あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

ほらほら、またそのように。

 私の手足は、すべからく余白を自由に扱えているのだろうか、と思いました。余裕とか余力とかではなくて「余白」が私には大切に感じられるのです。水墨画にも必ず表現される一見「何もない」空間、あるいは偏りがいわゆる「余白」です。

 集中する場所から、遠ざかった場所が、つまり「余った領域」であるとすると、余暇であったり、空き時間に、どこか気の利いた場所へ出掛けて「自分にご褒美」などをするのが適当であるのでしょうか。特に何をするでもなく、時間を食い潰すのを「贅沢」として珍重しても良いのでしょうけれども、私は、それに特に誇らしさも感じなければ、別段の充実感も得られません。独楽鼠のように駆けまわっている方が性に合っているのかも知れませんが、持て余してしまう空白が、どうも苦手です。

 ですから「余白」に込められた意味合いのような物を、目を凝らして探してみたり、そこに暗示された物語や何かの描写を想像してみたりなどするのだと考えます。

 世の中は意味あるモノばかりであるとは限りませんが、意味のない事こそが、意味深いのであるという逆説も一方では成り立ちます。それほど、世間様は「自由」であるのです。余白に、寵愛されたいです。