あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

羽化

 眠りは全部をチャラにします。眠っている状態は、外界との情報交換から隔離された状態です。刺激の流入もないですし、体力の流出もないわけです。厳密には、呼吸器を動かす微弱な「電力、火力、水力」や、循環器を活動させる労働力は必要になりますが、全くそれだけの事で、それのみに終始するわけですね。生命維持に欠かせない最低限の支出があれば、コンパクトにまとめられた股関節や筋肉は許された休息を存分に味わう事が出来るのです。

 風邪引きの1歳次男に付き添って、汗まみれになりながら眠っている彼を眺めています。発熱のせいで食事は固形物をほとんど受け付けません。ウトウトと眠っているな、と思っていたら、浅い眠りはすぐに解けるようでして、暇さえあれば不機嫌に泣き叫んでいます。鼻を垂らして、咳き込んで、涙で塞がったショボショボの両目をこすりながら、また泣いて、その繰り返しで一日が過ぎて。時々測ってみる熱は上がったり下がったり、元々高い平熱ですが、寝苦しそうに身悶えしている時は脳みそが茹で上がるんじゃあなかろうかという高温です。そんな中にでも、彼の身体は「休め」の信号を本体に送るらしく、一しきり泣き喚きの暴走が済めば次の爆発に供えるのか身を横たえ、グズりながら入眠します。活動中の火山帯と同じですね。

 活動を停止するのではなくて正確には「休止」です。体力温存と自然治癒を待つ為の本能的な初動です。うずくまる、身を隠す、じっとする、ちぢこまる。中でも最も効率が良いのが「眠る」なのでしょうね。刺激に対する処理能力も求められず、一途に防衛のみに専念出来る形状です。

 追い詰められたら、取りあえず全部を止めて眠ってみようという考えは、病気に限らず、ストレス要素に対しても応用できる考えなのではないかと私は思っています。山積したタスク、不必要な他人の圧力、未解決なままの命題、自分自身に起因する難問に対してでさえ、時に「何もしない状態」というアクションは有効であると思うのです。突き詰めてみると、根源的な問題解決には成り得ないでしょう。わずかながら設けられたブランクが、詰まれた課題を知らぬ間に軽減してくれているなんていうご都合主義はまさかまかり通る訳ではないでしょう。

 ではありますが、全部を一度閉じてみる事によって、非効率に消費されていた細かな「使途不明分の労力」は、瞬間的にも完全に供給がストップされるわけです。細切れにあれこれと引き出されてしまっていた労力、時に体力が無駄な供給を免れるだけで、いかばかり本体のダメージが減る事でしょうか。追い詰められたら、何もかもを放っぽり出して眠る事、またそれまででなくとも、目を閉じて意識を外界から内面へ転じるだけで、抱えている負の部分はいくばくかの改善を見出しやすくなると言うのは事実であると思います。

 心よりも身体の方が、命と直結しているだけあって、そういった過度の疲労に対しては敏感です。キャパシティーを超えに掛かるストレスに対し、子供ならまず眠気を催すでしょう。機嫌が悪くなり、身体のあちこちが熱くなり、やがて、耐えきれなくなって強制的に伝達機能がシャットダウンします。大人であれば、身体が多少まいっていたとしても気力や責任感や倫理観などといった面倒臭いルールブックが尻を叩いて励ましてくるので束の間の通常営業は可能でしょう。しかしそれでも最後は子供と同じように神経系統に麻薬が撃ち込まれて、身体が順々に麻痺症状を起してくるはずです。

 目標とする到達点が遠ければ遠いほど、助走は長くなります。また、消耗が深刻であればあるほど、治癒には時間がかかります。風邪を引き、熱を出して(体内の細菌を駆除する)、汗をかき(高温になり過ぎるのを冷却して止める)、食欲を減退させ(消化にかかる負荷を少なくし、その消費電力も本体治癒に回す)眠る我が子。教えられた訳でもないのに、命はきちんと「命」を守ろうとしているんですよね。

 羽ばたく前の、蝉や蝶のサナギは、もしかしたらそんな感じなのかも知れませんね。傷付いた組織を丁寧に練り合わせ、その後に控えるとんでもない変化に対応するため全神経、全体力を眠って蓄積する作業。いるもの、いらないもの、は、こちらが心配しなくとも、小さな「彼等」はとうに知っている事なのですね。

 せめて、汗にまみれて息苦しそうに眠る「彼等」が、少しでも穏やかに休息を得られますように、何に憚る事もなく「彼等」が我を忘れて自分を癒せますように。

 小さく折りたたんだ透明な羽根が、目覚めた時にたくさん南風を掴む事が出来ますように。私に出来る事はきっと、そう多くないのですけど、ただ真摯に彼等の寝息を見守ろうとは思うのです。