あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

OLD ALICE in THE WONDER WORLD

 書き溜めて来た「雑記」も、ポツポツと溜まって来ました。始まりがあれば、勿論、終わりがあるのですけれど、最終回を意識する事なく続けて来た私も、一区切りをどこかにした方がいいのだろうか、など考えなくもありません。一万記事、まさかまさか。では一千記事、これもなかなか高い壁です。では、その半分500記事、これはかなり現実的な数ではありますね。

 去年の12月4日に「あかりの森」は誕生しました。正確には、ずっと私の心に育っていた名も無い思い出や捨てきれなかった想いの数々が、新しい名前を得て生まれ直したようなモノでした。書き綴っていくうちに、言葉にならなかった感情のやり場や、表現しきれなかった気持ちの置き場や、小さな家族内での出来事の記録簿が「森」の中に大事に仕舞われていくようになりました。小鳥や、可愛らしい生き物が木陰を求めて集まって来るように、私はこの「あかりの森」の画面を開くと、忙殺されていた日々の意味を一つ一つ紐解いて見つめ直す事が出来るようになっていました。嬉しくも、言葉を交わす人達が出来ました。感心するような記事に出会う事も出来ました。決して、今の生活が虚しい訳でも、退屈な訳でも、まして疎ましい訳でもありませんが、それとはまた別格の慰めを恩恵として受けていたようにも思います。

 生まれてから老いて死ぬまで、私達の命はとても流動的です。大袈裟な言い方をすれば一瞬として同じ一瞬はないのです。毎日、激変していく子供達がすぐそばにいれば、余計に周囲は騒がしく慌ただしい物になる事でしょう。これらをつぶさに、一つも漏らす事なく把握し、記憶し、良い事を次の機会に生かそうと決心する事がいかに至難な事であるでしょう。親という立場であればなおさら、時々立ち止まって、這う這うの体で椅子に腰かけて、冷めた茶をすするので精一杯、そんな日の連続であります。

 そこに、少しの彩りを、そこにこそ、わずかばかりのセーブポイントを、許される範囲での「何者でもない」私を転がして置く場所を作る意義。娘でもなく、妻でもなく、母でもなく、〇〇さんの奥さんでもなく、一個の石ころのように、私を自由に転がして置く場所、肝心の置き場所さえ確保しないような奔放な場所こそが私にはこの「あかりの森」でありました。

 1000文字、執筆時間20分、時々、甘いお菓子と香ばしいお茶。時間を忘れたアリスのように、言葉の世界で、神隠し。

 

 

(1000文字雑記)