あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

大切なお知らせ:私、不機嫌、なう。

 不機嫌でいることは誰のせいでもないのです。不機嫌になること自体は本人の気持ちがそのように動くからだと思います。勿論、故意に悪気のある他者から強制的に不機嫌になるようにもってこられたなら話は別なのです。そうでなければ、やっぱり不機嫌になるのはこちら側の都合のような気がするのです。

 イライラとしてカッとして頬を膨らませる私自身も、実は短気である事は自覚しています。怒りの感情は消費の熱量が高いので、鎮火した時の疲労感は確かに大きいですよね。感情の磨り減り方が著しい分、防御反応として人は「怒らない技術」や「イラッとしない方法」に目を向けるのだと思います。イライラ攻略本も書店では売れ筋です。

 ですが私はあえて、そんな「不機嫌」な時間をちゃんと「不機嫌」でいようと思う事にしました。アンガーマネジメントなどという賢いお話ではなくて、もっと原始的な根本的な部類の理由からです。

 コントロール出来るくらいなら、たぶん、イライラしたりカッとしたりはしないのだろうなあ、と思うのです。開き直りの一種ですけれど、つまり感情の起伏を出来るだけなだらかにする事は、私にとって逆にストレスであったのだという事ですね。怒っているお母さん、ムスッとしている妻、不満顔の娘。本当に嫌な感じです。彼女が一人いるだけで、家族団らんのトーンが一つ暗くなるようにさえ感じます。お母さんは笑顔でいましょう、奥さんは朗らかでいましょう、娘は可愛らしくいましょう。それらが平和の象徴であるかのように考えていた時期がありました。

 ちょっと待ってよ、と気付いて立ち止まった私は、しかし訴えたかったのです。

 しんどい事は、誰にでも平等に訪れるんです。私だけを避けて、周囲に落雷するわけじゃありません。どうして私が不機嫌になってはいけないのかしら。

 私が不機嫌だと子供達が戸惑います。私が不機嫌だと主人にも伝染します。私が不機嫌だと親が戸惑います。「だから私は不機嫌になっては駄目」なのです。

 ちょっと待ってよ。

 それ、違うんじゃないかな。

 私は気分が悪いんです。なので不機嫌になるんです。でも、不機嫌になるのは自分がそうしていたいからなんです。不機嫌になりたくないならならなくても良い。だけど不機嫌でいるんです。どうしてなのでしょうか。たぶん「不機嫌でいた方が、今の自分の感情に正直だから」なのですよね。

 自分のせいで誰かが困るのは不本意です。それは揺るぎません。だけれども、悲しいのに、怒りたいのに、切ないのに、平穏な顔をしていつも通りの自分を演じていたのでは「自分自身」が困るのです。母だから、妻だから、娘だから、それだけの理由で不機嫌になることを制限されるのはどうしてなのかしら。「私は怒ってるんですよ」と表現したって良いじゃあありませんか。何故なら、私は間違いなく怒ってるんですから。

 私の都合で不機嫌になっているんです。母にとって、妻にとって、娘にとって常に笑顔でいる事は義務なのでしょうか。自分に接した相手を思いやる事を無視している訳ではないのです。悲しい事があったら悲しみたいですし、怒りたい事があったら怒りたいですし、切ない事があったらきちんと涙を流したい、それだけなんですけれどね。

 不機嫌でいることは誰のせいでもないのです。

 ですから、隠しませんし、繕いません。これを気ままと笑う人もいるでしょうし、大人げないとののしる人もいるでしょう。身近な相手であればあるほど、私の不機嫌は迷惑な事であるに違いありません。良いのです、それで。自分の撒いた種は、自分で刈り取られるくらいにはおばさんに成りましたから。

 面の皮が厚くなると、こういう暴言も平気で吐けます。

 若作りするつもりもない代わりに、自分を偽る事もしないでおこうと思っています。

 ええ、今、私は不機嫌なんです。

 不機嫌な私が、今日も元気に働きながら、晩ご飯のメニューを考えながら、雨が降りそうな空模様を気にしながら、子供達のお迎えの事を算段しながら、東京の小さな町で暮らしているんですよ。

 それだけの事なんです。