あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

夏の夜の思い出便り

 闇の中に光る蛍。父に連れられ初めてみたその光は黒い画用紙に開けられた画鋲の穴のように、あるかなきかの微かな青白い点でありました。丁度、苗代に稲が育ち、水を満たした田んぼへ明日にも植え付けが始まろうとする頃。梅雨入り前の晴天が続いた、こんな蒸し暑い日です。夜になってもまだ昼間の火照りが残っているような、ゆっくりと月が雲に隠れるような風が止んだ闇夜。密度のあるつやつやとした暗がりの中で、一つ、二つ、呼吸を繰り返す蒼い光。今の我が家の5歳の長男と同じくらいでありましたか、幼かった私は2歳違いの弟とともに、相手の顔さえ見えない黒々とした世界に漂い、額にうっすら汗をにじませながら、彷徨う蛍火を一心に見つめておりました。

 またツルツルと滑らかな鮎の身体から、夏野菜の香りがすると知ったのも初夏の頃でしたでしょうか。まだ父方の祖父母も存命の頃です。私の実家は、祖父母が亡くなってから立て替えた物で、老いた祖父母はそれまで二人暮らしをしておりました。そこへ、週末になるたび、彼等の息子である父が彼等の孫に当たる私達姉弟を車で遊びに伴ってくれていました。かつては「村」の呼称があった、小さな集落。3分程歩くと、紀の川の河原に出ます。夏になれば鮎漁が解禁になり、夜に投網を持って徒歩で河原に向かいます。通り道には外灯もなく、当時は今ほどの人通りもありませんでした。8時過ぎには人の影さえ横切らない村中を抜けて、防波堤である小高い丘を目指します。膝下をザリザリ夏草が撫でて行くのが解りますが、ジージーと何かの虫が鳴いているのが聞こえるだけで、視界はほとんど闇に沈んでいます。手にした懐中電灯だけを頼りにして丘を超えると、急に足元の感触は不安定な砂利へ変わります。河原に到達した安心感に浸っている中、ザブザブと前方では早くも水音。父が率先して流れを渡っているようだと解ります。ですが、子供の背丈では水深が深すぎて、すぐ水際で躊躇してしまう始末。加えて紀の川は川幅も広く、中流とは言え、所により流れは急です。苔でぬめった水底の石に危うく滑りそうになりながら必死で父の気配を闇の中で追う子供達。

 風を切るような投網の投げ入れ音。水面に水が跳ね、後は滔々と流れる紀の川の逞しい音が続きます。見えない父の姿を探して不自由な視界へ意識を凝らす姉弟は、自然と言葉少なになりながら不安とせめぎ合い、互いに手を握り合い。そのうち、少し離れた所から「かかったぞ」と、父の声。股の辺りまでを水に浸かりながら父の元へ急ぐと、ボウっとした暗がりの中に、網を掲げた父。漁の間、消していた懐中電灯を捧げ持ち網にかかった獲物を差し出して見せてくれます。キラリキラリと光を跳ね返す細い漁師網には口をパクパクさせている薄緑色の魚。「嗅いでみろ、キュウリの匂いがするから」と促されて鼻を近付けると、光の中に煌めいている魚の身体からは確かにもぎ立てのキュウリの香り。鮎の別名が「キュウリウオ」であると言うのは随分後になってから分かった事なのですが、あの夜、知った美しい魚体の映像は、それから長い間、幼い私の胸の中に留まり続ける事になったのでありました。

 結局、あの時、大漁であった鮎を喰ったのか人に差し上げたのかは、残念ながら記憶には残っておりません。ただ、スーパーの鮮魚コーナーでパックに収められた鮎が出回る時期になると、例の夜の薄闇の中で観た丸々太った鮎の姿を思い起こすのです。

 線香花火がチロチロと燃えて、煮え滾る真っ赤な珠になり、奈落の底に引き寄せられるように力尽きて落ちていくのも、父に教えられた事でありました。燃え始めた細い線香花火のツルを辛抱強くしゃがんで持ち続ける事は、幼い子供にとって根気の必要な事でありましょう。祖父母が寝静まった後(とにかく、田舎の人は寝るのが滅茶苦茶早いのです)、まだ西の空に夕日の名残がほのぼのと埋火のように燃え残っている時分。仏壇から拝借したロウソクを地面に立てて、地味な花火大会は始まります。薮蚊にあちこち刺されながら、浮いて来る汗を拭いながら、チリチリと光が跳ねる細い花火のツルを垂らしている子供達。白々とした強い陽射しの中で、昼間は目一杯水遊びに興じ、少しカビの臭いが漂う古臭い離れの風呂に浸かり(昔の田舎の家は母屋でなく、外に風呂がありました)、質素であるけれども旨い飯を頬張り、後は寝るだけとなった子供達。時折吹く夕風はただただ心地よく、聞こえるものと言えば、夜空を渡っていく鷺の声と、組み上げ式井戸の低いモーター音だけ。庭先でチロチロと燃える、小さな花火の光を眺めていると、ついつい睡魔が忍び寄ってきてしまいます。曖昧になって行く視界の中で、燃え続ける線香花火の赤や黄色は二重に成り三重に広がり、幼い姉弟は眠い目をこすりながらただただ花火の糸を明るい闇に垂らしているだけ。

 燃え尽きたそれを汲み置きしたバケツにつけると、悲しい鳴き声のようにギュッと音を立てて、花火は命を終えます。最後の一本をそうして送り届けてしまうと、先程までの眠気が、ちょっとだけ冷たく冴えてしまうように感じたりしました。

 私達に、色々な夏の姿を教えてくれた人は、もういません。

 父のいない夏を迎えるのは、今年で5回目です。

 関西は梅雨入りをしたそうですね。晴れ間が続いていた東京でも、この週半ばからは天気が崩れ気味になるのだとか。

 実家の周辺では、早くも田植えが終わっている頃でしょうか。水を張った田を渡る風は、夕刻になれば一日の疲れを癒してくれるほど涼やかに流れて来ます。

 堰を解放された紀の川も、清らかな水を満々と湛えている事でしょう。水面を叩いて踊り上がる鮎の姿も、さぞ、釣り人の気持ちを高ぶらせているに違いありません。

 夏は、夜、です。

 それを教えてくれた父。

 手入れの届いた庭木のそばに、植木職人だった父が、地下足袋姿のまま腰掛けて休んでいる姿を思い出します。鍔の広い麦わら帽子。腰に吊るした鋏入れ。側に置いた剪定ばさみ。首からかけた白いタオルで滴る汗を拭いつつ、木漏れ日の中で夏の日差しを見上げて考え事をする背中。

 逞しく育ってくれた我が家の息子達に、父から教えてもらった「夏」をこれから一つ一つ受け渡していこうと思います。

一つ一つ、丁寧に。一つ一つ、懐かしく。

 私の思い出を愛おしい物にしてくれた父。寂しい時に、きっと心を支えてくれる愛おしい思い出を、そうして我が家の息子達へ。

 前略、お父さん。私達は、元気です。かしこ。

 

 

(『あかりの森's blog』が生まれて半年。延べ6000人の閲覧者の方々にお越しいただきました。実際のお家に6000人もお招きするなんて到底出来る訳もありません(どこのお城の戴冠式パーチーだよ、です)。自分の為に始めたブログで、色々な方々と繋がり、お話ができ、貴重なご意見も拝聴、拝見できて、自身の雑記帳と呼ぶにはなんと贅沢な経験ができているのだろうと思うこの頃です。皆様のご厚意、心より、有り難く頂戴いたしております。)