あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

告解

 好き嫌いなく、出された物は何でも食べる主人を、私はある種の憧れを持って眺めています。好んで食べない物はあると言いますが、見ただけで虫酸が走ると言う程、不得意な物は無いそうです。対して、私は、もうそれこそ我が儘で凝り固まった偏屈の域に居る身でありますので、選り好みが激しく、また、食卓にも注文が多い人間です。タケノコ、レバー(を始めとしたホルモン系)、アサリよりも大きい貝類、ラム肉、酢豚の中のパイナップル(パイナップルそのものは好きです)、魚のアラ(特に目玉)、ウナギの肝やフグの白子といった所謂「珍味」、一例だけでも苦手はこれだけあるので、実際の食材で眼前に並べられれば、あれもこれもと、指差したくなると思います。

 体質的にアルコールも受け付けないようです。飲める体質の方は、慣れがあれば酒が身に馴染んでいくのですが、練習とか経験値とかでは何ともし難い拒絶反応があるので(頭痛とか吐き気とか眠気とか)、駄目な物は、理屈でなく駄目なのでしょうね。

 世の中に、苦手な物が増えると、どう考えても「損」をしているような気分になります。楽しめるはずの選択肢が減るわけですから、そういう意味では残念な事なのでしょう。勿論、それは食材に限られた事ではなくて、趣味の話でも、仕事の話でも同様に苦手な物が増えて来ると、その分、自分の行動可能範囲は狭まるわけで、それは対人関係に置いても同様ではあろうと思います。

 人の中でしか生きられない我々であるので、自分の生活圏に関わってくる相手と良好な関係を築けるかそうでないかは、切実な問題です。上司、後輩、先生、友人、親戚、伴侶、中でも「親」「子」は、こじれると全部の不具合の元になってしまいかねない危険をはらんでいる関係性であるんですよね。

 親友にさえ言えなかった事が、私にはあります。信頼する先輩にも打ち明けられなかった事が、あります。結婚する前に、主人(となる彼)に生まれて初めて打ち明けました。実弟には、結婚後、ようやく、心に抱えていた事を伝える事が出来ました。

 私は、母が、とても、とても、苦手です。

 この気持ちが、はっきりしたのは、私が成人したくらいの頃でした。

 ずっとそれまでは、自分を責めていたと記憶しています。母を苦手だと思う自分は、きっと欠陥人間なのだと思っていました。母を悲しませる私は、社会不適合者であると思っていました。彼女の望む可愛らしい素直な人間に成りたくて、別人格を演じてみたり、精神分析を主体にした書籍を読み漁ったり、どのアプローチが喜んでもらえるのか日によってしゃべり方を変えてみたり、考え付く方法をそれとなく実践してみました。結果的には、様々な衝突が発生して、私は自信消失を経験しました。同じように、こんな無様な娘を恥じて、育ての親である彼女もやるせない気持ちになった事と今では想像しております。

 子供を産んでみて、私の中であらゆる仮定が確固として結論付けられていきました。親に違和感を持つ自分は「壊れた人間」だとそれまで諦めて生きて来ました。注がれる愛情を時に「重い」と感じ、時に「痛い」と感じ、絡め取られそうになる意識を断ち切って「逃げたい」と願うのは、恐ろしい程の親不孝者であると考えてきました。

 自分の家庭を築いて、息子達を授かって、曲がりなりにも「私名義の居場所」を手にした時、今の今まで、背中に覆い被さっていたあやふやなじっとりと湿った重りが、パッと砕けて小さな光る砂粒になって崩れて行ったように感じられました。

 子供を持てば、私は、親の気持ちをそのまますっくり理解出来ると、心のどこかで思っていたんですね。命懸けで守らなければならない物を授かって、煩雑な日常に追いまくられる身になれば、母が若かりし頃味わってきた苦しみや、哀しみを、我が事のように納得出来ると、何かの謎解きの手掛かりを得られると期待していたんです。

 けれども、それは違いました。

 母と言う人が、私には、もっともっと解らなくなりました。

 私は、どうしても、彼女が望む、望み続ける、理想的な娘に、成れずじまいでありました。

 落ちこぼれてしまったのです。

 子育てを間違った、と言われてしまいました。私という人間は、可愛げもなくねじ曲がっており、思いやりの無い低脳なモノとしてこの世界に仕上がってしまいました。

 母を、苦手と思う事は、人生の「損」を一つ、引き受けている事に他ならないでしょう。欠陥品であるが故に、産みの人を好きになれないのだと私は思ってきました。好きになろう、好きにならなければ、と、随分長い間、とりとめのない練習を繰り返してきたように思います。上手く出来なくて、胸が一杯になって、自己嫌悪に陥って、それでも距離を置こうという決心が付かなかったんですね。親子という無条件に波風を立ててはならない戒めが、そこに鎮座しているように思っていたのですね。

 「もう、いいんじゃない?」と、主人は言ってくれました。もう、頑張らなくてもいいのだと、彼は言ってくれました。

 そうか、私は「母と娘」であろうと「頑張ってた」んですねえ。離れてしまうのは、もしかしたら不幸な事の一つであるのかも知れません。だけども、一つの人格が、一つの人格から分離してしまった時点で、もうそれは元には戻らない「別の一人」であるんです。母に育まれ、母から与えられた命であったとしても、一度、切り離されて一人で瞬きをする自由が与えられたのだとしたら、もう「かつての自分の一部」として、執着してはならないのだと思います。

 私は、一人の人間として、母を、苦手でも許されるんです。私は、自分の意志で、彼女を傍観しても許されるんです。

 こんな当たり前の、こんな微々たる事に気付くまで、私は随分と長い年月を経て来てしまいました。母から離れる娘にしろ、娘から離れられる母にしろ、本当のところ可哀相な人なんて、どこにもいないんです。互いが互いの人生に巻き込まれているから、可哀相な人が増えて行くのだと、しみじみ感じました。

 心残りが無いと言えば嘘になります。しかしながら、こうして迷いながらでも、気持ちを冷静に記す事が出来ている状況に、私は、わずかばかりの慰めを感じています。いつの日か、このわずらいが、ほの白い哀しい思い出と成り果てますように。

 

 

 里帰りをしておりました。4カ月ぶりの実家です。子供達と主人と、私。

 長い間、秘めていた想いが、今回、溢れてしまいました。綴る内容は、人には欝々としたモノに見えるかも知れません。それでも、これは私の中の波紋であり、若かりし頃から押し隠して来た本音でもありました。

 私と、母と、もう「違う人間同士」なのだと言う事を、私はそう、もう、随分前から彼女に伝えたかったのです。伝えようとしても、伝えられなくて、行き詰って、何度も泣いて、それでも吐き出し尽くす事が出来なくて。

 全部を打ち明けられた訳ではありませんが、少なくとも、私の手枷は解かれました。

 始まりであるのか、終わりであるのか。正しかったのか、正しい物と言い切れるのか。

 これからも私は、考え続ける事と思います。