あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

幕が開いたら。(読み聞かせについて思う事)

 読み聞かせの時、私はいつも心の内の「誰か」をなぞっています。朗読劇の名手を真似るという作業、幼い日に聞いた朗読者の模倣のようなモノ。

 市原悦子さんと冨田富士夫さんのコンビで送られた『まんが日本昔話』の語り口調は、殊に私の耳に深く深く留められた素晴らしい物でした。「むかーし、むかし、あるところに~」と始まるしっとりとした耳慣れの良いトーン。二人の声がゆっくりと物語を紡ぎ始めると、子供ながらに正座に座った膝へ手をついて、ついつい前のめりに目を見開きたくなってくるように思われました。

 夕方の決まった時間に「ぼうやー、良い子だ、ねんねしな~」とオープニングが流れるテレビの前で、子供の頃の私は毎回放送される地方の昔話に胸を躍らせていたものです。楽しい話、胸が空く話、奇妙な話、少し気味の悪い話。アニメーションも雰囲気があり、決して目まぐるしくない動画で、それこそ本当に絵本を爪繰るような感覚にさせられました。お姫様も、お百姓も、犬も、鬼も、全部の登場人物を、たった二人のベテラン俳優が声を演じ分けておられました。地の文脈、つまりナレーションも含めると、お二人が演じていらっしゃった夥しい数の登場人物(人物だけではありませんが)だけで、一つの国が出来てしまうのではないかという程です。

 決して奇抜という訳ではない、緩やかなテンポの物語は一つの物語でほぼ15分。それが毎度2本仕立てになっています。つまりその30分という、子供にとっては長い時間を、彼等の心を引き付けたまま語り尽くしてしまうこの魅力とはいったいどんなものだったのでしょうか。

 寝かし付けの前に、あるいは遊び相手の最中で読み聞かせをするようになり、改めて、朗読の技術について考える事が出て来ました。2人の子供達には、それぞれ自分のお気に入りの話があります。本に書かれた台詞を丸々そらんじられる程読み込んだ話を、嬉しそうに何度も母に読ませようとしてきます。飽きさせないように読むにはどうしたらいいのだろう、もっと彼等を喜ばせるにはどんな雰囲気作りをしたら効果的だろうか、というような事を無意識に考える折も増えました。

 子供相手に何もそこまで、とは、私は思いません。私自身がそういう面では凝り性なのかも知れませんが、どうせ読まされるのなら、こちらもウキウキしながら楽しんだ方が良いのではないかと思うのです。

 高校生の頃、私は演劇部に所属していました。演じる事に抵抗はないので、実を言いますと本読みは苦ではありません。ただ、自分が良かれと思う表現方法と、相手が聴き入る語り口には若干の隔たりがあります。余りにオーバーに演じても、文章の全部がコテコテしすぎて、クライマックスや重要な台詞が際立ちません。かと言って、余りに淡々と自分自身の素を前面に押し出し過ぎては、聞き手は興醒めします。それは大人でも子供でも聴衆の反応は変わらない気がします。知らず知らずに引き込まれる語り方には、それなりのコツが含まれていると思うのです。

 家事をしながら、時々、聞くようになったのは読書感想文の課題図書に挙げられる「名作」と言われる小説の朗読です。最初は、のんびり本を開いている時間が無かった為、手軽に作品に触れられるという理由でネット動画の朗読をスピーカーで流しておりました。思いの外、有名な俳優さんやアナウンサーさん、声優さんが出演されていまして、次から次へと、心待ちにして聞き続けられました。中でも私が繰り返し聞いていたのは西田敏行さんの『走れメロス』、江守徹さんの『山月記』、上川達也さんの『羅生門』、大塚明夫さんの『杜子春』であります。何が心地良いと言って、行間に現れる絶妙な息遣いや、演じる方の表情までが想像出来るような言葉運びでしょう。家事の手を止めないように、あえてスピーカーから流している朗読であったにも関わらず、ついつい聴き入ってしまって手が止まってしまうのです。

 

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 言葉はリズム。言葉は呼吸。実感させられる事です。小手先でない、腹からの、心底からの発声が、物凄い説得力を持って響いて来るように思われるのです。

 すぐに真似られるレベルでは決してありませんが、そういう「間」や「空気」を意識して、子供達に物語を一節語ってみました。するとどうなるか。

 解るのですね、子供と言えど。いや、感覚の鋭い子供だからこそ解る事なのかも知れませんが、話者を見上げる眼の色が明らかに違いました。冒頭から食い入るように絵本の世界へのめり込んでいるのです。悲しい場面では悲しい顔をし、馬鹿馬鹿しい場面では声を立てて笑い転げる、無邪気な仕草で聞いていても、きっちりと物語の中の傍観者に成り遂げている子供達。まだまだ、名人を真似るだけで精一杯の読み聞かせですが、効果はまずまずのようでありました。

 「場」を作り上げる技術は、そう簡単に手に入れられるものではありません。語り部の全身から滲み出て来る稀有な物でもありましょう。ですが、少なくとも、読み聞かせの最前線で強敵の子供達に向かい合う母は、相手を侮ってはならぬというのがよく解りました。子供は貪欲です。愉快な事、面白い事を、驚愕すべき嗅覚で嗅ぎ分けて来るのです。こちらが手を抜けば、簡単に見破られてしまいます。つまらないものからは、あっと言う間に身を翻して逃げていきます。それはもう、飽きれる程に、はっきりしております。

 「むかーし、むかし、あるところに……」。

 固唾を飲んで見守る子供達が、存分に物語の世界に遊べるよう、母は日夜、研究に余念がありません。お姫様になり、お百姓になり、犬になり、鬼になり、母は夢の世界を彼等の前に広げて見せるのです。青春時代を思い出して、一人の演劇少女に戻りつつ、子供達との真剣勝負です。引き込めたら勝ち、飽きられたら負け。言葉の力、声色の力、表情の力、余すところなく、総動員で挑む、本気でやるからこちらも面白い、面白いから相手も聞きたくなる、何と解り易い心理ゲームでありましょう。

 「読んで、読んで、次、これ、読んで!」

 無限ループのアンコールに苦笑しつつ、名優は今夜も引っ張りだこなのでありました。