あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

沙羅双樹の花の色

 「経過観察です」と医師から言い渡されたポリープが私の胃には5、6個あります。バニラ味のバリウムを、必死の形相で飲み下して巨大な検査機械の寝台の上で、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロ。身体を回転、反転、捻って、仰向け、うつ伏せ、からの「逆さ吊り」。様々なアクロバットを繰り広げた後の検査結果でありました。

 ストレス性のポリープだという事で、これらは以前の職場に居る頃に初めて見つかったものです。発症の心当たりは有るのです。あの頃の私は精神的にかなり辛かったので、恐らく、そういう内的重圧が引き金であったろうとは考えています。

 この頃、ふとした時に浮かぶ事なのですが、私はガンで死ぬと思うのです。言い切ってしまうのは尚早ですし、軽はずみなのですけれど、遺伝的な根拠はあるのでその予想は少なからずあてずっぽうではないと思ってはいます。母方の祖母を失った原因は乳癌です。父方の祖父を失くしたのは骨髄性の白血病でした。そして実父もすい臓がんで亡くしています。私が幼過ぎて死因にまで思い至らなかったのですが(未だ、周囲の方々に訊けていませんが)たぶん、母方の祖父も系統の似た病気を得て亡くなったと思います。

 死ぬ事を美化するつもりも、無暗に騒ぎ立てるつもりもないのですが、時々、想像する事があります。私は女性の平均寿命で言うところのおよそ半分までを、もう生きてきてしまいました。この先、不慮の事が無いのなら折り返し地点を回ったのです。40歳になり、急に自分の視界が拓けたように感じていたのは、きっとそれは当たり前の話で、誰でも山に登れば頂上からの見晴らしが良い事に気付くのに似ているのだと思います。眼下に広がる景色の色彩に、ずっと煩わされていた事を懐かしく思い起こしたり、切り立った足元に瞬間的な不安を覚えたり、寄りかかる物の無い孤独な頂点に無限の解放感と虚無感を思い知ったりしながら、人はそれこそ「一人で立っている」事を実感するのでしょう。

 人は、死にます。

 それは動かし難い事です。

 どうせ、死ぬのに、どうして人は生まれて来るんでしょうか。より良く生きる為とか、この世の中に何かを残す為とか、次の世代を繋ぐ為とか、この命の理由づけは今生きる人達の数だけ、それぞれ存在する事でありましょう。現代に暮らす人だけでなくて、それ以前の人達の考えた「存在意義」をも勘定すれば、それこそ生きる価値、生きる意義、そういったものの定義づけは夥しい数量に上ります。それほどまでに生きると言う事は、ともすれば難解で、ともすれば興味深く、ともすれば恐ろしくも、人の生活の中に密着しているのだとも言い得るかも知れません。

 決して、暗い話をしている訳でも、消極的になっている訳でも、この先を悲観している訳でもありません。死ぬ事が、生を全うした人の一つの終止符であるのだとしたら、ありふれた考え方でありますが、その人が望む最期であるのが究極の理想形でありましょう。誰にも嘆かれない死であるのも良いです。誰にも悔やまれない死であるのも良いです。想い続ける相手に、何かを残して去って行ける死であるのも、きっと尊い事です。一つが終わる事に意味を持たせたいと考えるのは、どこか深い部分で、私達がさみしさと結び付いているからなんだろうと思います。無意味な終結であってはならないと、決心しているに違いないのです。無駄な終焉であっては悲しいと、無意識に心を守っているからに相違ないのです。「子供を残して先には死ねない」とか、「やり残した仕事がある」とか、「まだ見た事の無い美しい風景がある」とか、「あの人に会うまでここにいたい」とか。繋ぎ止めていくれているものに煩わしさは感じません。むしろ、私を奮い立たせてくれる有り難い物であると感謝しています。貴方がいるから頑張れる、先に進みたいから乗り切れる、そういう事はやはり往々にしていくらでもあるものですから。

 人は、死にます。

 それは、動かし難い事、かも知れません。

 ふとした、とてつもない焦燥感と寂寥感とを伴って、私を潰しにかかってくる厄介な事実です。私の腹の中で眠っているポリープが果たして私の命をもぎ取る強敵となるかは分かりません。臨終の間際まで末永く仲良く暮らしていける相手であるかも知れません。もしもこれから与えられる苦しみや苦悩を、抵抗できずに運命として納得して行かないとどうにもならない事態に陥ったら、その時はまた今とは違った物の見方が出来るようになっていると思います。小難しい事は解りません。最悪の事態を回避出来る知恵も浮かびません。無くても困る物はまだまだあります。未練は言うに及ばず、欲望が干上がる事もないでしょう。

 人は、死にます。

 決して覆らない真実ではありますが、それでも私は、この毎日が愛おしい。いづれ、諦めなければならない、手放さなければならない毎日であったとしてもそれらを見渡して結論付けて生きていくには、40歳はまだまだ幼稚過ぎるようです。

 私がいなくても、こうして目の前で自由に遊び回る息子達は大丈夫です。少しの涙と、一瞬の哀しみが彼等を訪れるとしても、それでも彼等はその苦難を乗り越えていくでしょう。解き放ちたくないのは、たぶん、私の方であるのですね。見守りたいと思っているのは、私の方であるのですね。子供達の周囲には、多少苦痛でも、助けてくれる大勢の人達と支えてくれる大きな愛情とが用意されています。

 生き死には、簡単な摂理であり、難解な出来事でもあります。

 生きて、死ぬまで、私達はコレに支配されているのですから、悩みの種になるのは至極当然の事であるのですよね。だけれども、残される人が幸福であるのなら、残されていく景色がまるで濁りの無いものであるのなら、そう、それだけで得難い幸福ではないかとも思うのですよね。