あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

断捨離という贅沢

 日常生活を機能的にこじんまりとまとめるのが、気持ちの良い暮らし方であるという風潮です。空間に溜まった余計な物を取捨選択し、出来るだけ捨て去る事。複雑に入り組んでしまった人間関係を、本当に快い間柄の方々だけを残して疎遠にしてしまう事。身の周りを切り詰めて、お気に入りの物だけに囲まれて豊かな暮らしを送る美学。それがおおよその断捨離の定義でしょうか。

 もう、どなたかが提唱されているのかも知れませんが、私が実感する事を2つ上げるとします。「断捨離という行為は、都会だから出来る事」である場合が多い、それから「あり余る程、持っているから出来る事」であるという、この2点。

 多感な時期を田舎で過ごし、また幼少期を明治生まれの祖母と過ごした私には、物がふんだんに蓄えられた生活空間というのが通常でありました。ただただ雑然として足の踏み場が無い、という意味ではなく、多くの物が役割ごとに納戸や押し入れ、屋根裏部屋、物置小屋、離れ、床下などに区分けして規則正しく収納されている、という意味であります。とにかくありとあらゆるものが、例えば、来客用のティーカップのセット、亡くなった曾祖父の背広、10年物の梅酒、毎年いただく年賀状の束、発表会の為に誂えたワンピース、引き出物の高級タオル……。果ては嫁入り用に特別注文した桐の箪笥やら長持やら重々しい綿の掛布団やら大きな鏡台やら。またその引き出しや扉の中には、細々した貴重品からかさばる着物・外套などが丁寧に梱包されて納まっています。ミニマリストの方々が一瞥すれば、その場で卒倒してしまうのではないかという凄まじい数の「日用品」。

 田舎に住んでいた頃は、気にもなりませんでした。空間にギュっと詰まった雑多な物体は、それをも含めてその空間の風景であったのです。パズルのピースが何の不足もなく噛み合っているように、長い年月をかけて蓄積されて来たであろうそれらの物は、それでもだらしなく溢れる事なくそれぞれの場所に当然の顔をして鎮座しているのです。集めるともなく集まって来た物を、母も祖母も、更にはその祖母の母も、そのまた母も几帳面に、大切に、律儀に手入れしては納め持って来たのでありましょう。

 嫁入りに東京へ出て来て、時折、帰省すると、離れて住む身に感じられるのは実家の物の多さ。これ程であっただろうかな、と振り返るのですが、その頃から物が増えた形跡はありません。出来るだけ持たない生活を、と心がけている都会の生活でもやはり様々な物が、重ねた年月の分だけ少しずつ少しずつ増えていきます。子供が生まれてからは細かな物が加速度的に増加していく始末。それでも、その中にあって、ちょっとでも身軽な暮らしを努めているので、見る目も感じ方もきっと実家にいた頃よりもシビアになって来ているのは事実です。かつては注意して観る事もしなかった実家の雑多な空間。決して散らかっている訳でもないのに、視線があちこちしてしまう物の多さ。

 今、実家暮らしは母だけですので、老女一人には明らかに物質過多の様子です。身体が達者な内に身の周りの整理だけでも、と促すのですが母は乗り気ではないようです。処分すると言う事に恐怖に似た抵抗感があるそうで、使う予定の無いビニールやら、輪ゴムやら、裁縫の残り糸やらまでも大切に保管しております。かく言う本人は「身軽な生活がしたい」と常々こぼしており、実際の所、掃除をするのが年々億劫になっていく年齢をも考えるとどうにもこれこそあらゆる角度から切り詰めて行った方が良いようにも思えます。しかしながら、いざ、何かの拍子に「よし、捨てよう」と一つの物を手に取った瞬間「でも、これも何かに使えるかしら」と気持ちが揺らいでしまうのです。若い方々には「だからいつまで経っても片付けられないのよ」と笑われてしまうのでしょうけれど、仕方ないと言えば仕方ない所もあります。母が最後に口にする台詞は決まってこうです。

 「私達は物の無い時代に育ったからね」

 戦中生まれの母は、敗戦直後の日本で少年時代を過ごしました。破れた下着を何度も繕い、麦の一杯混じった御飯を食べ、舗装の行き届かない凸凹の砂利道で遊び、弟や妹をおんぶ紐でおんぶしながら登校し、ランドセルも買えない貧乏所帯で手作りの布製鞄で卒業までを貫いた、そんな子供時代です。兄や姉の使った物を、大切に大切に幾人もいる弟、妹で使い回す、そんな時代。ボロボロなのは当たり前、みすぼらしいのは当たり前。与えられた物は、手入れして、修理して、工夫して、限界まで使い込む。そのようなつましい生活が身に染みている上で、現代のように物が至る所にある世界に放り込まれたら母でなくても「捨てられない」人になってしまいます。

 「もう、着ないから」という理由だけでは、捨てられません。

 「もう、食べきれないから」という理由だけでは、見切りを付けられません。

 「もう、使わないから」という理由だけでは、売り払えません。

 現代人には本当に「お笑い種」だと思います。そう私達は何不自由なく「いつでも手に入る世界にいる」ので、彼等の執着がきっと理解出来ないのだと思うのです。

 また、都会に居る人には、車を持たない選択が出来ます。最寄りの駅まで徒歩で40分、最寄りのバス停まで徒歩10分(しかも30分に一本、営業時間7時から21時)の環境で、スーパーも病院(総合病院でなく、小さな医院クラスの病院)も保育園も小学校も市役所も生活に密着している全てが徒歩では30分以下の所が無いとしたら、それでも断固として車を利用しない生活が出来るでしょうか。急に必要になった工具でも、すぐ買いに行ける場所に販売店が無いのだとしたらどうするでしょうか。いつ使用するか解らない物は、都会ではその時、買えばいいでしょうし、レンタルだって出来るでしょうし、ちょっとした作業なら問題解決はその日の内に可能でしょう。でも、田舎は違います。欲しい時に、持っていない、それだけで何日も不便な思いをしながら過ごさなくてはなりません。

 そう言った危機感が、少なからず捨てる事に対する慎重さを育んでいくのだと思います。誰を責める訳にもいきません。住む世界が文字通り違う、ただそれだけの事なのです。

 見方を変えれば「断捨離」が出来る、というのは実に「贅沢」な事であるかも知れませんよね。それを「断つ自由」、それを「捨てる自由」、それから「離れる自由」が「選択」出来るのですからね。

 時々、行き過ぎたミニマムな景色の写真などを目にする事があります。まさにそこには「収納の為の収納」「捨て去る事だけに熱中した殺風景な部屋」などが映っていたりします。整理整頓が行き届いている、というよりも、何だか、痛々しいような、ひと昔前の療養所の一室の如き印象を私は受けてしまいます。人が生活すれば、自ずと生活感は生まれてきます。程よい生活感は、その部屋をほのぼのとしたものに見せてくれます。暮らす人達の、穏やかな人柄や楽しい談笑までが届いて来そうです。ですから、過剰なまでにピカピカの部屋に出会うと、人の息遣いまでを拭い去る事でその部屋の作り主は果たして何がしたいのだろうか、と私は逆に息苦しくなってしまうのです。

 贅肉を落とす為に始めたダイエットが、日に日に過激になっていき、もう痩せる事しか考えられなくなってしまった人の浮き出たあばら骨を見るに似ています。

 可愛らしいってどういう事。

 素敵ってどういう事。

 ほがらかってどういう事。

 「足りる」ってどういう事。

 そんな当たり前の事から「暮らし」は生まれるのかも知れません。