職員になり、教授陣の助手として授業の準備、講義の補佐、試食の手配・作成をして勉強する中に、自然と身に擦り込まれていく専門用語というのが確かにあります。

 大きく展開するコーヒー専門店、紅茶専門店、があちこちに支店を出す度、日本人がそれを楽しみにし、または列を成して求める姿を目にする度、私はついつい反射的にこの単語を思い浮かべてしまうのです。思い出の一部、断片というのは、もしかしたらそういうモノなのかも知れません。

 そろそろ新茶が出回る季節ですね。各地から、選りすぐりの薫り高い茶が店頭へと運び込まれてきます。紅茶好きなら、ダージリンのファーストフラッシュは外せないですよね。夏も近づく八十八夜。宇治茶、八女茶、狭山に知覧。朝の一杯に、午後のくつろぎに、夕食後の団欒に、お茶は最高の脇役です。

 野にも山にも若葉が茂る~この梅雨入り前の、すがすがしい季節に、気の置けない親しい人と心行くまで美味しいお茶を楽しめたなら、それこそが人生の贅沢と言えないでしょうか。