あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

春と馬鹿

 我が家の時計を「日時計」にした。

 ベランダに置いて使用している。

 朝日と共に起きてきて、星の出ぬ間に寝てしまうというハメハメハ大王のような生活リズムになった。お陰で母子ともに遅刻は増え、早寝の習慣が付いた。

 体調は良くなり、体内時計が整ったようにも思うが、経済活動が旧石器時代並みに鈍くなったのが目下の困り事である。

 そして、一番大変なのは天気が悪い日だ。時間が分からない。やむをえず腹時計での応急対策になる。

 

 

 

 

     (エイプリルフール万歳!)

 

 

 

 

森主:

 500文字雑記が150記事を越えました。毎日更新のノルマがあるわけでもなかったのですが、よくまあ、毎日書く事があるものだと感心しています。本当はもっと多くの想いの中で、私達は暮らしているのかも知れません。

 新しい春です。本来なら、記念式典や晴れ晴れとしたイベントが各地で行われている時期でした。昨今の沈んだ空気の中で、賑やかな事を提案すると倦厭されて批判を浴びてしまうような事態になってしまっています。

 そんな状況下で、無理に自分を奮い立たせるとか、おどけてみるとかではなくて、つまらない事をつまらない事で終わらせない、しんどい事をしんどい事で終わらせない「ちょっとしたひと工夫」が求められているのではないでしょうか。

 気軽に外出できない不便も、人と会えない不安も、落ち込んでしまってどうしようもない気分も、そこでひとくくりにしてしまったらきっとそれは「悲しいお話」で終わってしまいます。痩せ我慢とか、見て見ぬフリとかで折り合いを付けるのではなくて、「だからこそ、どういうふうに料理しよう」「だからこそ、どういうふうに過ごそう」「だからこそ、どういうふうに面白く考えよう」にシフトしていくのがいいのじゃないかなと思います。

 焼け石に水だよ、とシニカルに笑って解決するものでもありません。呑気な事を言ってる場合じゃないよ、とニヒルに批判している場合ではありません。

 解決はしないかも知れない、それでも、少なくとも、機嫌良く過ごせるのなら、出来る事は全部やった方が良い、それも、人に乗っかってどうにかしてもらうのではなくて、まず自分で自分の機嫌を取る事から始めたいと思うのです。

 無邪気かも知れない、無謀かも知れない、無鉄砲かも知れない、無茶かも知れない、無駄かも知れない、でもそんな可能性さえ最初から否定していたら、生まれるはずだったかも知れないモノも、生まれない。

 子供の頃、不可能な事なんて何一つ無いと信じていた自分が、大人になって変に賢くなって、世渡りが上手になって、区切って、押し込めて、無かった事にしてきて、それで結局息苦しくなっています。

 嬉しくなれない人に、嬉しさは作れない。感動できない人に、感動は作れない。自分を大切に出来ない人に、相手を大切に出来る道理がない。

 苦笑いでも良い、やけくそでも良い、人に媚びない、自分だけのユーモアで自分をご機嫌にする事から始めたらいいと思います。

 子供達が暗い顔をしているのは、大人が深刻な顔をしているからです。子供が子供らしくならないのは、大人が本当の意味で大人らしくないからです。

 ああだったらどうしよう、こうなったらどうしよう、の前に、ああだったらいいよね、こうだったらいいよね、から出発した、ああしよう、こうしようが作られるはずです。

 ちっちゃいことだったら出来るよ、ちっちゃいことしか出来ないけれどね。それで十分ではありませんか。ちっちゃい事すら鼻で笑っている人は、そのちっちゃい事も出来ないままです。

 まずは1つのユーモアから。くだらない事を始める勇気、万歳です。