あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

「あほ」ってこういうことを言うんです。

 どんな人に育ってほしいかと尋ねられたら、息子達には「自分の人生を自分自身の力で豊かにして行ける人に育ってほしい」と答えるでしょうか。

 出来れば、人の為に努力出来る人であってほしいです。誰かの役に立つ為には、何も出来ない自分では困るでしょう。進みたい道に、勉学が必須であるのなら死ぬほど勉強してほしいし、卓越した技術が必要であるのなら寝食を惜しんで技を磨いてほしいと思います。私が与り知らぬ、最も純粋な自分だけの欲望のままに、研鑽し、邁進してほしいです。息子達の喜びが、彼等を支える人々の喜びであればいいと思うのです。息子達の汗が、彼等を頼って来る人の為に流される汗であればいいと思うのです。

 私が彼等よりも早くこの世界から解放されるのは、必ず、ですから、私の知らない場所でちっとも臆病にならないで毎日を紡いでいってくれるのがいいと思います。

 息子達が付き合う友達は、きっと良い子ばかりに決まっていますし、連れて来る彼女(彼氏?)はきっと可愛いに決まっていますし、生まれる孫は愛おしいに決まっていますし、息子達の選ぶ道のりは例え困難に満ちていたとしても、きっと正しいのです。

 15歳になったら、後はほどんどが自己責任であるかのように、私は彼等と付き合うと思います。勿論、「自己責任でしょ」と突き放すのはベースとしていても、全ての非難や攻撃はひっかぶって生きていくつもりではいます。親は馬鹿ですから、こればかりは習性なんでしょうね。

 この頃、夕方になると、故郷に残して来た母と話したくなります。息子達を保育所に迎えに行くまでの僅かな時間、電話口で老いた母と話し込む事もあります。一人で暮らす母は人づきあいが苦手なので、普段は気ままに庭の草むしりなどして暇を潰しています。誰とも話さない日が続くと、久し振りの私とのおしゃべりにも、最初は声が出しづらいようで無暗に咳払いをします。声帯も退化するのでしょう。

 幸せの価値は時代と共に移り変わって来ました。母が現役だった頃は、学歴と出身が全部であったので、私達姉弟の尻を叩いて学問の大切さを口やかましく説いたものでした。不確定な事が多くなった現在では、昨日の常識が明日の非常識へと瞬時に入れ替わります。幸せになる「定石」はありません。それでも弱った母の口から漏れるのは、自分の子供達の幸せを祈る言葉です。

 私が思う、子供の幸せ。母が思う、子供の幸せ。いつの日も重みは同じ。