あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

寝かし付け作戦必要無し。寝ない子は寝ないでよろしい。悪モノなんてどこにもいません。

 誰の育児論でもありません。幼い頃の自分がそうであったかは、憶えていません。いつの間にか我が家がそのようになっていた、というだけの話です。

 我が家では時々手こずりはしますが寝かし付けを苦行だと感じた事はありません。誇張ではなくて、寝かし付けを実際に担当している私が実感している事です。相手にしないといけない息子は5歳児と1歳3か月児。兄の5歳児に関して言えば、新生児の頃を除いて、恐ろしい程の「安眠型」男子でした。水分補給をさせる為に、わざわざ夜中に起さないといけない(と、保健所のお医者様から指導を受けたくらい)レベルの爆睡赤ちゃんでした。寝入りばなは、少しぐずぐずはするものの、深い穴に落ちるようにストンと熟睡してしまう睡眠スタイルです。それは、成長した今でもそうでお風呂上りに歯磨きし、そのまま敷布団の上でゴロゴロしている内に寝てしまいます。そして、その眠りの深い事。眼を瞑って動かなくなったな、と思ったら身体ごと持ち上げようがピクリとも動きません。

 一方、弟の1歳児はどちらかというと眠るのが苦手です。手足、頭、頬っぺたがホカホカと温かくなって、身体からはしきりにネムネムオーラが発散されているにも関わらず、何故か「頑張ってしまう」タイプの人なのです。私にも身に覚えがあるのですが、やりたい事があったり、ふいに眠気を邪魔された時、休眠モードに切り替わっていく身体がボワボワと緩慢になって言う事を聞かない時があります。全身が不自由な状況で、意識だけが覚醒していると、その摩擦というか食い違いで、何だかイライラしてしまうような感覚です。眠い身体と、眠る準備が整わない頭。大人であれば、眼を閉じて安静にしていよう、という判断が出来ますが赤ちゃんには殊の外それが難しいようです。まず「ねんね」イコール「目を閉じる」という作業が結び付かないんですよね。目からの情報は、人間が得る情報量の過半数を占めていると言われます。ですから、目を開いている状態というのは、常に刺激に接している臨戦状態である訳です。自発的に目を閉じられない赤ちゃんにとって、もう、それだけでイライラの蓄積に成り得ますから、我が家では、就寝時は必ず室内は豆球にしておきます。いきなり暗くするとそれも逆効果で、見えないもの=そこに存在しないもの、と考えてしまう赤ちゃん脳では、さっきまで見えていたお母さんの姿が消えちゃった!となり余計パニックになってしまいます。

 で、どうするか、というと。

 まずは、私もパジャマに着替えて(この時点では、洗濯物やら台所の片付けやら、自分自身のお風呂やら、明日の準備はてんこ盛りに残ってます、でも、この際、後で帳尻合わせます)、子供と一緒に寝転びます。我が家は敷布団を2枚並べて、その上で好きな場所で主人、私、長男、次男が雑魚寝します。それから子供達が選んで来た絵本を読み聞かせです。臨場感たっぷりに、時々、オリジナルストーリーを交えて、時にはミュージカル風に節を付けて盛り上がります。ケラケラ笑う子供達相手に、母は、この時点で割とハイテンションです。続きまして、手遊びをします。児童館で教えてもらった手遊びや、長男が保育園で教えてもらって来たお気に入りのヤツなど様々。子供達の身体をベタベタ触りながら、頬っぺた同士をくっつけあったり、コチョコチョしたり(子供ってコチョコチョ好きですよね)、ここまでくると子供も大はしゃぎ。もっかいやって、もっかいやって、とアンコール数回。側で寝ている主人は怒った声で「うるさい!」と背中を向けますが、そんなものはご機嫌な3人にはお構い無しです。で、騒ぐだけ騒いだら、こちらから「はい、寝ます!」と、騒ぐ息子達にお祭りの終了合図を送ります。騒ぎ足りずに多少不満顔をする彼等ですが、相手をしてもらえたことで満足感もある様子。しぶしぶと言った態度ながらも、横になり、素直に眠る準備を始めます。

 完全消灯するのはこのタイミング。豆球も消して、真っ暗に。

 勿論、子供達はまだザワザワしています。身体をくっつけあって、クスクス笑っている状態。修学旅行の消灯時間直後、そう、あの感じです。それからは今度は歌の時間です。「何、歌う?」とリクエストを聴きながらも、最近の歌は分からないので(何しろ、私も昭和の女)、定番どころをいくつかチョイス。歌い継がれている「童謡」には綺麗な歌詞と、季節感があるので専ら童謡を歌う事が多いです。今の季節なら「卯の花の匂う垣根に、ホトトギス、はやも来、啼きて~」とか「夏も近づく八十八夜、野にも山にも、若葉が茂る~」とか「南の島の大王は、その名も偉大なハメハメハ~」とか。そうして、締めくくりは、我が家では定番の「ねーんねーん、ころーりーよー、おこーろーりーよー~」です。この子守唄は、波長というのか、抑揚と言うのか、本当に効果テキメンで実に良く寝てくれます。母親の声が、高低の少ない子守唄で、ゆっくり、ふんわり聞こえてきたら、やはり子供達は気持ちが鎮まるのでしょうか。ただでさえ、安眠型の長男はウトウトして寝息をかきはじめますし、眠たくて不機嫌な次男も、指をモグモグしながら少しずつ動きが鈍くなってきます。やがて、2人とも静かになり、ゆるやかにゆるやかに眠りの世界へ旅立っていくのです。

 布団の上に移動してからここまでの行程がほぼ30分前後。眠りの浅い次男は稀に夜中起き出す事もありますが、その時は喉が渇いていたり、暑すぎて不愉快であったりが大半なので水分補給後にトントンしてやると大概すぐに入眠します。

 寝かし付けに「苦労」は必要無い、と考えている我が家です。

 子供は(大人も、ですが)寝る事によって日中の疲労を消化するのだと言う事です。だけれども、私達大人だとて単に「眠くない時には眠れない」のは、当たり前だと私は思っています。であるので、我が家では、お昼寝を重視していませんし、寝たい時には寝れば良いと思いますし、(日中は)起きていたければ起きておればいいし、眠たいのに眠れないのであればその時初めて大人が手伝うだけで良いと思っております。なので「子供がなかなか寝てくれなくて」と頭を抱えた事がありません。お腹がすけば食べます。うんちがしたければします。それと同じように、眠たければ、どんな状況だとて子供は眠ります。何故なら、そうしないと「死ぬ」からです。食べる、排泄する、眠る、これは生命活動の一環であるからです。ただ、子供の場合は手助けが必要である場合があるだけで、外部の者が適宜条件を整えてやればそれで満たされて完了します。

 くたくたになるほど活動すれば、休息したくもなるでしょう。お腹がペコペコになるほど動いているのなら(アレルゲン食物以外は)食べるでしょう。それだけの事だと気付いたので、我が家では彼等の「動物としての本能」に任せっきりでおります。

 ちょっとだけ寝かし付けにポイントがあるとするのなら「子供達に、こちら(大人側)の企みを見抜かれない事」でしょうか。早く寝かし付けて、空いた時間に趣味の事をしよう、子供が見ていない隙に大好きなおやつを食べよう、などという不届きな魂胆は、もう、驚く程に子供達は見抜いてしまいます。寝かし付けてくれている大人達の心理状態が、恐らく、胸をトントンと叩いてくれている手であったりだとか、子守歌を歌ってくれている声の調子だとかに現れて来るんでしょうね。この「見抜く力」は、それこそ驚異的以外の何物でもない程です。こっそり何かをしようだなんて、甘い、甘い。

 それはそうです。何しろ、彼等は、生まれる前から私とへその緒で繋がっていたような存在なんですからね。人間の形になるずーっと以前から、私の身体の一部だったんですから、そりゃ、解りますよね。私が何を考えているか、くらいは。

 寝かし付けしたけりゃ、それこそ、こっちも「本気で寝てやるぜ」くらいの勢いでやらないと太刀打ち出来ないです。だから、私は、わざわざ部屋着からパジャマに着替える訳です。だってあっちも本気なら、こっちも「本気」でファイト!なんですからね。

 寝なきゃ、寝ないでいいんです。それの何が不満なんでしょうか。イライラするのはどうしてなんでしょうか。全部、大人側の都合ですよね。あれもしたい、これもしたい、早く寝てくれないかなあ、ムカツクなあ……。とは言うもの、元をただせば、彼等はかつて「自分の身体の一部」だったわけで、そんな自分の一部に腹を立てても仕方ないと思うんですよね(でも、腹が立つ……解ります)。

 相手もマジなら、私もマジ。不戦勝なんて、本当は子育てには有り得ないんじゃあないかなと思います。

 そして明日も、明後日も、彼等との「心理戦」は続くのです。他所の誰よりも寝かし付けにおいて「子供に寝かし付けられてしまう母親」の私が言うのだから間違いないです。

 ねんねんころりよ、おころりよ。ぼうやはよいこだ、ねんねしな。

 そう「ぼうや」は「よいこ」なんです。

 それを見逃しているのは、もしかしたら、こちらの方かも知れないんですよね。