あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

反旗を翻す。

 自分の「完成形」って何なんだろうなと思うのです。今の自身に満足出来ていない状態の人が大勢世の中にはいて、居場所を探していて、現状をうらんだりしています。世界に不満をぶつける歌詞の歌謡曲も相変わらずヒットを飛ばしていますし、SNSから不満の声が無くなる事はありませんし、テレビの画面からカーラジオから暗いニュースが流れて来ない日はありません。

 実家の母は、娘が成人した後でも何の悪気もなく娘宛の封書を開けますし、主人は家族で外食すると車の運転があるにも関わらず駆け付け一杯の生ビールジョッキを欠かしません(運転が苦手である私を当てにするのは止めて欲しいです)。5歳の長男の保育園のロッカーには、持ち帰りそびれた泥だらけ汗まみれのTシャツとズボンと靴下が詰め込まれていますし、発熱下痢口内炎に夜泣きの次男のおかげで早くも上半期で私の有給は消化できてしまいそうです。

 早くに帰宅しても自分の晩酌に余念が無い主人は、夕飯の支度で忙しくしている私に自分の酒の肴を要求しますし、子供達の送り迎えは基本的に「俺の仕事ではない」とのルールが出来上がっています。私とて、万能の母、そつのない妻、如才ない娘ではありませんから疲労や体調不良や心理的な浮き沈みで、時折、糸がプッツリ切れてしまう事があります。現実の厳しさ、現実のままならなさ、所々に点在する暗い穴のようなもの。

 しかしながら、それは「周りが」とか「相方が」とか「手助けが」とか、何かしらのすがるものを待ち望んでいた時には不思議と解決しない、言わば放置された傷のようなものだと気付きました。嫌なら嫌と言っても良い、怒っているなら怒っている態度を示しても良い、それに不可抗力ながら思い至った時、ちょっとだけ私の中で錆び付いていた汽車の車輪が回り始めたように思えたのですよね。主人に立腹していても、子供の前では笑顔でいなくちゃ、なんて、菩薩でもない私に出来るわけがありませんでした。風邪を引いている時にも栄養バランスを考えて、いつも通り丁寧なご飯を作るなんて無理なのです。自分を「いい人」でいさせる必要はないのじゃあないかな、と。

 子供達も実は解るのです。「ああ、今、お母さん、お父さんと喧嘩してるんだ」とね。主人が我が儘をするなら、私だとて我が儘をしていいはずです。辛抱はしても良い、でも我慢はしなくて良い、「平和の作り方」なんてそれぞれの家庭の数だけあれば良いんですよね。

 

 

(1000文字雑記)