あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

ちちんぷいぷい、いたいの、いたいの、とんでいけ。

 荒っぽい言い方をするなら、私達は誰一人例外なく、たぶん、一通り何かの「病気」なのだと思います。分厚い医学書にビッシリと書き連ねられた病名のみでは片付けられないような、細分化された名付け難い病魔と共存しているのです。

 理由も無く悲しくなったり、無償にイライラしたりする不安定な自分と向き合う時、私達はこの「非常事態」を何とか正常に戻そうとして葛藤します。でも、その対処法が分からなかったり、手順を知らなかったり、効果的なアプローチが判断出来ず、更に落ち込む事があります。

 私は、朝、子供を強く叱ってしまいました。意識的に「叱った」のならそれは意志ある行動です。しかし叱って「しまった」のであるなら、それは「発作」です。子供は食べ物を粗末にしました、そして叱られるのを恐れて嘘を吐きました。私が彼を叱責した理由は、その2つでした。彼が食べ物を粗略に扱ったのが、故意であるのなら許されざる事です。ですが、単なる不注意であるのなら、私はもう少し注意深く彼を諭し導いても良かったのではなかっただろうか、と反省しました。また、彼が私の剣幕をかわそうと嘘を思い付いたのなら、筋道に沿って彼の不正を指摘すべきですが、その彼が私への畏怖の為に正しい行動が出来なかったというのであれば、しばらく彼の話に耳を傾けても良かったのではなかったでしょうか。

 「病気」と書くと、とてもインパクトがある字面です。人は何かしらのかたよりを身体のあちこちに持ちながら日々を何とか過ごしているのだと思います。右に偏れば、左にカジを切って調整し、時に遠心力を使ってグルグル回って中心を一点に集中する工夫を絶えず行っているのです。

 だけれども、そんな懸命で涙ぐましい努力が、ふとした折に、苦しくなる事があります。「ああ、どうして自分はこうなんだろう」と天を仰ぎたくなる気持ちが起こります。誰かのせいにしてしまえたら、どれほど楽だろうか、と何もかもを放ったらかしたくなります。

 追い詰められるほどでもないけれど、胸の辺りがヒリヒリするモノでいっぱいになった時、こう思い返してみたら良いかもしれません。「私は今、イライラする病気」「あの人は、人の上げ足を取る病気」「この子は、言い訳する病気」。これを、ごまかし、と揶揄する人もいるでしょう。が、ちょっと立ち止まって溜息を吐く口実にも、きっと出来ます。

 健康になりたくない人はいません。泣ける時間が欲しいだけ。