胸の星に願う
感情と言葉の隙間は、この先もずっと「相違」が挟まったままであることでしょう。感動と詩の狭間は、永遠に埋められる事なく「違和感」が居座るのだと思います。英知に富んだ言語学者でも才気に溢れた詩人でも、私達の悲しいわけを、私達に悲しみを突き付けた相手へ忠実に届ける事は出来ないでしょう。
長い間、私達が抱えてきた、まるで傷のような「相違」や「違和感」を、何とか見える形にしようと努めたのが哲学者や神学者や物理学者であったのかも知れません。
モヤモヤの尻尾を捕まえたくて占いを信じてみたり、イライラを繰り返したくなくて、その解決法を書いてあるらしい本を読んでみたりする私達は、きっと健気にも物事に向かい合おうとしているのです。捨てて顧みないのであれば最初から別の方法を選択しているはずであるのに、モヤモヤしながらも、イライラしながらも、それらとどうにか穏やかにやっていけないものかと、救われる道を模索しているのです。
情けないけれども、可愛らしいではありませんか。懸命である姿を気に病む事があるでしょうか。言葉が私達に追いつく可能性はとっても低いかも知れませんが、私達を私達が労わってやるのは、実は容易いはずです。