もの食う2歳児
大福に目鼻を書いたようにシンプルな顔立ちの2歳の次男が、新年の餅菓子みたいな両手で、自分の手の平の3倍ほどもある大判焼きを握り締めています。そして丸い頬を懸命に動かし食べ進む姿は、母ながら手を止めて見入る価値がある程、すがすがしいのです。
美味しそうに物を食べるのは、全部の事象に照らし合わせても必ず正解です。国は違えど、食事時のマナーが存在するのは、おおよそ、食べ物を食べるという行為に大きな意味が存在するからなのでしょう。
人の好き嫌いの基準に、その相手と共に食事がしたいかどうか、という設問さえあります。生命活動の根源的な行動の1つである食べるという生々しい行為を、親しい間柄の相手と共有したいと願うのは、実は本質的な欲求であるのかも知れません。
食事をしている時、私達は大抵において無防備です。この飾らない姿を晒しても大丈夫であるか、も、もしかすると重要な項目であるでしょう。
勿論、そんな複雑な背景の中で、2歳の次男は大判焼きを頬張っている訳ではありません。けれども、まん丸い手で掴まれた大判焼きが瞬く間に平らげられていくのを見届けるこのひと時を、幸せと思えるくらいには大切な事柄でもありましょう。