哲学は柔らかくってもいいんじゃないの。
今まで、一番、時間と金銭をつぎ込んできた事。それが、自分にとっての譲れない物なのだと言う。
絵を描くのが好きなら、その人は必ず、描く為の道具や描く為の資料や場所に時間と金銭を費やしてきたはずだし、あるスポーツにのめり込む人なら、彼は必ず、そのスポーツに関わる手間を惜しまなかったはずだ、というわけである。
何に興味があるのか分からない、何を目指せばいいのか分からない、時折、そういう事を嘆く人に出会う。食べる事も寝る事も遊ぶ事も、さして興味を引く物事ではないのかも知れない。それでも何かしらに時間をかけ、何かしらに費用を支払っているのだとしたら、彼にとっては、その物事が生活を支配するものでないにしろ、彼という存在を埋める1ピースには有り得るのではなかろうか。
人は、きっと色々な引力に左右されながら生きている。否応なく、引っ張られて、かろうじてバランスを取っている。
存在意義など、今更、論じなくてもいい。