あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

書き連ね、書き捨てて、夏、夜深く、独り、ほとほとと、つむぐ。

 澱みのない水辺に、蜻蛉は飛び巡ります。色づき始めた稲田の上空にも大きな群になって彼等はスイスイと風を切って渡って行きます。華麗なホバリング(定点飛行)も、上下飛行の自在な事も、小さいながらこの虫を勇ましいモノに見せている大きな要因である事でしょう。

 昔の話に、時に「かちむし=勝虫」と呼ばれる昆虫、トンボ。武勇が尊ばれた時代に、前進飛行しか出来ないこの虫は縁起物として愛でられたそうです。決して後退しない、つまりは負け戦をしない心意気の象徴という意味合いで、折々、甲冑の造作に取り入れられたり、衣服にあしらわれたりした蜻蛉。環境の変化で今ではその姿も貴重になってしまいましたが、時々見かける清々しい飛びっぷりは、昔も今も人の心を浮き立たせる物であるようです。

 暑い日盛りの草叢を、一匹の赤とんぼが横切って行きました。焼けるような陽光と凪いだ風の蒸し暑さが、立ち止まった私の額に汗をにじませにきます。けれども、ツイっと重力の谷間を飛び越えるように去って行く蜻蛉を見送っていると、流れる汗もひんやりと温度を落としていくように感じるので不思議なものです。今日は折からの曇り気味の一日でした。台風が週末にかけて接近してきている旨の天気予報でしたから、幾分か熱気もなりを潜めてはいたのでしょう。それでも、太陽の表面を重苦しい雲が跨いで行ってしまうと、馴染みの熱気が甦ります。気が付けば、舞い遊んでいた蜻蛉の優雅な姿は視界から消えており、ジワジワと蝉の鳴き声が周囲を律儀に塗り潰していくのでした。

 パソコンを開き、この文章を書いているのは主人と子供達が寝静まった夜半。月の面は白々として、なんだか闇の至る所が艶々となまめくように明るい夜です。風の流れは肌に感じません。蝋燭を灯せばホロホロと炎が揺れるのかも知れませんが、開け放した窓辺から見る戸外はとても静かであります。室温計を見れば、確かに、熱帯夜である(25度以上)のですが、湿度は低く心地好いものです。日中は除湿器を稼働するのみで快適に過ごせました。今に至っては薄手の羽織り物があっても構わないくらい。

 この一週間、子供の病気に付きっ切りで過ごしていましたから、知らず知らずの内に私の内面に蓄積された重荷があったのでしょうね。独り切りのリビングで、自分の為だけのドリッパーへ湯を注ぎ、出来上がった香ばしい飲み物に、更にたっぷりの牛乳を加え、昼間の買い物におまけをしたチョコレート菓子をひとかじりだけ口に含み、徐に自家製カフェオレを傾けます。開け放しにされた寝室からは、主人と子供達の寝息。ますます、気ままな独り切りの夜は磨かれたように静か。

 明日に控えている諸事は、また明日の扉の前で待たせておけばいいのです。

 軽やかに、風の波を乗りこなして行く蜻蛉の羽根みたいに、今夜は心地良さで満たされています。しがしがする事はない訳ではありませんが、ちょっとだけ私の気持ちを上の方向へ持ち上げてくれた事などを思い出していると、視線が自ずと前を向いていくように思います。可愛がっている鉢植えのパキラが、明るい日陰の中で次々に若い葉を茂らせて来た事とか、素敵な明朝体フリーフォントを見つけて自分のパソコンにダウンロード出来た事とか、遠方に住んでいる弟と久し振りに電話で話せた事とか。

 理由づけなんて後で良いんだと思います、心が喜ぶ方向に、何となく柔らかいモノにフワフワと触れられたんだな、と実感できていれば、近い将来はちょっと、でも確実に楽しみになるはずなんですよね。解ったような顔をしてひとくくりにしなくても良いと思います。何となく、良い具合に、気持ちが晴れ晴れしたら、蜻蛉だろうが、夜中のコーヒータイムだろうが、些細な物事の解釈はどんなだって構いません。

 穏やかな夜です。「嵐の前の」なんて冠名はいらないですけれど、それはそれで、嵐を乗り越える為の小休止であるのですから、まんざらでもないのかも知れません。とりとめのない事を書くのは、小気味いいです。蜻蛉と日記とコーヒーと家族の寝息と。

 夏は、夜。

 涼やかに、仄暗く。