あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

酷暑見舞、参らせ候。

 白、薄紅。百日紅さるすべり)の花が、湧き立つように咲いています。この凄まじい暑さに蝉でさえ、日中に鳴く事を控えているというのに逞しくも健気な花は、焼け付く陽射しの中で熱風を受けて揺らいでおります。

 先週末から1歳5か月の次男が風邪をこじらせました。その少し前は結膜炎を2週間患い、不愉快な日々を過ごしたばかり。小さい体にびっしりと汗を噴き出させて、寝苦しい身体を据えどころも無く、ムシムシと気温の下がらない熱帯夜に浅い眠りを繰り返しておりました。熱が出始めたのは土曜日の夕刻。保育園からお迎え依頼の電話があり、私が到着した時にはすでに全身が湯たんぽのように熱かったです。抱きかかえると涙目の顔を上げて私を見つめ、すぐに胸の谷間に額を押し付けてイヤイヤをしてきました。

 昨日、日曜日は一日中を泣いてぐずって過ごしました。口に出来る物は牛乳と経口補水液と少しの果物と一匙か二匙の粥。それもまた激しい咳き込みで嘔吐してしまう始末。鼻水も出始めて、グズグズが始まり、吐瀉物の付いた敷きパッドやシーツを洗濯する為に、当家の洗濯機はフル稼働。週末という事もあって、長男の保育園からは布団カバー、主人の作業着、溜まった着替え、我が家の週末掃除区分であるキッチンマットやらが列を成しての洗濯待ちでありました。であるので、なかなかに恨めしい昨今の猛暑でありますが、その時ばかりは洗濯物の驚くべき速乾具合にしばしの感謝の念を催しました。

 今日とて、猛暑と呼ぶよりも「酷暑」と言っても過言ではない陽気であります。ただただ単に暑いだけではなく、本国特有の湿気がありますからもはや息苦しさまでが押し寄せて来ますね。水分を摂っても、塩分を補給しても、滲むようにしか肌からは蒸発していきません。表皮が煮融かされてただれ落ちるのではないかと思える程の照射でありますから、厚手のカーテンを閉め切った部屋で、エアコンを点けっぱなしでまさしく緊急避難しなければ命に関わるに違いありません。まして、表面積の大きい、小さな子供は一たまりもない事でしょう。

 ふと心に浮かぶのは、先の大雨で災害に見舞われた地域の事です。衛生的にも劣悪な状況で、折しものこの灼熱であります。空調どころか、日々の飲み水、沐浴水にも不自由をしている方々がまだ大勢いらっしゃる事を想像すると、中でも幼いお子さんを持たれているご家庭はいかばかりであろう、身重の御婦人、御病気で苦しまれている方々の難儀はいかばかりであろうと胸が塞がれるように思います。

 人災ならぬ、天災では、それこそ訴えて出る場所がありません。ひたすらに救援を待つしかない中で、力弱くなっていく我が子を抱える親御さんの心労を想うともう、たまらない気持ちになってきます。

 やっと陽が傾いて熾烈な陽射しが和らぐ頃、郊外にある我が家の周囲では遠くにひぐらしの声が響きます。ようよう生き残った我々の労を、優しい音色で慰めてくれるようであります。幼い頃にしょっちゅう降っていた夕立もなく、昼間の余熱を残したままの熱帯夜が連日のようで、いずれにせよ一つの通過点なのだろうかと、次の世の先行きを一方で悲観してみたりしております。これも夏の真実の姿なのでしょうけれども、様変わりするのを少し怖いような思いで見送る昨今。打ち水を打たれた庭先に、団扇片手でスイカを頬張り、蚊取り線香を炊いて蚊を追いながら近づく雨雲をぼんやり眺めている、そのような私が知る風景が、もうすでに「かつての物」になってしまったのは寂しい事であります。けれども、我が子達が胸に刻んでいく夏も、また別の「本当の夏」の姿なのですから、それぞれに思い出す物も違い、考えなければならない事も違い、いつの日か懐かしさの中にそういった景色を思いよみがえらせる事でもありましょう。

 太陽の破片が突き刺さったように熱い体の我が子を抱けば、つらつらと考える内容の不吉なこと。嵐が通り過ぎますように、そればかりを祈りながら、熱の子が横たわる寝床を見下ろします。心穏やかに季節を愛でる日が早く訪れて欲しいものと、つらつら、つらつら。